地下に封印されている元王太子
「ふわあ……ねっむ」
「ねえ坊や君。君いつも思うけどよく寝るよね」
「うっさい。なんでお前いるの帰ってよ俺寝るの眠いの怒ったシエル様と会いたくないの」
「最後に本音を聞かせてくれてありがとう」
首根っこをメルディアスに掴まれ、引き摺られる形である場所へと向かわされているヴェレッド。眠いのは本当だが最後に発したシエルに会いたくないが本音。『リ・アマンティ祭』事件から10日が過ぎた。事件の黒幕とも言えるオールドの尋問は昨日で終わった。年老いた人間に草を使って真相を吐かせる罪悪感は、この2人にはない。オルトリウスがやろうかと言っても、草を使って精神を塗り替えても彼への恐怖が消えなかったらしいオールドは、オルトリウスが前に現れると酷く取り乱した。
オールドがオルトリウスを恐怖するのは、潰された右足が原因だった。右足を潰したのはオルトリウス。以前、助祭オズウェルが葡萄酒の名前を出した時明らかに動揺していた。詳細を訊ねてもはぐらかされた。
ふと、浮かんだ感想をヴェレッドが言うとメルディアスは「ああ、それ」と応えた。
「助祭さんに聞いてみたんだ。先代公爵は乗馬が趣味だったみたいでね。薬を盛った葡萄酒を大量に飲ませ、彼の乗馬技術が見たいと持ち上げて馬に乗せたんだ。案の定、明確な意識下にない乗馬は事故を起こした。怪我を負ったのは先代公爵だけ。馬は奇跡的に無事で済んだ」
「先代様も前の王様も、動物や草花には優しいからね」
「裏切らないからね、動物も草花も」
「……」
“粛清の時代”を築き上げ、運命の女神に見捨てられる崩壊寸前だった国を建て直した2人の王子。
今でこそ先王ティベリウスは第1王子、前王弟オルトリウスは第2王子だと公表されているが、本来2人には兄がいた。
第1王子が。
「あのさ、俺とお前がアレを見るのは爺さんに使うから?」
「使わないよ。オルトリウス様が代わりに様子を見てきてって」
「嘘ばっかり。自分で見てるくせにさ」
「大体の予想はつくけど」
どうなるか、と漏らしたメルディアスはヴェレッドを引き摺りながら地下の階段を下りた。階段を下り終わると重厚な石造りの扉の前に止まった。首根っこから彼の手を離したヴェレッドは蹴破るように扉を開けた。行儀が悪いと小言が飛んでくるも、作法も学もいらない貧民育ちだからと返した。後ろの男が苦笑する気配を感じるが無視無視。
扉を開けた途端、鼻につく言葉では表現し難い臭い。死臭でも、暴力の臭いでもない。例えるなら、極めて不快な臭い。
この部屋に見張りはいない。閉じ込められている精神異常者に当てられ、見張りまで精神異常を起こされたら困る。かといって、強い精神力を持っていても、陰湿さと異常な空気をずっと吸い続けていれば徐々に精神が削られ病んでいく。
ここには決まった時間、食事と身の世話をしに来る者しか入らない。
鉄格子の前から少し距離を取ってヴェレッドとメルディアスは立った。
向こう側にいる者はすぐに2人に気付き――飛んで来た。
「何時見ても気分悪い。生きててしんどくないのかな」
「はは。どうだろう。そういう気持ちをまだ持っていたら驚きだよ」
禿げが多い頭には白い髪の毛しかなく、限界まで見開いた瑠璃色の瞳は鉄格子越しにいる2人を捉えて離さない。青白い肌は皺だらけ、傷だらけの手が2人に伸びても鉄格子が邪魔をして触れられない。
言葉にならない声を発している口からは涎が垂れ続け、辺りに唾が飛び散り汚いとヴェレッドは後ずさる。
「貧民街にもこんなのはいない。身形は汚くても、皆自分というものを持ってた」
「……この方も、最初は自分を持っていた。だが、傲慢が過ぎた為に先王陛下とオルトリウス様に精神を壊された。おれやあなたが壊してきた罪人も、こうなっていると言いたいのでしょう」
「それはないよ。だって俺は用が済んだら殺してる。生き地獄なんか、見るのも嫌だよ」
「おれの場合は生かす方が多い。見せしめとも言うべきか」
「効果ある奴がいるの?」
「あるのが多いからそうしてるの」
メルディアスは多分な憐れみを込めた紫水晶の瞳で、奇声を上げてこっちに来たがっている男を見つめた。
「元王太子。名前は――……知らないなあ」
「俺も知らない。シエル様や王様も知らないんだ」
なら、誰が知っている? ――元王太子の弟2人。
「王族は余程の事がない限り名前は残されるのに」
「こいつがその余程の奴だから、でしょう」
「生かされている理由を聞くと惨い限りだ」
元王太子の人格は、当時の時代を表現したようなものだったらしい。
両親から大層溺愛され、次期国王である自分が絶対だと信じて疑わなかった。自分以外の人間は皆道具と思い込み、虫螻のように扱った。特に女性の扱いに関しては酷かった。元王太子のせいで何人者女性が泣き寝入りをし、時には自殺をし、命を落とした者もいた。それでも当時の国王夫妻や周囲は元王太子の考えを改めさせなかった。
人間としては最低最悪でも、国の頂点に立つ者としては最高だと、考えていたからだ。
メルディアスが話すとヴェレッドは眉を寄せた。
「どこだがよ」
「あはは。当時の王侯貴族は腐りきっていたからね。腐った者同士相性抜群だったみたい」
そんな元王太子の幸福も長くは続かなかった。
元王太子は成人を迎える前に、実の弟2人に重度の精神崩壊を起こす薬を投与され、廃人となってしまった。更に当時の国王夫妻も。表面上では2人共病死となっているが、実際はティベリウスによって殺された。腐った夫婦仲良く一緒に逝かせてやろうと、2人を寝室にいさせて実行したとか。
この時ティベリウス10歳、オルトリウス9歳である。
まだ少年とも言える年齢で実の両親を殺し、更に実兄を廃人に追い込み王太子の地位から引き摺り下ろした2人の行動力には戦慄するしかない。
メルディアスは淡々と言う。
「先王陛下もオルトリウス様もそうなんだけど……どんな風に過ごしていれば、そうなるんだろう」
憐れみを込めた紫水晶の瞳で元王太子を見つめていたのに、今は無機質な紫水晶だけがメルディアスの目にあった。何も映していない、何も考えていない。
ただ、そこにあるだけ。
ヴェレッドは彼を見もせず「さあ」とだけ発した。
「知りたいなら、先代様や前の王様に聞いたらいい」
「はは。オルトリウス様は、あまり昔の話はしてくれないんだ。先王陛下については、おれが気軽に話せる相手じゃないのは知ってるでしょう」
「前の王様に関しては、王様でも会うのは難しいからね。
――起きてる時間が短い」
未だ奇声を上げて腕を伸ばす元王太子に対する興味を消し、後ろを向いたヴェレッドは扉の方へ歩いて行く。メルディアスも続く。
その時。
「りじぇっとおおぉ、りじぇっとおおおおおおぉ」
ヴェレッドの足がピタリと止まった。
振り向いたヴェレッドの薔薇色の瞳は、思考など存在しない元王太子でさえ黙らせる圧倒的冷気と殺意が宿っていた。「あう……あう……」と涎を垂れ流しにして言葉にならない声を発する。やれやれと苦笑するメルディアスがヴェレッドを反対に向かせ、再び扉へ行かせる。扉を開き、出ていく直前になって再度元王太子がリジェットと叫ぶも、扉を閉めてしまえば声は遮断された。
「ナイフを投げなかったのは褒めてあげるよ。シエル様に言っておいてあげようか?」
「……いらない」
「はは……。……陛下も君も先王妃様に似ている」
「…………あの気色悪いのがここで飼い殺されてるのは、何でか知ってる?」
「……陛下に言われました」
「ふーん……王様、トラウマになってないんだ」
「陛下は強い精神力をお持ちの方ですから。というより、シエル様関連以外にだけ鉄の精神をお持ちですから」
ヴェレッドは己の左襟足を指先に巻いた。王国では他にいない薔薇色の髪。瞳の色も同じ。
彼の出自は、貧民街の孤児。幼いシエルが貧民街を訪れた時、破落戸に襲われそうになったのを助けたのが出会いの切っ掛け。その時のシエルは護衛をつけていなかった。
何故? ――会いに来たからだ。
誰に? ――母親違いの弟に。
「ローゼ=リジー=ガルシア」
ヴェレッドが不意に紡いだ名前。
それは――
「男なのに女の名前を付けるなんて、前の王様のネーミングセンスの低さが知れるよ」
「ネーミングセンス以前の問題の気がしますよ」
「リジーって名前も気に入らない」
「先王妃様、エリザベス様の愛称から取ってつけたものでしたよね」
「そうだよ。あのクソ婆はね、最初の王様と同じ髪と瞳の色をした女の子を欲しがったんだ。だけど、生まれたのは自分の姉と同じ髪と瞳の女の子。その姿を見た途端、産婆から赤子を奪い取り床に叩きつけた。当然、王女になる筈だった赤子は即死亡。んで、その後に取り出された俺は婆がまた発狂しないよう、既に死んでいる体にされて別の場所へすぐに移動させられたんだ。産声を上げなかったみたい」
産まれてすぐに場の空気を読んだのかもね、とヴェレッドは笑って言うがメルディアスはいつもの微笑を消して無表情で聞いている。
「婆にとって自分よりも美しく人気者な姉は憎しみの対象でしかなかった」
先王妃エリザベスは、元王太子と最初婚約関係にあった。しかし、ティベリウスとオルトリウスが元王太子を廃人に追い込むと生家の力を使って無理矢理、次の王太子となったティベリウスの婚約者になった。
ティベリウスには当時想い人がいた。
それがエリザベスの姉――リジェット。
ヴェレッドと同じ薔薇色の髪と瞳の色を持った、美しい令嬢だったらしい。
婚約時代、元王太子から何度もリジェットとの容姿を比べられ、馬鹿にされていた。エリザベスも美しかったがリジェットと比べるとあまりに大きな差が出てしまった。
「王家の色を持った娘をと望んのだのに、いざ生まれたのが姉と同じ髪と瞳の娘。姉に大きな劣等感を抱いていた婆からしたら、姉の呪いだって発狂するのはおかしくない」
ヴェレッドは髪を放して歩き始めた。
メルディアスも続く。
「元王太子が生かされてる理由だけど、もう要らないと思うんだけど」
「決めるのは陛下です」
「王様と王妃様は、王太子様と第2王子様を作ったんだ。第2王子様は病弱だけど、現状王太子様には問題なしだから王位継承者の心配はない。王太子様とお嬢様の関係も良好。あいつ要る意味ない」
ファウスティーナが実はベルンハルドとの婚約破棄を願っているとは内緒。この先どうなるかは誰にも分からない。運命の女神か、はたまたイル・ジュディーツィオのみが知る。
元王太子の存命理由は、いわば戒め。他者を道具と蔑み、自分こそが絶対の王だと傲慢に振る舞っていれば、自分の末路は精神崩壊と見ることで、決して驕らず、暴君にはならないと決意を新たにする。
「元王太子はあくまでも先王陛下とオルトリウス様の戒めの象徴です。処分については、その内下すでしょう。それに、下手に近付かない限り元王太子が他人に危害を加えるような事は絶対にありません」
「王様は下手に近付いて襲われかけてたけど」
「先王妃様が無理矢理陛下を元王太子の所へ連れて行ったのですよ。理由までは知りませんが」
「前の王様が気付いて助けに行ったんだっけ」
「そうです。……そろそろ着くので無駄話はここまで。元王太子絡みの話、陛下はお嫌いですから」
「俺も嫌い」
読んでいただきありがとうございます。




