第八話 誰が回しているの!?
朝。宣言どおり、炭を切った。
「とんっ!」
ばきっ。
「とんっ!」
ぼふっ。
切って、切って、切りまくって――にぎりめし大、七個。
「百個はどうした」と次兄ちゃん。
「……七個」
「九十三個足りねえ」
「数えなくていいから!!」
長兄ちゃんが何か命名しようと口を開けた、ちょうどそのとき。
戸の外から声がした。お城の使いの人だった。
「信勝様が、お呼びにございます」
ひみつだ!! ひみつの日が来た!!
お城に着くなり、信勝様はにこにこしながら言った。
「ほたる、行こう。ひみつ、見せてあげる」
連れて行かれたのは、お城の外。信勝様は地味な着物で、後ろには長秀さん。お忍びってやつだ。
歩いて、歩いて、着いた先は――
「市だよ!」
「…………市?」
ずるっ、とこけそうになった。
市なら知ってるよ。母ちゃんと来たことあるもん。ひみつって言うから、もっとこう、隠し部屋とか、すごい本とか……。
「ほたる、顔ががっかりしてる」
「し、してないし!」
してた。ごめん。してた。
でも、大通りに出た瞬間。
「うわ、なにあれ!! なにあれ!!」
母ちゃんと来る市と、ぜんぜん違った。
布の山。壺の山。籠に入った鳥。見たことない色の織物。聞いたことない言葉でしゃべってる旅の人。
「手のひら返すの早いね、ほたる」
「だってこんなの知らない!! 奥ってこうなってたの!?」
人混みを抜けたら、屋台の前に、誰かが立って何か食ってた。
信長様だった。
「市って通り道なの!?」
「通りかかったのだ」
「うちと川と市、ぜんぶ通り道なの!?」
信勝様が、すました顔で言った。
「兄上、口の端に粉がついてます」
「ついておらん」
ついてた。
市を歩くのは楽しかった。楽しかったんだけど、変なことが起きた。
炭屋の前で、おれの足が、勝手に止まったんだ。
「……あ」
「どうしたの?」
「この炭……うちのより、角が立ってる」
「…………」
「…………」
「…………」
三人が、きょとんとしておれを見た。
いや、おれもきょとんとしてる。なんで止まったんだろ、おれ。なんで炭の角なんか見てるんだろ、おれ。
そしたら、炭屋のおやじさんだけが、にかっと笑った。
「坊、分かるのか。こいつは堅木のいい炭だ。角が立つんだよ」
「毎日切ってるから……あ、これ、にぎりめし大だ」
「ほう! 坊、鍛冶屋の子か!」
おやじさんは、なんかすごく嬉しそうだった。
信長様が、ぼそっと言った。
「炭にだけ詳しくなっていくな、お前は」
「修行中なの!!」
事件は、魚屋の前で起きた。
並んだ魚を見てたら、お腹が、ぐうっと鳴った。そんで、口から勝手に出た。
「ああー、すし食べたい……」
「すし?」
「あのね、生の魚をね、酢めしの上に乗せて、手でぱくって食べるの! おれ、夢でいっつも食べてた! うまいんだよ!!」
しん、とした。
魚屋のおやじさんが、まず引いた。
「な、生ぁ!?」
「生! とろっとして、ちょっと甘いの!」
「坊、腹こわすぞ……」
「こわさないよ! 新鮮なら大丈夫! 夢の国には氷の箱があるから、魚がずっと冷たいの!」
「氷の、箱……?」
周りのお客さんまで引いてた。なんで!? あんなにうまいのに!?
でも、一人だけ、目をきらっきらさせてる人がいた。
信勝様だ。
「待って、ほたる。酢めしって何? 酢を、飯に混ぜるの?」
「混ぜる! ちょっと甘くしてね! そんで握って、上に魚!」
「へえ……! それで? それで?」
「でね、すごいのが回るすし!」
「回る?」
「お店でね、その皿が、ぐるぐるーって回って流れてくるの! で、好きなのを取るの! 取り放題!」
信勝様の動きが、止まった。
「……待って、ほたる。魚が回るの? 皿が回るの?」
「皿! 魚は乗ってるだけ!」
「皿が? ひとりでに? 流れてくるの?」
「そう! 目の前を! 次から次に!」
「誰が回しているの!?」
「知らない!!」
「知らないの!?」
「だって勝手に回ってるんだもん!!」
信勝様が、頭を抱えた。初めて見た。この人が翻訳できないの、初めて見た。
「分からない……皿が、ひとりでに回る……何の力で……水車? 水車なの?」
「違うと思う! 店の中だし!」
信長様が、心底うんざりした顔で言った。
「お前たちは、何の話をしているんだ」
「すしの話!!」
そのとき、長秀さんが、すっと前に出た。
「少し待て。もう一度言ってみよ」
「え? 皿がぐるぐる――」
「回るところはいい。……酢と、飯と、魚のところだけだ」
「えっと、酢めしに、生の魚を乗せるの。それだけ。それだけで、ほっぺた落ちるの」
「……酢、か」
長秀さんは、それだけ言って、黙った。
それから、魚屋のおやじさんのほうへ歩いてって、なんか小声で話し込み始めた。
なに? なんで魚屋さんと仲良くなってるの?
帰り道、市がぜんぶ見渡せる坂の上で、ひと休みした。
下に屋根がずらーっと並んで、人がありんこみたいに動いてる。
信勝様が、その景色を見ながら言った。
「ねえ、ほたる。俺ね、ほたるの『てれび』、ほんとはちょっとうらやましかったんだ」
「え?」
「だって、何百里も先が見えるんでしょ。行けない場所が、見えるんでしょ」
信勝様は、市を指さした。
「でもね、ここに来ると、俺にも見えるんだよ。あの布は唐の向こうから来た。あの貝は南の海から来た。旅の人は、知らない国の話をしてくれる。……ここは、俺の『てれび』なんだ」
「…………」
「だから、ほたるに見せたかったの。ほたるは俺に夢の世界を見せてくれたから、お返し」
なにそれ。
なにそれ、ずるい。
「……信勝様って、たまにすごくいいこと言う」
「たまに?」
「たまに」
「ひどいなあ」
信勝様は笑って、ぱっと立ち上がった。
「あ、飴買おう。兄上には内緒で三本」
「いいこと言った直後に内緒ごと!?」
飴売りの屋台に走る途中、人混みの立ち話が、ちらっと耳に入った。
「――しかしお城も近ごろ、きな臭えなあ」
「しっ。声がでけえ」
ふうん。
それより飴だ。三本のうち、どれが一番大きいか、おれが選ぶんだから。
ちなみに飴は、戻ったら一発でばれた。
「……一本足りんな」
「なんで分かるの!?」
夕ごはん。市の話をしたら、長兄ちゃんが、うんうんとうなずいた。
「殿に炭で負けた男、改め……」
「またか!」
「市で炭だけ褒めて帰った男」
「褒めてない! 足が止まっただけ!」
「炭に呼ばれたんだろ」と次兄ちゃん。「立派な鍛冶屋だよ、おめえ」
「ばかにしてるよね!? それ絶対ばかにしてるよね!?」
でも父ちゃんが、汁をすすりながら、ぼそっと言った。
「……角が立ってる、と言ったのか」
「う、うん」
「……そうか」
それだけだった。それだけだけど、なんか、怒られてない感じがした。
数日後。またお城の使いが来て、また市に連れて行かれた。
「ほたる、見て。ね、見て」
魚屋の前に、屋台が出てた。人だかりができてた。
売ってたのは、四角く切った――えっ。
「すし!?」
「『押しずし』っていうんだって。長秀がね、あの魚屋さんに試させたの。酢めしに魚を乗せて、箱でぎゅっと押すんだって」
ひと切れ、もらった。食べた。
「……ちがう」
「ちがう?」
「酢がつんとくるし、魚もなんかしまってるし、にぎってないし、回ってこないし……うまっ!?」
「どっち!?」
「なにこれうまっ!? ちがうのにうまい!!」
屋台のおやじさん――あの魚屋さんだ――が、ふふんと得意顔をした。
「お城のえらい御方がな、『酢で締めれば日持ちする』と。いやあ、坊のおかげだ。売れて売れて」
「どれ」
後ろから、にゅっと手が伸びた。信長様だった。いた。当たり前みたいにいた。
「もう驚かないからね、おれ」
信長様は返事もせず、ひと切れつまんで食った。
ゆっくり噛んで、飲み込んで、言った。
「……金になるな。やらせてみよ」
長秀さんが「はっ」と頭を下げた。
「だから、なにが!? ねえ、今度こそ教えて!? おれのすしだよね!? おれの夢のすしの話だよね!?」
「お前は知らんでいい」
「またそれ!! 体操のときもそれ!!」
誰も教えてくれなかった。なんなんだ、この人たち。
帰り際、お城の門のところで、信勝様が言った。
「ねえ、ほたる。今度さ、ほたるの『夢』の話、もっと聞かせてよ。ぜんぶ。約束したでしょ」
「いいよ! 何から話そっかな〜」
「すしみたいなのが、まだあるの?」
「あるよ! いっぱいある! てんぷらでしょ、ようかんでしょ、あと、らーめん!」
「らー……? 何それ!? 何それ!!」
「ふっふっふ。次に来たときのお楽しみ!」
「ええー!? 気になる! 気になるんだけど!!」
ひみつ返し、大成功。この前のお返しだもんね。
その晩、寝床の中で、おれはずっとにやにやしてた。
らーめんの話、どこからしよう。麺? 汁? いや、まず替え玉から……いやいや、順番に……。
ああもう、早く次にならないかな。
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【次回更新】未定




