拾漆
「な、な、な!」
慌てふためくズーシェンをランフォンに預け、スヨンは王の私室を出て廊下を駆ける。普段はそんなことはしないのだが、緊急事態である。
「どうした!」
通りかかった兵に尋ねると、兵は「宰相!」と安堵したような表情を浮かべる。指示を出すはずの太尉が捕まっているのだから無理もない。
「わかりません! 突然、王宮内に武器を持った襲撃者が……」
今、軍が対応しています、と彼は答えた。状況が分からない。自分で見たほうが早いと、スヨンはその兵に場所を尋ねてそちらに向かうことにした。
「……なんだ、あれは」
表現が微妙になるが、黒い集団が逃げ惑う官吏を切りつけている。武官もいるが、統率がとれていない。最高軍事権を持っている太尉が捕まっているとはいえ、将軍もいるはずだが、何をしているのだろうか。
そもそも、どうやって王宮内まで踏み込んできたのだ。城門を守る兵士もいるし、強力な結界も張ってある。尤も、その結界はどこかゆがんでいるが。
「ユージン!」
「ああっ、宰相!」
リンフェイの『影』と合流し、スヨンは事情を尋ねる。
「どういうことだ?」
「いや、さっぱり。けれど、イーミンさんによると、昨日の時点でかなり守りの術が緩んでいたとのことです。……あと、攻め込まれたのは姫様が不在だからだと……」
「……」
リンフェイは戦の天才だ。彼女の存在あるなしで、兵の士気が変わるくらいに……。
「……そう言えば、結界についてはリンフェイも昨日言っていたな……」
違和感があると言っていたのは、結界が緩んでいたせいだろう。現実逃避気味のスヨンに、ユージンが言う。
「とにかく、指示をください!」
リンフェイがいないのであれば、宰相のスヨンが指示を出すしかない。いつもはリンフェイに任せているが、彼もそう言う指示が出せないわけではない。
「非戦闘員は建物の中に入れ。軍の一部隊は、そちらに、残りは侵入者を相手取る。全員、防衛計画通りに動け! 王宮内各所の状況は私に知らせること」
「はっ」
途端に彼らの動きに統率が見られるようになった。裏門からも侵入者がいるようで、そちらにも兵をまわす。
「おい、誰かリンフェイを軟禁先から出して来い! というか、あいつ今どこにいるんだ?」
スヨンは彼女の軟禁先を聞いていなかったことを思い出した。ユージンがすっと、その場から見える桃林の中にある塔を指さした。
「白楼か」
「の、最上階です」
勝手に出てきそうだな、と思ったのは内緒だ。
戦闘力として頼りになるので、ユージンは手元に置いておき、別の兵士を島に向かわせた。スヨンの指揮により、侵入者たちが制圧されていく。練度としては、大したことはない。
と、一陣の風が吹いた。明らかに自然発生したものではないその風に、スヨンは瞬間的に不安を覚えた。
暴風が吹き荒れた。通力を含んだその風は、容赦なく侵入者を襲う。味方にも被害皆無とはいかない荒っぽい風だが、確かに片は付いた。そして、その風に合わせて急速に結界が修復されていく。
「……今のうちに全員拘束しろ」
「りょ、了解」
侵入者たちが次々と拘束されていく。しばらくすると、「おーい」という女性の声が聞こえてきた。
「やっほー」
やたらと能天気なその声は。
「ああっ! 姫様!」
ユージンが驚いた表情になる。それから言った。
「絶対に自分で出て来たでしょう!」
「私を捕らえるのなら、もっとちゃんとした牢を用意しないとね」
しれっと言うリンフェイに、ため息をつくスヨンだった。
自力でここまでやってきたリンフェイは、一人の男を連れていた。長い黒髪は乱れ、顔は腫れて切れ長気味の目は開かないようだ。口の端は切れている。
……ぶん殴ったな。
王太后リイェンのお抱え術者だ。見る影もないが、リンフェイを罠にはめようとした結果なので自業自得と言えばそうである。スヨンとユージンの白い目を見て、リンフェイは「一応手加減したよ」と言い訳する。それからにっこり笑った。
「で、私の容疑は晴れた?」
まだだった。
△
まるで自室にいるようなゆったりした着衣で、髪を緩く束ね、椅子に座ってお茶を飲んでいる。リンフェイだ。完全にくつろいでいるリンフェイだが、その仕草は優雅で、さすがは公主といった貫禄だ。リイェンもいい線行っているが、リンフェイには負ける。
「……どうしてわたくしを殺そうとした女と一緒にお茶を飲まなければならないの」
花茶に口をつけるリンフェイとは違い、リイェンは本当に毒殺を警戒しているのか、花茶に口をつけない。
「それは私があなたの殺害など企てていないからだ」
「嘘よ!」
卓をたたき、リイェンが立ち上がった。茶器を卓に戻したリンフェイは落ち着き払って言った。
「では、私があなたを暗殺して、何の得があるというの? 私にとって脅威にならないあなたを排除する意味がない。私がわざわざそんなことに労力を割くと思うの?」
リンフェイはお茶をすする。
「そもそも、やるなら私は毒は使わないね。足がつく」
ぐっとリイェンがのどを詰まらせる。リンフェイは卓に肘をつき、リイェンを見て笑った。
「あなたを毒殺しようとした犯人が私だと騒いだ時点で、あなたはこの件が自作自演だと騒いでいるようなものなのだよ」
ゆっくりと卓から腕をひき、リンフェイは残っていたお茶を飲みほした。
後宮の一室であるこの部屋には、リンフェイとリイェンのほかに、スヨン、ズーシェン、ランフォン、イーミン、そしてパイロンがいた。パイロンについては、拘束されてさらに力を封じるための印を描かれている。
リンフェイの容疑は星見の宴でのリイェンの毒殺未遂だ。それを晴らすためには、どうしても証言が必要なのである。スヨンの羹にわざと毒を混ぜた、という証言が。
先に、解雇された給仕係を見つけ出し、話を聞くのは難しくなかった。それほど時間が経っていないので、遠くに行っていなかったのだ。毒を入れた覚えはないと彼らは証言したし、スヨンについていた毒見役も毒は入っていなかったと証言している。特に、スヨンと毒見役は同じものを食べているのだ。共通して効く毒は入っていなかったとみるべきである。
彼らが嘘をついている可能性も無きにしも非ずだが、嘘をつく理由もない。金をつかまされていたとしても、命は惜しいだろう。
余裕なリンフェイは女官が持ってきた新しいお茶をすすり、月餅をつまむ。いわく、ここで一つくらい疑いが増えたところで自分の評価に影響はない、という冷静な判断によるところだ。戦の天才は突発的事体に強かった。
「ま、言いたくないなら言わなくてもいいさ。これで私の敵が増えるようなことはないからね。御史台にかけられても、証拠不十分ですぐに解放されるだけだ」
仮にも王族であるリンフェイだ。戦時であればともかく、彼女の功績がある間は、御史台もそう簡単に処分はできまい。
「……母上。僕も今リンフェイ姉様に手を出すのは悪手だと思う。姉様と母上の仲が悪いのは知っているけど、でも、お互いを殺そうとするほどだとは思えない」
ズーシェンが冷静に言った。リンフェイは威圧感があるが、感情を排除した冷徹な判断を下せる女でもある。そして、リイェンも感情的ではあるが、王族の正妻となれるくらいの教養はあるのだ。
リンフェイの真似をするように、ズーシェンはお茶を飲んでから尋ねた。
「母上、そそのかされた?」
こういうところを見ると、本当にズーシェンは賢明な王だと思う。鋭いところをついてきた。
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