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拾陸










 身なりを整えたスヨンが最初に向かったのはソン尚書のところだった。まだ夜が明けたばかりだが、彼ならいるだろうと踏んだのだ。スヨンやリンフェイに代わって事後処理をしていたのなら、帰りたくても帰れなかったはずだ。


 吏部尚書室に声をかけると、やはりいた。

「失礼、ソン尚書」

「いらっしゃいましたか、リャン宰相。やはり、早く覚悟を決めたほうが良かったでしょう?」

 にこにことこの状況でそんな冗談をいうソン尚書はいろんな意味で強い。同じような言葉でからかわれたことのあるスヨンは「そんなことはどうでもいいだろう」と切り捨てる。ソン尚書も不敵に笑った。

「まあ確かに? ここでヤオ太尉がいなくなれば、覚悟を決めるも何も無くなるわけですし」

 飄々とソン尚書は言ってのけた。ソン尚書は、たまに頭が良すぎて周囲がついて行けていないときがある。まあこれはそんな高度な話ではなかったが。

「そういう私としても、ヤオ太尉に去られると困るのですよ。だから、宰相も私の元へ来たのでしょう?」

「ああ。お前は味方としては頼もしいからな」

「それはありがたいお言葉です」

 ニコッと笑うソン尚書は胡散臭いが、この国随一の頭脳を持つこの二人が組めば、確かに最強ではある。イーミンあたりが聞いたら、最恐の間違いでは? とつっこんでくるだろうが。


「私やリンフェイに代わり、あなたとワン尚書が後始末をしてくれたと聞いたが、現場は片づけてしまったか?」


 何か事件があった場合、その現場は片づけずに現状のまま保存しておくのが習わしだ。しかも、今回のような身分の高い相手が狙われた毒殺騒ぎなどは、特に。

「ええ。王太后様の命令で」

「……だろうな」

 では、スヨンが口にした料理などもすべて捨てられてしまっているだろう。リンフェイに至っては、何かほかの凶器を持っているかもしれないということで、身ぐるみをはがれてきていた衣装も処分されたそうだ。かなり高価な布地だったと思うのだが、もったいない。

「リンフェイは毒物を持っていたか?」

「いいえ。武器になるようなものは何も持っていなかったと聞いております」

「だろうな」

 リンフェイと言う女は、存在自体が武器のような女だ。こんな、騒ぎになることが目に見えている毒物騒ぎを起こす必要などかけらもなく、リンフェイはリイェンを暗殺できる。そうしないということは、リンフェイに彼女を害する気がないということに他ならない。

「……普通に考えたら、リンフェイを排除したい王太后が仕組んだことなのだろうが」

「術者が協力者でしょうし、そうでしょうね。ついでに宰相のことも排除出来たら、くらいに思っていたのでは?」

 あり得る話だ。おそらく、スヨンが口にしたのは彼にしか効かない『毒』の蕎麦。同様に、リイェンにも彼女にしか『毒』とならない甲殻類がある。そのことから、今回の計画を思いついたのだと思われた。


 スヨンが蕎麦を食べられないことは、あまり知られていない。王であるズーシェンも知らないだろう。リンフェイは知っているはずだが、現在軟禁状態。ソン尚書が調べるべきだと掛け合ってくれたようだが、けんもほろろだったそうだ。

「……まあ、仕方がないな」

「羹に蕎麦が入っていた、と証明するのは難しそうですね」

 りょうりを作った者たちも、口止めされているだろう。もう王宮内にいない可能性も高い。

「なら、リンフェイは王太后の毒殺を企てていない、と証明する必要があるが……」

「また難しいですね。昔から、太尉と王太后様はそりが合いませんから」

 ソン尚書もさすがに憚って遠回しに言ったが、単純に、リイェンはリンフェイが怖いのだ。虚勢を張ってリンフェイに対し強気に出るからリンフェイも強気な態度になる。

「となると、太尉の力が必要になるくらいの事件でも起きてくれれば一気に解決なんですけどね」

 結構危険なことを言うソン尚書だった。スヨンが蕎麦を食べられないと言ったにもかかわらず、蕎麦粉を使用したりょうりを出した、という線からせめることも考えたが、配膳間違いで押し切られるのが関の山だろう。


「……いっそのこと、主上を盾に脅迫でもしてみるか?」

「あなたが? 害する気がないと一瞬でばれますよ。と言うか、あなたも過激ですねぇ、宰相」


 だいぶ煮詰まっている。情で動くような状況ではない。理詰めで考える必要があるが、その理を考えるのが難しい。


「……そもそも、王太后を排除して、リンフェイに何の得があるというんだ?」


 スヨンのつぶやきに、ソン尚書が「そう言えばそうですね」とうなずく。確かにズーシェンにいらんことを吹き込んでくれたりはしたが、リイェンは政に対して干渉する権限を持っていないし、力もない。そこは、王であるズーシェンもはっきりと線引きをしていた。

 つまり、武官として一定の地位を確立しているリンフェイは、リイェンによって脅かされる心配はない。リイェンの方が彼女を邪魔に思っていたとしても、簡単に殺されてくれるような女ではない。と思うと。

「なんだか、心配するほどのことでもない気がしてきましたねぇ」

 ソン尚書の言うとおりだ。王宮の外にだって世界はあるし、そこで生きていくだけの知恵も力もあるのがリンフェイだ。

「……そうだな。ひとまず、できるところからやっておこう。私は主上の様子を見てくる」

「わかりました。私は刑部尚書と相談してまいります」

 と、一旦二人は別れた。夜が明けており、他の官吏も出勤してきているだろう。


 王の私室に向かうと、後宮女官長のランフォンが驚いた様子で駆け寄ってきた。

「宰相、ご無事で! それより! 姫様は!!」

「わかっている。主上はいらっしゃるか」

「ご在室です」

 ランフォンにつなぎを取ってもらい、スヨンはズーシェンの私室に入った。

「スヨン! 大丈夫なの!?」

 小柄なズーシェンに確かめるようにぱたぱたと体を触られる。

「大丈夫ですね」

「あ! 術者の術が効いたの……?」

 何故か不安そうにズーシェンが尋ねた。聞いた話によるとそうなのかもしれないが、良くわからないというのが現状だ。蕎麦を食べただけなら、吐かせれば容体は落ち着く。


「そのあたりはよくわかりませんが。主上。主上は、リャン太尉の状況をご存知ですか?」


 尋ねると、ズーシェンは「そうなんだ!」と声を荒げる。


「リンフェイ姉様が母上を毒殺しようとしたとかで捕まったんだよ! 一応、姉様がそんなことするはずないって訴えてみたんだけど、聞いてもらえなかった」


 姉様なら毒殺なんて方法取る必要ないでしょう? とズーシェン。従弟にも性格がばれている。

「シュラン姉様も、母上を説得しようとしてくれたんだけど、母上はどうしてもリンフェイ姉様を排除したいみたい……」

 それがわかるだけ、ズーシェンはやはり賢い。その背後に、何らかの陰謀があることに気付いている。

「確認なのですが、主上、王太后は甲殻類が食べられないのですよね?」

「え? 甲殻類って、海老とかだよね。母上の好物だけど」

「……では、今回の宴の献立はどなたが考えたのかご存知ですか?」

「母上が占いで良いものを選んだって言ってたよ」

 やはりだ。背後で、リイェンをそそのかしたものがいる。スヨンが蕎麦に免疫過剰を起こすことを知り、それを利用して毒殺騒動をでっち上げようとしたものが。その計画を立てたのは、おそらく、リイェンではあるまい。

「……なるほど。これはぜひ、リンフェイの拘束を解除してほしいところですね」

 その時、緊急時の鐘が響き渡った。











ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


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