アーヴァと先代侯爵夫人ー姿を見なくてもー
他に聞きたい事は? とシエルに問われ、グラスを持ったまま思考した。魔性の令嬢と言われていたのがアーヴァと知り、母親である先代侯爵夫人との関係が良好でないのは魔性の魅力のせいだとも知った。更に、リオニーやシエルが自分を夫人と会わせたがらないのは自分がアーヴァにそっくりだからとも。どれくらい似ているのかと聞くと髪と瞳の色を除けば殆ど同じと言われ驚いた。世界には、自分に似た人が1人2人いると聞くが身近な場所に当てはまる人がいるとは思わなんだ。ふと、ファウスティーナは抱いた疑問をシエルに出した。
「司祭様はアーヴァ様と親しかったのですか?」
姉のリオニーの背に常に隠れ、相手と話すどころか目も合わせられないと語った通り、アーヴァは相当な人見知りだったのだろう。そんな彼女をシエルはよく知っている。親しくなければ知られない。思った事をそのまま口にしたら、困った風に笑いながらもシエルは頷いた。
侯爵令嬢と第2王子。立場的に出会っていても不思議じゃない。もっと沢山アーヴァを知ってみたくなるも――扉が叩かれたので止めた。返事をしたらリオニーが入って来た。
「待たせたな」
「やあ、リオニー。母君は納得して帰ってくれたかい?」
「無理矢理納得させた。ティナ嬢、此処を早く出よう」
「今出たら、母君と会うのでは?」
「問題ない。馬車に乗ったのをしかと見届けた。帰る時は正面から出よう」
母と娘。アーヴァを巡って関係が悪化した2人。妹を大事にしたリオニーと魔性の魅力を持った娘を嫌悪した母。
理由は違っても母に好かれていないアーヴァと自分を重ねてしまう。今は距離を開けているから、更に悪化の一途を辿る事はない。けれど、アーヴァはどうだったのだろう。夫人も姿を見るだけで嫌になるのなら、姿を見ないようにするのは無理だったのか。様々な考えが巡るもアーヴァは既に亡くなっており、当時は自分は生まれていないどころか存在すらない。無関係の自分が気にしても仕方ない。
グラスをテーブルに置いてリオニーの後を追った。シエルとヴェレッドも同じ。玄関ホールにはもう誰もいない。
リオニーと夫人以外にはリュドミーラとケインがいたらしく、最初はこの2人が夫人の対応をしていたのだとか。
「お母様とお兄様はもう部屋に?」
「ああ。戻らせた。母上が戻った後、ティナ嬢をフリューリング家で預かるとも伝えた」
「お母様は反対しませんでしたか?」
「していない。したとしても、シトリンが認めているんだ」
良かった、とホッとした。
リオニーが扉を開けた。この後はフリューリング邸へ向かう。リンスーももうフリューリング邸に到着している頃。どんなお使いをリオニーに任されたのかずっと気になっていた。リオニーはお楽しみだと言うので早く知りたい。
「あ」
閉ざされていた門が開かれた。奥から赤い髪の貴婦人に手を繋がれてはしゃぐエルヴィラが入って来た。鋭い舌打ちをしたリオニーに後ろに隠されたかと思いきや、更にシエルに腕を引っ張られ最後尾に立たされた。大人2人の後ろに回らされたファウスティーナは斜め後ろに来たヴェレッドを見上げた。
「あの方がフリューリング先代侯爵夫人ですか?」
「そうなんじゃない?」
「そうだよ、ファウスティーナ様」とシエルは頷いた。
「エルリカおば様、早くアップルパイを一緒に食べましょう!」
「そう急がなくてもアップルパイは逃げませんわよ? エルヴィラさん。あら?」
前が見えないので状況がよく知れない。エルヴィラと夫人ーエルリカの話から、アップルパイを買ったのだろう。ヴィトケンシュタイン公爵邸からアップルパイを売っている『エテルノ』へは先程帰ったばかりの筈のエルリカが買うのは無理。必然的に父と戻る最中エルヴィラが買ってもらったのだと推測出来る。
エルリカの訝し気な声を聞くあたり、此方に気付いたのは明白。
「お、王弟殿下……? いらしていたのですか」
「ええ。ご無沙汰しております、夫人。私の用は終わったので失礼しますね」
「お待ちになって! ……折角、いらしたのなら、殿下もご一緒に如何ですか?」
気色悪、と薔薇色の彼が漏らす。嫌そうに舌を出していた。
このまま夫人にバレずに通り過ぎたくても、不可能な話で。
「リオニー様? お姉様は一緒ではないのですか?」
王城で会った際、リオニーと一緒にフリューリング邸に行くとなったファウスティーナがいないのを何も知らないエルヴィラが疑問に出すのは当然で。
「……何ですって?」
シエルに向けた放った甘い声色から、瞬時に低い怒りが籠った声が発せられた。びくっと体を震わせたファウスティーナはシエルの足元にしがみ付いた。
「リオニー! どういう事!? あの子は此処にいるの?」
「……だから何です。母上に会わせる訳ないでしょう」
「っ! 今すぐにわたくしの目の前に出しなさい!!」
大嫌いなアーヴァに似ているだけで激しい憎悪を向けてくるエルリカに恐怖以外抱けない。シエルの手が頭に乗った。今更言い訳しても既にいるのはバレてしまった。
「っ!! アーヴァと似ているのは見た目だけじゃなかったようね……!」
「お……おば様……?」
エルヴィラが呆然としている。エルリカの変貌に頭が追い付いていない。
出るか、出ないべきかをファウスティーナは物凄い速さで頭を回転させた。出ても出なくても碌な目には遭わないだろうが、意を決して前へ出ようとするもシエルに頭を押さえられてるせいで叶わない。
「ヴェレッド」
「はーいはい」
シエルに呼ばれたヴェレッドが適当な返事をしながらファウスティーナを抱き上げた。「うわ!」と驚き、落ちないよう首に腕を回した。
「しっかり掴まってて」と言われ、首を縦に動かした。
彼等と距離が離れていく。「待ちなさい!! その娘を此処へ置いて行きなさい!!」エルリカの怒声だけは小さくならなかった。
正門から逆の方向へ走って行くヴェレッドを呼ぼうとしたら、口を閉じててと言われ。軽々と石壁を飛び越えたヴェレッドの身体能力に吃驚した。
地面に着地したヴェレッドに下ろされて走っている最中乱れた髪を手櫛で直された。
「はあ疲れたーお嬢様太ったねー」
言う程疲れてない上、台詞が棒読み。しかし、言われた台詞が気に入らずジト目で見上げてしまう。
嘘嘘、と頬を撫でられても嬉しくない。
「司祭様とリオニー様とはどうやって合流しますか?」
「2人を乗せた馬車が此処に来るのを待とう。つうか、妹君があのおばさんと一緒に歩いて来るなんて予想外なんだけど。公爵様はどうしたのさ」
いくらエルリカがいるからと言って、エルヴィラを置いてシトリンが先に屋敷に戻る訳がない。何故シトリンはいなかったのだろうと考えていると馬車は来た。馭者のジュードが心配した面持ちをしており、席から降り扉を開けてくれた。
車内に乗り込みリオニーの隣に座った。ヴェレッドも向かいのシエルの隣に座った。2人が乗ったのを確認し、ジュードは扉を閉め再び馭者席に戻った。
馬車が動き出した。
「すまなかったなティナ嬢。まさか、あんなタイミングで戻って来るとは……」
「お父様の姿がありませんでしたが」
「あの後すぐに飛んできた。母上とは外のすぐ近くで会ったらしい」
馬車を停車させて降りたシトリンとエルヴィラはエルリカと他愛ない会話をした後、エルヴィラが一緒にアップルパイを食べようと誘い、ヴィトケンシュタイン公爵邸に戻った。普段と変わらないエルリカがファウスティーナとは会っていないと判断してしまったシトリンは2人をそのまま行かせ、エルリカを乗せていたフリューリング家の馭者に後程ヴィトケンシュタイン家の馬車で送ると話していた時にエルリカの怒声が届いた。
シトリンが駆け付けた時、ファウスティーナはもうヴェレッドに抱き抱えられて正門とは別方向へ行っていた。
「ふわあ……ふあ……」眠そうに欠伸をしたヴェレッドは「あのおばさん、妹君には好意的だったね」と呟く。ファウスティーナが嫌われているのはアーヴァに似ているから。アーヴァに似ていないエルヴィラは可愛いのだろう。
――良かった……
もしも、前の自分だったりエルヴィラを羨まし続けていたら、リュドミーラとベルンハルドだけではなく、エルリカにも好かれているエルヴィラに嫉妬していた。
前の自分を思い出して悪い事もあれば、良い事の方が多い。感謝しないと。
「あの、リオニー様。夫人はこの後フリューリング邸に戻るのでしょうか?」
「……」
厳しいリオニーの表情が全てを物語っていた。
周囲に誰がいようと、存在を知るだけで激昂するエルリカの前に姿を現したら何をされるか……。だが、ヴィトケンシュタイン公爵邸に戻ってもきっとエルリカは来る。
「こうしようか」
重苦しい空気が漂い始めたのを見計らい、柔らかな声でシエルは告げた。
「私と建国祭が終わるまで城に滞在しよう」
まさかの王城での滞在発言にファウスティーナは面食らう。発言する前にヴェレッドが噴き出した。何が彼の面白ポイントに引っ掛かったのか疑問だが、涙目になるほど笑うのだから余程可笑しいのだろう。
「あ、はは。シエル様がお城にいるなら、王様はきっと快く了承してくれるよ」
「はいはい気持ちの悪い発言ありがとう」
「褒められても何も出さないよ」
「褒めてない」
城から出て、ヴィトケンシュタイン公爵邸に着いて、また城へ逆戻り。
シエルが言うのなら良いのだろうが、どうも言い知れぬ不安がファウスティーナの周りを漂う。
「司祭の仕事はどうする」呆れ気味にリオニーが問うと「仕事熱心な助祭さんが上手くやってくれるさ」と他人事なシエルに深い溜め息を吐いた。
「まあ……城に滞在なのは私も賛成だ。それで良いか? ティナ嬢」
「私は陛下が許可して下さるのなら構いませんが……」
「安心しろ。絶対に許す」
「そ、そうですか。あ……リオニー様、リンスーが」
「私がフリューリング邸に戻ったら話を付け次第、ティナ嬢の世話の為として城へ送り届ける。今日は我慢をしてくれ」
「はい」
良かった、と安堵する。
シエルもリオニーもヴェレッドもファウスティーナが城に滞在する事をシリウスが許すと言う。何故か、シエルがいるから許してくれそうな気がする。
ベルンハルドに会った時、どう説明をしようか考えた。
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