弐拾参
「申し訳ありません、宰相」
「いや、ここは一応、戦場だ。そんなこともあるだろう」
チェン将軍は椅子に深く腰掛けて向かい側に座るスヨンに謝罪した。今度はスヨンの方が軍の略装である。戦場で足の骨をぽっきり折ってしまったチェン将軍は、次の襲撃時に備えられないと判断したのだ。あいにくと、スヨンの治癒術の腕では戦場に出られるほど回復させることができない。骨はつながっているはずだが、仮止めのようなものだ。
「兵たちには宰相の指示に従うように言ってありますので」
「……まあ、助かる」
最後に戦場に出たのはいつだろう? 五年前の内乱の時だろうか。当時を知っている兵も多いので、何とかなるだろう……たぶん。正直、リンフェイに早く来てほしい。
夕刻に終了した戦闘は、翌日再開されることはなく、夜明けごろに奇襲を受けた。要塞の城門を破壊し、侵入を試みたわけだ。しかし、落ち着いて冷静に対処すれば何とかならないわけではない。
少なくとも、要塞内に踏み込まれる前に叩きのめさなければならない。ふとスヨンは顔をあげると、小さく呪文をつぶやいた。向けられていた術にぶつかり、両方の術が喪失する。
厄介なのはこれだ。威族に術者が多すぎるのである。おそらく、流れ者を受け入れているためだろうが、こちらは術者をそろえていないのでやりづらい。
禁軍には威族の兵を押さえてもらう。タンはなかなか優秀な指揮官のようで、統率のとれた動きをしている。後方からスヨンは矢をつがえた。
「宰相?」
護衛についている兵が驚いたようにスヨンを見た。別に護衛はいらないと言ったのだが、さすがにそうはいかなかった。戦場に出れば、リンフェイにですら護衛が付くので仕方がない。
戦う兵たちの間を抜けて、放たれた矢は敵将の首を貫いた。その敵は落馬する。
「お見事!」
驚いたように護衛が言った。さらにもう一矢つがえる。
何とか戦況は押し返せそうに見えるが、いつひっくり返るかわからない。まあ、多少何かが起こったとしても、チェン将軍が対処してくれると信じて……いる。
敵だけでなく味方を巻き込むかもしれない大規模な術を使うわけにもいかず、スヨンは時折思い出したように矢を放ち、飛んでくる術をできる限り打ち消す。……いや、正直に言おう。打ち消すのは難しいので、狙いをそらしている。
それに気が付いたのだろう。威族の一人がまっすぐにスヨンを狙ってきた。槍を構えた騎兵がつっこんでくる。さすがにこの速さでつっこんでこられたら、飛び道具で対応するのは無理だ。スヨンが剣を引き抜き、槍での攻撃を受け流す。あまり得意ではないが、仕方がない。得意ではない、と言うが、それはリンフェイと比べるからであって、人並みの心得はある。
護衛の兵がスヨンをかばうように参戦するが、この敵はなかなか手ごわかった。――――その時。
「どいてーっ!」
戦場には似つかわしくないやや間抜けな声が聞こえ、上から人が降ってきた。文字通り、降ってきた。
両足を地につけた彼女は、馬上の槍使いに向かって剣戟を放つ。長い槍に一瞬振り回された瞬間に、馬の足を斬りつけ、落馬しかけたところに鋭い剣戟を食らわせた。
「……お前、ますます人間離れしてきたんじゃないか?」
「ご挨拶だね。助かった、くらい言えないの?」
「助かった……元気そうでよかった」
彼女、太尉リンフェイは目を細めて笑った。
後続部隊を連れてきたリンフェイが現れてから、戦況は明らかにこちらに有利になった。兵たちの士気が上がったのもあるが、やはり、リンフェイは戦い慣れている。
「そう、もっとひきつけて。一撃で片を付けよう」
そう言ったリンフェイはわざと要塞の敷地内に威族を引き込み、派手に爆破した。やることがえげつない上に派手だ。
「太尉、お早いお着きで」
「ああ、チェン将軍。迷惑をかけたね」
松葉づえをつくチェン将軍に、リンフェイは苦笑を浮かべて謝った。
「いえ。宰相がいましたから。しかし、相変わらず派手ですね」
「まあね。戦意をくじく方が先だと思って」
「向こうがハオユー様を人質に脅迫してきたらどうする」
発言したスヨンを、リンフェイは振り返ってじっと眺めた。
「そんなことにはならない。彼らが我々に挑む正当性は、ハオユーが王位を取り戻そうとしている、それに手を貸している、と言う点に尽きるのだから。彼を人質になんてしたら、本末転倒じゃない」
そうなったら、リンフェイはためらわずにハオユーを切り捨てて威族にお帰り願うだろう。
「ま、そんなことはしたくないけどね」
さすがのリンフェイにも、良心はあるのだ。従弟を大事にも思っている。
彼女はハオユーが王位を捨てて逃げた時、追わなかった。それは、覚悟のないものを無理やりしばりつけないための言葉でもあったのだ。
「だが、正直ハオユー様には姿を見せてほしいところだ……これ以降はお前に任せるが」
「もちろん。あ、でも、あと二日で終わらせるから、スヨン、一緒に帰ろう」
「は?」
スヨンもチェン将軍も笑顔の色素の薄い女を見た。立派な軍装に身を包んだ彼女は、にっこりと笑っている。
「二日で? そんなことが可能なんですか」
チェン将軍がいぶかしげに言うが、リンフェイは力強く言い切った。
「可能か不可能かではなく、終わらせるの。じゃないと、私の通力が持たない!」
やはり無理をしてやってきたようだ。スヨンを側に置きたいのは、彼があり余る通力を持っているので、分けてもらうためだろう。
「しかし、現実問題、どうするのですか」
戦って勝つにしても、ハオユーがとらわれている限りこちらとしてもどうしようもない。何度でも、乗り込んでくるだろう。なら、ハオユーを取り戻すしかないのだが……。
「簡単だ。明日、私が威族に話をつけに行く」
「はあ?」
スヨンもチェン将軍もそろって怪訝な声をあげた。何を言っているのだ、この女は。
「あなたたちも言うように、どこかでハオユーの顔を見に行かなければならないからね。決裂すれば、圧倒的物量で押し倒せ」
リンフェイはさらりとそう言った。つまり、スヨンとチェン将軍は居残りと言うことだ。彼女だけで行くつもりらしい。
それは正しい。おそらく。王族である彼女の話なら、タンも聞かざるを得ないだろう。
しかし、それは同時に、もし交渉がうまく行かなければリンフェイごと吹き飛ばしてしまえ、という苛烈なことを言っているのと同じだ。
「……お一人で行くつもりですか」
「まさか。護衛くらいは連れて行くよ。でも君たちはお留守番」
スヨンとチェン将軍は再び顔を見合わせる。物言いたげな男二人に、リンフェイはきっぱりと言った。
「ここは戦場だ。宮廷では宰相の方が偉かろうが、私に従ってもらう」
「……」
やはり彼女はただの姫君ではなく支配者だ。この男二人に、否やを唱えることはできなかった。つまり、この二人は翌日、彼女を送り出したわけである。
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