【3】お探しの受付嬢は席を外しております。
檻の中、幼竜は前足を片方上げた。太く重い鎖がジャラリと音を鳴らす。前足の片方に嵌め込まれた、鎖に繋がる鉄輪に継ぎ目は見当たらない。片方の後ろ脚も同様だ。この鉄輪のせいで檻の中では魔術が使えない。
幼竜は顔を持ち上げ、檻の向こう側にある部屋を見渡した。
窓一つない真っ白な壁に囲まれた室内は、実験器具の入った棚と実験台、研究者たちが出入りする扉が一つあるだけの空間だった。あの扉から、時間になると白いローブを身に纏った人族が道具を持って部屋に入ってきて、『いつもの時間』が始まる。
―――だから、その前に、慎重に動く必要がある。
ゆっくりと足の付け根にある鱗の隙間に前足の鉤爪を差し込む。前世で見た鷹のように鋭い先端が、ツプリと皮膚を突き破る感覚がした。鱗の隙間から、ポタリ、と垂れた血液に、爪の先端を近付ける。微かに震えて丸くなったそれが、宙をフヨフヨと浮かんだ。
―――やはり、この鉄輪は『体内魔力』を抑えるだけで、『外部魔力』への干渉までは防げない。
これならなんとかなるな、と幼竜は毎日コツコツ血液を隠れて溜め続けた。……竜人族という、全人系統族種の中でも、最も魔力含有量の高い、赤色の魔力の塊を。
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死亡を偽装して違法研究所から脱出した幼竜は、変化した人族の姿で、森の中、さて、念願の青空もみられたことだし、どこで死のうかな、とポテポテ歩みを進めた。竜体のままでは歩行が困難だったため、記憶にある前世の自分の姿に変化したのだが、現在の年齢に引きずられたのか、記憶にあるよりも低い視点で世界が見える。……十歳くらいの背丈だろうか。
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いまいちしっくりする死に場所が見つからず、飲まず食わずで数日どころか数週間はフラフラと彷徨い、思っていたよりも頑丈な竜体のおかげでなかなか死ねないと困りながら、気付けば大きな湖が目の前に広がっていた。周囲を木々に囲まれた透明な水面には、青空とそこを流れる雲が映り込んでおり、ここにしようかな、と幼竜は湖畔に背中を向けた。
後ろ向きに湖に身を投げれば、一瞬、青い空と白い雲が視界一杯に広がり、次いでバシャンッという音と共に、水面が空と幼竜を引き離していった。
沈むに連れて遠のく青に、幼竜が目を閉じようとした瞬間、何かが上から降ってくるのが見えた気がした。掠れた視界の中、遠くなった青に、一点、黒い人影が浮かび、ぐんぐんとこちらに近づいてくる。
―――力強い腕が、幼い子供の体を抱きかかえた。
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その日、領都飲食組合の会員たちは組合主催の慰労旅行として、普段いる地方を少々離れた自然豊かな森林地帯でキャンプをする予定だった。昔は旅人だったという、炭火料理が美味い酒場店主のすすめで、彼の案内無しではたどりつけなかっただろう、穴場の湖に辿り着いた彼らを迎えたのは、小さな白い花が一面に咲く幻想的な湖畔と――ーそこに仰向けに身を投げた人影だった。
「いけっ」
「言われなくとも!」
元大陸統括機関総帥であるカフェ店主が鋭く命じるのと同時に、元闘技場覇王だった飲み屋ママが背負っていた荷物を放り投げる。彼女は赤髪を翻して湖に向かって走り、迷うことなく飛び込んだ。
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という経緯で、違法実験施設で育った『人族』の少女は保護された。他の被検体たちも元覇王と元統帥の手で保護された。が、当の施設自体は事前に設置されていたらしき爆発物で研究員ごと爆破され、証言以外の記録が残っていない、という報告書を読み、聖白竜教皇は困惑した声を上げた。
「表舞台から姿を消した『赤の覇王』と『黒の総帥』が、後見人なのか……」
―――発見された幼竜は、応急処置をした後に領主館の一室を借りて休ませている。彼女を見つけた若竜も一緒だ。
寝具にぐったりと丸まった真っ白な幼体。その側で俯く若竜の背中を思い出し、そして、報告書の内容を反芻し、聖白竜教皇は深い溜息を付いた。先が思いやられた。
出生記録どころか、実験内容や偽装した死亡に関する記録すら残っておらず、本人が語りたがらなかった為、メンタルケアを優先して、ポレッタへの聞き取りは現在まで中断している。そのため、彼女が人族でないと周囲が思いつきもしなかったという事情は分かった。分かったが。
「これ、主治医として治療方針を彼らにも説明しなくちゃいけないってこと? 毎回、覇王さまと統帥くんに会うの? 相互防衛国際会議やらでバチバチにやりあった仲なのに? ええー」
窓の外は、いい天気であった。青空を白い雲がのんびりと横切っていく。……そんな、のどかな雰囲気を台無しにする二名が後見人として、行方不明受付令嬢がここにいるはずだと押し掛けてくるのは、この数分後であった。
なお、領主館の表門は『赤の覇王』が後日修理費用を負担し、破壊音と怒声に吃驚半泣幼竜に謝罪した『黒の総帥』は、彼女のためにうさちゃんリンゴを手ずから剥いた。
聖白竜教皇「ヒト族皆兄弟*但し、同族に手を出されたら族滅」
黒の総帥「武力均衡維持*出た杭が叩き折られるのは自然現象」
赤の覇王「専守防衛*但し、攻撃観測後は殲滅戦即時開始」
領主「私の領地で最終決戦でも始めるおつもりで?」




