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80話

「お兄ちゃん、朝だよ。春休みはまだ先なんだから、寝坊して遅刻したなんていったらマチルダ先生に怒られるよ」


 ベッドの隣で鳴り響いていた目覚ましのアラームが止められる。

 疲れた体を何とか起こして目を擦ったフィーザーは、制服の上からエプロンをつけて、おたまを持ったフローラに返事をした。


「寒っ」


 フィーザーがベッドの中から部屋を見回すと、すぐに室内の温度が上がり、ベッドを抜け出すのを躊躇うことのない温度になった。


「おはよう、フローラ」


「おはよう。フィーナはもうリビングで待ってるんだからね」


 早くしてよ、と言いながら戻っていくフローラの後ろ姿を見送りながら、フィーザーは大きく伸びをすると、ベッドから出て制服を手に取った。

 制服に着替え終えたフィーザーは、今日必要な荷物を鞄に詰めると、端末を制服のズボンのポケットに仕舞い込んで部屋を出た。


「おはよう、フィーザー」


 フィーザーが顔を洗ってからリビングへ入ると、スリッパをはいた制服姿のフィーナが丁度朝食を机に運んでいるところだった。

 すでに2人分のトーストとサラダは机に並べられており、フィーナが今運んでいるのは彼女の分であるらしかった。


「おはよう、フィーナ」


 フィーザーはフローラが注ぎ終えたスープのカップを浮かせると、こぼすようなことはなく、3人分を同時に机に運んだ。

 フローラがエプロンを外して席に着くと、3人は手を合わせた。


「フローラはすごいね。昨日あんなことがあった後だって言うのに」


 フィーザーがあくびを噛み殺しながら褒めると、フローラは、すごいでしょうとばかりに、薄い胸を張った。


「当然じゃない。まあ、お兄ちゃん達とは動いた量が違うからね」


 フローラはスープに口を付けると、熱っ、と慌ててカップを口から離した。


「大丈夫ですか」


 隣に座るフィーナが心配そうな面持ちでフローラの舌へと視線を向ける。

 フィーナが治癒魔法を使おうとしたのを、フローラは大丈夫だと押しとどめた。


「大丈夫大丈夫」


 フローラはプラスチックのピッチャーから麦茶をコップに注ぐと、適度に温度を下げて口に含んだ。


「朝からアイスは流石に食べたくないよ」


 フローラが冗談交じりにそう言うと、フィーザーとフィーナの口元も自然と綻んだ。


「‥‥‥ところでお兄ちゃん、休みの理由は何にしたの?」


「家庭の事情‥‥‥?」


 フィーザーの答えを聞いて、フローラは溜息をついた。


「何?」


「‥‥‥お兄ちゃんが家庭の事情なんて書いたら私もそれに合わせなくちゃならないじゃない」


 フローラは端末を取り出すと、トーストを持つのと反対の手で器用に操作しながら、トーストをひと口齧った。

 フィーザー達がミルファディアに行っていたのは数日の事だったが、いくら電波が通じなかったからとはいえ、無断欠席したという事実は変わらない。それは学科きっての優等生である兄妹、そしてフィーナだからといっても、特別優遇されるわけではない。

 そのためフィーザー達は学院に事後処理としての届け出を出さなくてはならなかったのだが、フィーザーが家庭の事情と掻いているにも関わらず、フローラと、一応家族と言うことになっているフィーナの欠席理由が異なっていては、厄介なことを突っ込まれる可能性もあった。


「じゃあ、フローラは何て書いたのさ」


「『兄が同居している女の子と飛び出して行ってしまったので、それを探しに行っていたのですが、発見したところが電波の届かないところだったため、報告が遅れました』」


 間違ったことは言っていない。

 たしかに、フィーザーはミルファディアへと進んでいこうとしていたフィーナを追って扉の向こうへ飛び込んだ。

 だが、そのフローラの書き方では色々と誤解を招くのではないだろうか。


「だって、本当のことを書くわけにはいかないし、かといって、嘘を書くわけにもいかないじゃない」


 フローラが困ったような顔を作ってみせてため息をついた。


「ちなみにフィーナは?」


 フィーナの欠席届けには「フィーザー達とお出かけしていました」と、何の捻りもなく、ただそれだけが書かれていた。


「どうかしましたか?」


 全くいつもと変わらない様子のフィーナが、ルビーのように綺麗な瞳をぱちくりとさせながら可愛らしく小首を傾げたのを見て、まさかフィーナに向かって溜息をつくわけにもいかず、フィーザーは額に手を当てて天井を仰ぎ見た。




 数日ぶりとはいえ、普段真面目な生徒で通っているフィーザーやフィーナたちの無断欠席は、クラスの中では意外でもなく話題になっていた。

 登校した直後から、クラスメイトが押し寄せてきて質問攻めにされたフィーザーとフィーナ、そしてセレスティアは、放課後揃って教室で補習を受けていた。


「それで、本当は何をしていたんですか?」


 補習中だというのに、担任のマチルダ教諭が教壇越しに面白がっていることを隠そうともしない口調で話しかけてきた。


「補習中ですよ、先生」


「先生としては生徒が何をしていたかの方が、どうせ終わっている課題なんかよりも気になりますからね」


 セレスティアはため息をつくと、始めてから全く滞ることなく終わらせていた課題を学内のネットワークからマチルダ教諭の個人用のフォルダへと転送した。


「本当も何も、届けに記したとおりです」


 セレスティアは表情をわずかにも揺らさず、平然と受け答えをする。


「本当に? あなた達3人、学科の最優秀生2人と、時季外れの話題を独占していた転入生、そしてその妹、それからあなたの幼馴染のやっぱり体育学科の方の最優秀生と、工学部の最優秀生とその妹さん。これだけの生徒が同じ期間、学院はおろか、自宅にもいないって、これが事件でなくて何だと言うんですか?」


 最優秀生というのは関係がないのでは、と思わないでもないセレスティアであったが、彼女たちが今まで無断欠席などしたこともなかったということは事実であるので、そうでなくとも無断欠席について追及されるだろうということは、予想以前の問題であった。


「ま、まあ、いいじゃないですか」


「良いわけないでしょう? いいですか――」


 マチルダがセレスティアに追及しようとしたところで、マチルダの使っている端末に、フィーナが終わらせた課題が送られてきた。

 マチルダは渋々セレスティアとの会話を切り上げると、課題のチェックに移った。


「あのー、先生。それじゃあ僕たちはこれで‥‥‥」


 同じような笑顔を浮かべたフィーザー達が教室出て行こうとすると、マチルダが出入り口の扉をぴしゃりと指差し、すると扉は鋭い音を立てて、鍵こそかかっていないものの、それ以上の威圧感を伴って閉まってしまった。


「まだようやく半分終わったところですよ。‥‥‥まあ、変わらずあなた方が優秀なのは分かりましたが、決まりは決まり。残り半分の課題と、実技の補習を受けるまでは帰ることは出来ませんからね」


 疲れた身体になんて拷問を課すのだと、フィーザーとセレスティアは恨みがましい視線をマチルダへとぶつけたが、マチルダはあっという間にチェックを終わらせ、フィーザー達の端末に残りの課題を送るのだった。





 

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