28話
フィーザー達と海へ行った数日後、フィーザーが出かけている間にフィーナはフローラの部屋を訪れていた。
フィーザーは、フィーナが自分について来ると言わなかったことに少し驚きながらも―—少ししか驚かずに―—微笑んでみせ、おそらくは家にいれば安心だろうと考えて、何かあればすぐに連絡するようにと念を押してから、フローラに任せて出かけていった。
「やっぱり来たんだね」
フィーナが部屋をノックするとフローラはすぐにドアを開けて中へと招き入れた。
座って待ってて、と誘導されたフィーナが、ベッドの端に腰かけて待っていると、冷たい麦茶とグラスを持ったフローラが戻ってきた。
自分の分とフィーナの分、2人分のグラスを準備したフローラは、片方をフィーナに差し出した。
「ありがとう」
堅苦しい言葉遣いは禁止、と言い渡されていたフィーナは、短く言葉を切ると、カップに口を付けた。
「それで? お兄ちゃんには聞かれたくない話があるんでしょう?」
海へ行った日からのフィーナの言動の変化は、当然というか、一緒に暮らしているフィーザーやフローラには丸わかりだった。
「まさか、気が変わって、やっぱり出て行くことにしました、とかは言わないよね?」
その変化が、良いものなのか、悪いものなのか、何となく悪いものではなさそうだとは思いつつも、兄妹には確信が得られずにいた。
フィーナが自分から話し出すまでは触れずにおこうと確認はしていたものの、フィーナはなかなか話そうとはしなかった。
フローラの不安そうな雰囲気を感じ取ったのか、フィーナは首を振ってフローラの言葉を即座に否定する。
「フィーザーやフローラに黙って出て行くことはしません。‥‥‥約束したから」
分かってはいても、本人の口から改めて聞かされて安心したのだろう。フローラがほっと胸を撫で下ろす。
「私‥‥‥この前の海? に行ったときもそうだったのですけど、‥‥‥自分で頼っておいて言う事ではないかもしれませんけど、皆さんに、特にフィーザーには迷惑‥‥‥そうではないですね。色々して貰ってばかりだなーって」
フィーナが顔を上げてフローラの瞳を正面から見つめる。
「何か‥‥‥私にも出来ることがあれば、と思っているので‥‥‥だけど、何をしたらいいのか分からないんです」
フローラは、別に見返りを求めてやっていることじゃないから、とか、わざわざそんなこと言わなくても分かっているから大丈夫だよ、とか、そもそもこの前は私たちを助けてくれたじゃない、とか、当たり障りのない、無難な言葉を考えたが、すぐにそれらを消去した。
(きっと、フィーナはそんな言葉が欲しいんじゃない。あ、欲しいとかって考えるのもまずいのかな)
「私も、お兄ちゃんも、フィーナには十分なものを貰っているよ」
結局、フローラの口から出たのはそんなありきたりな言葉だった。
フローラは、普段両親がほとんどいないという家庭の事情も少しは関係していて、大人びて見えたり、年齢の割には聡かったりする少女だったが、この場でフィーナの不安を払拭できるような言葉をすぐに思いつけるほどのものはなかった。
「まあ、そんなことで不安が解消できるなら、わざわざ私に聞きに来たりはしないよね」
俯くフィーナと、考え事をするように天井を向くフローラ。
グラスの中の氷が溶けた音が小さく響く。
「フィーナはさ、どうして抜け出してきたの? いや、抜け出そうと思ったの?」
「え?」
「だって、いつからか分からないくらい前からそこにいたんでしょう? どうしてわざわざ抜け出したいと思ったのかなーって。私たちだって、学院や家族に教えて貰ったり、地図を見たりしなければ、外にも世界が広がっているなんて考えたりもしなかったはずだし」
「‥‥‥なんだか、嫌な感じがしたんです。‥‥‥あそこの空間と、私の周りにいた人たちから」
最初はそれが嫌な感じなのだという事にも気づいていなかった、知らなかったのだという。
「そこの事は覚えていない‥‥‥分からないんだよね?」
「とにかく出てくることに必死で‥‥‥お役に立てずすみません」
しょぼんとしてしまったフィーナの頬を両手で挟んだフローラがそのまま顔を上げさせる。
「なんで落ち込んでるの。自分だけじゃどうしようもないことなんて、多分、たくさんあるんだよ。だから、誰かに助けを求めるのは悪いことじゃないし、誰にだって自分のしたいようにしていい権利はあるんだよ」
「したいこと‥‥‥?」
「そこから出てくるのは、フィーナのしたいことだったんでしょう? したらいいか、じゃなくて、何がしたいのかを考えてみたら?」
やりたいこと、と言われても、フィーナの知っていることはそれほど多くはなかった。
知識が少なければ、必然的に考える、そして出来る行動も少なくなる。
「差し当たっては、お兄ちゃんの事、どう思ってるのか、教えてくれない?」
「フィーザーは‥‥‥初めて会った時から私の事を心配してくれているようでした。戸惑いもありました、あったけど、あんな感じを覚えたのは初めてだったから‥‥‥」
フィーナは言葉を探すように口を噤んで視線を彷徨わせる。
「‥‥‥それに、詳しい事情を、私の分からないことは無理に聞き出そうともしないし、本当に、良くして貰ってばっかりで‥‥‥」
「それで?」
「‥‥‥いつも支えてくれて、守ってくれて、親切にしてくれて‥‥‥」
「それで?」
言いながら真っ赤になっていくフィーナを優しく微笑みながら見つめながらも、フローラは決して追及をやめたりはしなかった。
「あうぅ‥‥‥、もう、許してください、フローラ」
顔どころか首まで真っ赤にして俯いてしまったフィーナをフローラは抱きしめた。
「わかったわかった。私だって、お兄ちゃんの事は大好きだよ」
ピクリと背中を震わせるフィーナのことを、フローラは可愛いと思った。
「じゃあ、お兄ちゃんが帰ってくる前に、一緒に夕食の準備をして、驚かせようか」
2人は連れ立って台所へ向かった。




