表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記録官の断章 〜解体される怪異〜  作者: 早河縁
第二章 解読深化篇
28/45

第六話 着いてくる足音

 結城記乃が案内された部屋にたどり着くと、綾子妃はそこに座していた。

 美しい、という評価は的確だろう。だがそれ以上に、隙がない。

 視線の動かし方、口角の上げ方、沈黙の置き方。すべてが計算されている。


「いらっしゃい、結城さん」


 声は柔らかい。だが、完全に制御されている。


(ああ……いったい私はなにをやらかしてしまったんだろう……)



──────────



 半刻ほど前。

 真壁から呼び止められたのが発端だった。


「結城」

「はい」

「鷹司綾子妃がお前を呼んでいる」


 その一言で、思考が一瞬止まる。


(……まずい。心当たりがない)


 だが、それを口に出す前に、真壁が続けた。


「久世から聞いた」


(余計にわからない)


「なにをやらかしたんだ」


 短く、しかし的確な疑問。


「記憶にはありません」

「なら、すぐ行ってこい」


 大きなため息。それで終わりだった。

 記乃の心情も、ある意味終わっていた。

 理由は与えられない。だが、拒否する余地もない。

 ともすれば、まずは急いで行くしかない。



──────────



 鷹司綾子妃の棟は、澄子妃のそれとは空気の質が異なっていた。

 整っている。だが、どこか緊張が張り付いている。

 装飾は華やかだが、余白が少ない。

 視線が多い。評価されることを前提とした空間。


(管理ではなく、選別の空間)


 通された部屋に、綾子妃が座している。

 こうして、冒頭の場面(シーン)へと繋がるのであった。


「お呼びいただきありがとうございます」


 頭を下げる。

 綾子妃はくすりと笑った。


「わたくし、少しだけ、拗ねているのよ」


 意外な言葉だった。


「以前の件の報告、あなたから直接聞いていないんだもの」


 その一言で、記乃は思い出す。


(……ああ、夜にだけ現れる紋様の件、のことか)


 記乃は一瞬、判断を迷う。


(忘れていたわけではない。が、報告を待っておられたということであれば、それをしなかったのは、失礼にあたる可能性あり……)


 綾子妃は、こらえきれないといった様子で、上品に手を口元にやり、笑う。


「ふふ、冗談よ」


 軽い笑み。


「そんな顔をしないで」


 そして、視線を細める。


「あなたが優秀だという話は、きちんと耳に入っているわ。澄子さんったら、こんな子を手元に置くなんて、ずるいことをするのね」


 軽やかな口調。

 だが、その言葉は周囲の関係に微細な波紋を生む可能性を孕んでいる。


(……諍いの火種になり得る)


 だが、ここで指摘するべきではない。

 記乃はただ受け止める。


「恐縮です」

「さてと。さっそく、本題なのだけれど」


 綾子妃の表情がわずかに変わる。


「うちの侍女たちが、困っているの」


 背後で、数人の侍女が緊張した様子で控えている。


「夜になるとね、足音がするっていうのよ」

「足音、でございますか」

「ええ。廊下を歩いていると、自分の後ろからついてくるの」


 侍女のひとりが、耐えきれずに口を開く。


「振り返っても、誰もいないのです……」

「でも、確かに聞こえるのです」


 声が揺れている。


(感覚の確信と、現実の不一致)


 典型的な構造だった。


「これも……祟りや呪いではなくて」


 綾子妃が言う。


「もしかして、あなたがよく使うっていう言葉……科学、で説明がつくのかしら?」


 記乃は一拍置いた。


「現時点では断定できませんが、可能性は高いかと」


 綾子妃は満足そうに頷く。


「ふふ……そう。わかったわ」


 曖昧さを残しつつ、方向を示す。


「では、詳しく調べてもらえるかしら」

「承知しました」


 そこで、後ろに控えていた久世が口を開く。


「では、澄子妃には私から説明しておきます」


 綾子妃が微笑む。


「助かるわ」


 話が早い。

 久世がいて助かった、と記乃は一息つく。


 その日の夜、記乃は綾子妃の棟に泊まり込みで調査を行うことになった。


 とっぷり夜は更ける。

 すると、廊下は昼とはまったく別の場所になる。

 光が減ることで、距離感が曖昧になる。

 足元の情報が減り、代わりに音の存在が強調される。


(視覚情報の減少。そして、聴覚の過敏化)


 記乃は廊下の中央に立つ。

 木造の床。長く伸びる直線構造。左右の壁。

 天井は低すぎず、高すぎない。


(反射条件としては成立)


 そこへ、侍女たちが数人、恐る恐る集まってくる。


「本当に……ここで?」

「無理にとは言いません」


 記乃は淡々と答える。


「ただ、現象を確認するには、観測者が必要です」


 侍女たちは顔を見合わせる。

 そして、ひとりが頷いた。


「……見ます」


 記乃は軽く頭を下げる。


「では、再現します」


 廊下の端へ歩く。

 一定の速度。一定の歩幅。

 足音が、乾いた音で床に響く。


 ──す、す、す。


 数歩進んだところで。


 ──すっ……


 わずかに遅れて、音が返る。

 さらに進む。


 ──すっ、すっ。

 ──すっ……


 侍女のひとりが息を呑む。


「……来る」

「後ろから……」


 記乃が歩みを止めると、音も止まる。

 振り返ったとて、誰もいない。

 再び歩けば、同じ現象。同じ遅延。


(再現性あり)


 記乃は位置を変え、壁際に寄る。

 音が変わり、遅延が弱まる。

 中央に戻ると、遅延が強まる。


「いまのが現象です」


 静かに言う。


「自分の足音が、遅れて戻ってきています」


 侍女たちは混乱している。


「でも……後ろから聞こえます」

「はい」


 記乃は頷く。


「音は方向を持ちますが、反射によってその方向が歪みます」


 壁を指す。


「ここに当たった音が、少し遅れて戻るのでしょう」


 床を指す。


「そして、音の到達時間の差が、距離として認識される」


 侍女たちは黙っている。


「その結果、自分の後ろから別の人間が歩いているように感じる」


 沈黙。

 侍女たちの中で、理解がゆっくりと進む。

 記乃はさらに歩く。同じ音。同じ遅れ。


「現象は一つです」


 言い切る。


「人間は増えていません」


 侍女のひとりが、ようやく息を吐いた。


「……じゃあ、だれもいなかったのですね」

「はい」


 記乃は答える。


「ですが、怖いと感じたこと自体は不自然ではありません」


 少しだけ声を落とす。


「夜は情報が減ります。人間は不足した情報を補おうとする。その際、最も強い感情が優先される」

「……恐怖、でしょうか?」

「はい」


 侍女たちの肩の力が、少しずつ抜けていく。


 その翌朝。

 綾子妃の前で報告を行う。



──────────



「音の反射と遅延によるものです」

「そう」


 綾子妃は頷く。


「人の気配ではなかったのね」

「はい」


 背後の侍女たちの表情は、昨夜とは明らかに違っていた。

 恐怖は消えていない。だが、形が変わっている。


 そうして、官付へと赴く。

 真壁への報告。


「音の反響、か」

「はい」

「なにかしらの害意は」

「確認されていません」

「なら問題ない」


 短い。

 そして、真壁がぼそりと呟く。


「部下がなにかやらかしたんじゃなくてよかった……」


 その場にいた久世が言う。


「お手柄だな」


 軽い口調。だが、視線はまっすぐだ。

 記乃は一瞬考える。


(面倒事が増える)


 だが同時に、役に立てる、という喜びがあったのも、また事実。


「ありがとうございます」


 そう答える。


「やけに素直だな」

「いけませんか」

「いや、そんなことは……ただ、少し驚いた」


 久世の頬が少し赤いような気がする。

 そういえば、梅雨が終わり、本格的な夏が始まろうとしている。


「水分補給を怠っては体調を崩しますよ」

「……お前はなんの話しをしているんだ?」


 記乃も久世も認識できていない感情や思いがある。

 しかし、当人たちは、そんなことを知る由もない。


(ひとまず、またひとつ、後宮の謎が解けてよかった)


 あの廊下から、自分以外の足音が消えることはない。

 ただ、そこに怪異(オカルト)などというものは存在しないことが周知となった。

 ゆえに、あの足音の意味が変わる。


 それだけで、人間の恐怖は充分に形を変える。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ