かくしてルトヴィカは女王蜂になった
グレン・ハワードは三十歳。その血筋は元々建国の英雄エルジュの血統である。
武門の名門ハワード伯爵家の当主であり、代々高名な騎士を輩出する家系だ。
ハワード伯爵家は、領地を持たないことでも有名である。
歴代のハワード伯爵に、その武功に対する恩賞で領地をわけあたえても、税収など無用であるとして、そこに住む領民たちに全て土地を渡してしまう。
土地どころか己の資産まで貧しいものに分配してしまうという。
例に漏れず、グレンも堅苦しいぐらいの愚直さと自他共に対する厳しさで評判の男だ。
美形の部類ではあるのだろうが、筋肉の鎧と鷹のような鋭い瞳、常に眉間に寄っている皺のせいで恐ろしい印象を他者に与えている。
絵姿のグレンも、きっちり整えられた黒髪と太い眉、切れ長の灰色の瞳が美しくはあるものの、威圧的にルトヴィカを睨みつけていた。
三十歳にもなって独身なのは、生真面目すぎて女性を寄せつけないせいだ。
本来ならば──貴族の結婚とは基本的に親が決めるものである。しかしグレンの場合、早くに両親を亡くしているために縁談の世話をしてくれるものがいなかった。
いくら名家とはいえ、領地を持たないハワード伯爵家に娘を嫁がせたい親はまずいない。
苦労することが目に見えているからだ。
などの、諸々の事情が重なり、まだ結婚をしていない。
まぁ、男ならば何歳になっても金と地位さえあれば結婚できるのだから、焦ってもいないのだろうと、ルトヴィカは心の中で呟いた。
そんなグレンとルトヴィカに結婚をしろと──よりにもよって王家が言ってくるとは、どういう了見かと、ルトヴィカは肩をすくめて小馬鹿にしたように笑った。
そんな娘の態度に父は青筋を立てているが、怒鳴るのはぐっと堪えている。
怒鳴ったところでルトヴィカに嘲笑されるだけだと、父はよくわかっている。
己に非があるせいで、ルトヴィカを糾弾することもできないのだろう。
「王家というと、ヴァイク様ですわね。全く、どの面さげてわたくしに結婚の命令など出したものなのでしょう。国王陛下が身罷られてまだ一年、お身内でもないハワード伯爵とわたくしの結婚を強要してくるなど、ずいぶん調子にのっておりますこと」
「口を慎め」
「あら、偉そうに。お母様を見捨てた男は言うことが違いますわね」
「ルトヴィカ!」
「男というのは──図星をつかれると怒鳴るのですわ。そして、暴力。わたくしにはどちらも通用しないこと、ご存じでしょう」
父はうぐぐ……と、押し殺した声をあげる。
以前はこうではなかったのだが、二年前──ルトヴィカは色々あって、全ての男を跪かせることに決めた。
果たしてそのたくらみは成功し、今では父はルトヴィカの行動にほとんど口を出せないようになっている。
そもそも父がルトヴィカに対して強く出れないのは、母を捨てたという罪があるからだ。
捨てたというよりは──大多数の貴族の男がそうであるように、妾を作り別宅に入り浸ったのだ。
その間、ルトヴィカの母は産褥熱で亡くなってしまった。
だからルトヴィカは母の顔を絵姿で見ただけで、何一つ記憶にさえ残っていない。
ただ無念だっただろうと、思うだけだ。
父には妾との間に娘がいる。ルトヴィカにとって腹違いの妹であるアルーシェは、妊娠中である。
相手は王弟で、ルトヴィカの婚約者だった王太子──現在は国王の弟だ。
ルトヴィカが王太子に会うために城を訪れたときに、毎回ついてきていたアルーシェは、いつの間にか第二王子と、婚約もしていないのに爛れた関係になっていたのである。
その関係が公になったのは二年前、ルトヴィカは十八歳だった。
間が悪いことに同時期に王太子の浮気が発覚した。彼はルトヴィカの友人である伯爵令嬢と恋仲になり、ルトヴィカに婚約破棄を言い渡したのだ。
第二王子がアルーシェと結婚するかもしれないのだから、自分はルトヴィカと結ばれることはできない。
アインスローゼ公爵家と王家の繋がりを、必要以上に濃くしてはならない。
などと、もっともらしい言い訳をして。
ルトヴィカは、王太子から婚約を破棄された挙句、公爵家から追い出されることが決まった。
第二王子がアルーシェに婿入りすれば、ルトヴィカがどれほど身分が高いものを婿にもらったとしても、その男に公爵を継がせることはできない。
ルトヴィカは粛々とそれを受け止めて──父に、とある年嵩な女好きの侯爵の後妻にされそうになり、ぷちんと心のどこかが切れた。
そしてルトヴィカは、社交界の女王蜂になったのである。
つまり早い話、不良になったというわけだ。
しおらしくしていてもいいことなど一つもない。
自分の思うままに、やりたいように生きると決めて、二年。
自分で結婚相手を探すとは言ったものの、のらりくらりとしていたのは、ちょっとした嫌がらせでもあった。ルトヴィカの顔を見ると、父も義母も妹も怯えるので、わざと居座っていると言ってもいい。
探しても探しても、ルトヴィカの心を射止めるような相手がいなかった、ということももちろんあるが。
というわけなので──ルトヴィカを捨てた国王が、ルトヴィカの結婚を斡旋してくるという奇妙な状況だ。
まったく何を考えているのかあの男はと、それなりに整っている国王の顔を思い出す。
それなりに整っているが、ルトヴィカの想像の中の彼の額には、思い切りインクで『下種野郎』と書いてある。
「下種野郎の命令に従う義理などございませんわ。あらいやだ、わたくしとしたことが、口が汚くなってしまいましたわね。げす……ではなく、国王陛下。浮気男に結婚相手を斡旋されるなんて世も末ですこと」
「ルトヴィカ、お前は先日の夜会でキャンデル侯爵家の令嬢に葡萄酒を浴びせたそうだな」
「そんな名前だったかしら。わたくし、人の顔と名前を覚えるのが苦手ですの。興味のない相手はとくに。それにかけたのはシャンパンですわ」
「シャンパンだろうが葡萄酒だろうがどうでもいい! 侯爵家から王家に抗議の手紙が山のように届いたそうだ。お前の素行が悪すぎると、社交界でも問題になっている。夫を取られた、恋人を取られたという訴えがあとをたたないらしいな」
「わたくし、人のものには興味がありませんのよ。人のものを奪いたがるお義母様と一緒にしないでくださいます?」
「ともかく! お前を誰かと結婚させる必要があると、陛下は判断なさった。その相手にハワード伯爵が選ばれたのだ。断れると思うな。お前が何をどう言おうが、王命を断れば反逆罪で幽閉されるぞ」
横暴だわ──と、ルトヴィカは天井を睨みつける。
どうして誰かに命令されて、結婚しなくてはいけないのか。
いっそ逃げてしまおうかと思ったが、それも癪だ。
「ハワード伯爵のほうから断ってきますわよ、どうせ」
相手が悪いだろう。規律を重んじ堅苦しく真面目だと評判の男が、ルトヴィカを娶りたいと思うはずがないのだから。
やれやれ、無駄な時間を過ごしたわね、と思いながらルトヴィカは執務室から出る。
それからさらに数日後、結婚の話などすっかり忘れていたルトヴィカを、ハワード家の馬車が迎えに来たのだった。




