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 何故ひとが“そう”思うのかわからない。

 わたしは……“感じること”を忘れてしまったから。



 わたしの感情はひどくぼんやりしていて、曖昧だ。まるで厚い膜を通して外を見ているようなもの。

 膜を隔てて伝わって来るものは、どこか鈍くて遠い。わたしの元に来るまでに、鮮烈さを失っている。

 だから、かもしれない。

 わたしは、周りの人たちが思っているほど、わたしの身に起きたことを気に病んではいなかった。

 わたしの友人や、友人の夫は、痛ましいものを見る目でわたしを見た。

 弟のように思っていた従兄弟がわたしにした事。

 痛みと恐ろしさと、それを上回るおぞましさ……そういうものが綯い交ぜになったものを、おそらくは感じるものなのだろう。

 けれどわたしは、あの時も、何も“感じて”はいなかった。

 体は勝手に竦み、酷く震えていたものの、感じる心はどこまでも分厚い膜に覆われたまま。

 体が悲鳴をあげ痛みに震え、涙があふれても……こころは海の底に沈んでいるかのように、ほとんど揺れもしなかった。

 恐れも嘆きも悲しみも……時として痛みさえ遠い。

 けれど、体の方はそうはいかなかったらしい。それとも、心が感じられないぶん、体に影響がでるのか。

 体が耐えきれなくなった時、こころとのつながりが切れる。

 そうしてわたしには時々、記憶の無い時間があった。父親が亡くなったときもそうだった。いや、それが始まりだった。父親が叔父の手にかかりその場面を目にしたときから……わたしの体と心の乖離は始まったのだ。


 友人や友人の夫、そしてわたしが幼い頃から傍に居てくれた魔術師は、わたしの身に起きたことを酷く悲しみ、また憤っていた。

 気にかけてくれること、心配してくれる事、傍に居てくれる事……それらを有り難いと思いながら、それと同じくらい申し訳ないとも思っていた。

 彼らが悲しんでくれるほどには、わたしは何も感じていなかったから。

 けれどそれを正直に告げるのは躊躇われた。そういう自分の有り様がどこか異様であるとは自覚していたから。告白して、彼らが自分の傍から離れてしまうのを……恐れていたのだろう。

 従兄弟に対しても、嵐のような日々が過ぎてしまえば、感じているのは苦い後悔だった。

 もっと早く本当の事を告げていれば、そして傍を離れていれば……わたしに対して愚かな振る舞いをせずにすんだのだろうから。

 弟のように思っていた。

 わたしの酷く鈍い感情の中でも、それは紛れもない事実だった。彼がわたしに強いたことは、わたしのこころには響かなかったけれど、体には影響が出てしまった。人に触れられなくなり、酷い時は傍に居られるだけで体が強張ったりした。心に響かないぶん、体に現れるのだろうと思う。

 国を出て各地を転々として、そして魔術師の力を借り、“わたし”の事を知る人たちと決別しても、それは変わらないままだった。

 このままずっと最後まで、わたしはこのままなのだろうと半ば諦めてもいた。

 もう半ばは……それすら“どうでもいい”と思っているわたしが居たことを自覚している。

 

 しかし、不思議なことに、わたしは魔術師にだったら、触れるのも触れられるのも平気なのだ。

 それどころか。傍に居る時はいつも、ともに眠っていた。

 一人で眠るより、その方が安心できたからだ。

 わたしは父親を亡くした時から、繰り返し悪夢を見ていた。

 夢の中で父親は何度も何度も血の海に沈む。止めようと伸ばした手も叫んだ声も、届く事はなかった。国を出た頃からは、わたし自身が貪られる夢も加わった。真夜中に冷や汗をかきながら跳び起きる事もしばしばだった。 

 そのたびに魔術師は心配そうに秀麗な顔を歪め、額に滲んだ汗を拭ってくれた。

 わたしに触れる手は優しくて、とても安心できるものだった。

 幼い頃からずっと傍にいてくれたからだろうか。

 家族のように、兄のように思っていたからだろうか。

 父親を亡くした後は、眠れないでいたわたしを、ずっと抱きしめて眠ってくれたから。

 彼に頼んでみると、きみがいいのならと頷いてくれ、そうして子どもの頃のように一緒に眠る。


 一緒に眠れば、悪夢を見る事はなかった。



 彼はわたしを腕に抱いて、眠りにつく。ひろい胸に顔を埋め、ぴたりと体を寄せていると、とても安心した。彼は時々額に落ちかかる髪の毛を払っては、幼い子どもにするように、口づけを落とす。

 抱きしめる腕も。温かい体も。酷く安心するものだから触れていたいし、触れていてほしかった。

 何故そう思っていたのか、はっきり気付いたのはわたしの依頼に対して、彼が魔術師として対価を求めた時。

 “傍に居てほしい”。

 それは対価でもなんでもないとわたしは言った。わたし自身が“傍に居たい”と思っているのだから。

 何故わたしはそう思っていたのか。その時になってわたしは自分の気持ちに気が付いた。

 気付くと同時に、わたしはそれを心に仕舞っておくことにする。

 わたしは幼い頃から彼を知っている。その頃から殆ど姿の変わらない彼は、まるで年を取っていないようにも見えるが、魔術師としては珍しくない性質らしい。力の強いものほど成長が緩やかで、年を取りづらくなるそうだ。彼はまさにその性質を持っている。

 “そばにいて”というのは、対価として、いつまで有効なものなのだろう。

 魔術師として有能な彼は、望むなら高い地位や、より良い条件で誰かに仕える事も可能だった。

 今では短期的な仕事を引き受けるだけで、特定の誰かのために働く事はしていない。

 おつとめは姫さんとこだけで十分だよと言っていたが……もう、わたしの傍から解放しなければと思っていた。

 彼は曽祖父が連れてきたと聞く。それから父、わたしと随分と長い間よくしてくれた。

 丁度、わたしの友人夫妻がこの街を離れることが決まっていた。

表向きは他の街で仕事が決まったためだったが、本当は……娘が年頃になったためだった。そう遠くないさきに、娘も誰かに嫁ぐだろう。 

 そうなったとき、相手の家としては、娘の家や出身地の事も調べるだろう。それを見越し、長く住んだこの街を離れる事にしたのだ。そこまで神経質にならなくてもとわたしは言ったが、友人の夫は首を横に振った。

 念のためだ。もうあちらも探してはいないようだがな。

 友人も友人の夫も、もとの国での身分を捨て、わたしと一緒に居てくれた。それを謝りたく思っても、彼らはそれを受け取ってくれそうになかった。せめて感謝の気持ちを伝えたくて、訥々と言葉を紡いでみても、彼らは自分たちが勝手にやったことだと笑うばかりだった。

 何もその手に返せない、それどころか、厄介事の芽になるかもしれない……わたしが産んだ娘を、自分たちの娘として育ててくれたのに。

 その娘は父親にとてもよく似ていたが、不思議と心が揺れることはなかった。時折、父親に似て手に負えないような癇癪を起こす事があったが、それも今はない。

 明るくて溌剌とした娘は、どこの土地に行っても大丈夫だろう。

 別れの日、わたしより背の高くなった娘は、またねと言って手を振っていた。

 彼らと今度会う日はいつになるだろう。また会える日は来るだろうか。

 そう思いながら、わたしの傍らに立つ彼を見上げる。

 いい機会だ、色々話をしなければと思っていた。そうして。

 わたしは驚くことを聞かされたのだ。



 手紙が来ていたよと彼はわたしに手渡してくれる。

 それは嫁いだ娘からのものだった。結婚式に招待されていたものの、わたしには行く事は出来なかった。

 娘や友人夫妻と別れて、何年も経っていた。それなのに、わたしの姿はちっとも変わらない。式の場で“夫妻の友人”として紹介されても、誰も本当の事とは思わないだろう。

 娘は手紙で、式に来てくれなかったのは残念だが、幸せにやっていると書いていた。

 彼に読ませると、元気でやっているみたいでよかったと笑った。

 友人夫妻が街を去ってすぐ、わたしと彼も街を離れた。

 彼だけでなくわたしもあまりに姿が変わらないため、人から不審に思われかねなかったからだ。

 魔術師が年を取りにくいのは、あまり多くの人には知られていない。

 わたしと彼は定期的に街を移りながら暮らしている。

 どこか静かなところに家を建てようかと彼は言ったが、わたしは首を横に振った。

 家は……むかし父や彼と暮らしたあの屋敷だけで充分だったから。



 あの日、彼の話した事には驚いたものの、わたしはそれを受け入れた。

 ああ、ずっと一緒に居られるのだと安心したのだ。

 彼はどこか泣きそうな顔でわたしを見ていた。勝手に寿命をともにするような術を掛けたのだから……わたしからの拒絶も覚悟していた、そんな顔だった。

 一緒に居たいと望んだのは、わたしも同じだったのに。 

 わたしの望みと彼の思いは、まったく同じではないのかもしれない。

 相変わらず、わたしは透明な膜越しに世界を眺めている。それでも。


「ねえ、今度わたしに花冠作ってくれるかしら」


 首を傾げた彼に、手紙の中に入っていた、押し花の栞を見せる。


「花嫁のブーケの一部ですって。ふふ、いい年しておかしいけど、昔よく作ったでしょう?」

 あとの言葉は彼の唇に消えた。何度も何度もついばまれ、それから腕の中に抱き込まれた。

「あ~……ごめんね、結婚式とかあげたかったよ、ね。うわ何僕花嫁姿見逃してるってことじゃない。うん今からでも遅くないから、式あげようよ」

 立会人は……ああそれにあの子とかあいつらに連絡しないと後で文句言われるかなあ、などと呟く彼に苦笑しながら遮った。

「式なんかはいいわよ。ドレスも要らないし、立会人も要らないわ。そうね、あなたの冠はわたしが作るわ。あの子にも作ってあげたし、昔よりは綺麗に出来るわ。いいかしら?」

「ええ~……きみがそう言うならわかったよ。じゃあ、今度街の向こうの花畑にピクニックに行こう。ちょうど花が綺麗に咲いているから」

「そうね、そうしましょう。ふふ、楽しみだわ」

 きゅっと彼の背中に手を回した。規則的な鼓動を感じながら目を閉じる。

 わたしと……そしてわたしの中からも、鼓動が聞こえる気がした。


「ね、その時言いたい事があるの。楽しみにしててね」


 喜びも悲しみも、いまだ遠いままだけれど。

 彼が傍に居てくれるなら……いつか、この手に取り戻せる、そんな気がしていた。




                                                               END



            




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