拾弐
本来なら丸っとリンフェイに投げてしまいたいところだが、そうもいかず、スヨンは後宮内にある王太后の居室を訪れていた。王太后とリンフェイの中は最悪なので、事前に手を打っておく必要があったのだ。
「あなたの方からやってくるなんて、珍しいこともあるものね? リャン宰相」
後宮の居室で優雅に花茶をたしなみながらスヨンを出迎えたのは、彼よりいくらか年長に見える女性だ。王太后リウ・リイェン。年齢は三十九歳で、スヨンより三つほど年上だ。その美貌は衰えはしたものの、まだ見るものを魅了する。
「主上より、星見の宴を開きたいとのお言葉がありましたので、後宮の責任者たる王太后様にも意見をお聞きしようかと」
リイェンはうちわで口元を隠すと、笑ったように見えた。目が笑っていないが。
「まあ、ズーシェンはわたくしの意見を聞いてくれたのね。よろしいかと思いますわよ、宰相」
尊大ではあるが好意的に見えるリイェンだが、彼女はスヨンのことも疑ってかかっている。
「……宴の責任者はリャン太尉となります。後で彼女がこちらを伺うかと」
「……あら、そう。あの小娘、まだ太尉に居座っているのね」
恥知らずではしたないこと、とリイェンはすまし顔で鼻で笑う。まあ確かに、リンフェイは図太く、女だてらに剣を振りまわすような娘だが……リイェンがリンフェイを敵視するのは、そのせいではない。
単純に、リイェンは怖いのだ。リンフェイのことが。
自分たちとは違う、異国風の容姿。そして、『旧き友』チェン・リーメイに育てられた娘。もともと王であった男の血をひく娘。
リイェンはリンフェイが両親を亡くした後、つらく当たった実績がある。その報復をされるかもしれないと思って恐れているのだ。リンフェイのことをよく知っていれば、彼女がそんなくだらないことで手を出す人間ではないことはわかりそうなものであるが、リイェンは彼女を避ける……のではなく、果敢に嫌味を言って苛め抜いた。
しかし、それで泣き寝入りするリンフェイではなく、こちらも果敢に応戦。どちらも大人げないことこの上ない。
そして現在、接触を最小限にすることで膠着状態を保っていたのだが、それも今日までだろう。
スヨンは割と穏便に後宮を後にしたが、夕刻ごろ訪れたリンフェイはそうもいかなかったようだ。宮廷まで後宮からの怒気が伝わってくるようだ。
日取りはいつにするか、どれくらい人を呼ぶか、料理は何にするか、演目はどうするか。決めることはたくさんあるのだが、リンフェイとリイェンの二人で決められるのだろうか。リンフェイはあらかじめ大まかな計画を立てており、宰相のスヨンに許可をもらっていたが、うまく行かなかったようだ。礼部侍郎もついていったはずだが、生きた心地がしなかったのではないだろうか。丸投げしているスヨンもスヨンだが。
「もし、宰相様」
呼びかけてきたのは女官長のランフォンだった。リンフェイほどではないがすらりと背の高い彼女は、少年を連れて庭にいた。少年とはズーシェンのことである。
「どうかなさいましたか、主上」
「……母上と姉様が怖い」
「……」
咎めるように睨んでくるのはランフォンだ。彼女はリンフェイがズーシェンを守るために後宮に入れた女性だが、仕事ぶりは確かだ。そして、二人の様子を見るに、リンフェイとリイェンは周囲が慄くほどの言い合いをしているのがわかる。
「……まあ、どこかで妥協しなければ、話は進みませんからね……この場合は、リンフェイが折れるべきでしょう」
スヨンは呆れて言った。リンフェイは公主であるが、その立場は微妙である。対して、リイェンは王の母だ。臣下として仕えている以上、リンフェイがリイェンの要求を呑むべきである。しばらく礼部は胃が痛いだろうが。
「……姫君もわかっていないわけではないと思いますけれど」
ランフォンが不安そうに言った。彼女の言うとおり、リンフェイもわかっていないわけではない。リイェンもわかっている。だから王太后が強く出る面もあるのだ。
「さて、そろそろ戻りましょう、主上」
「戻りたくない……スヨンのところで泊めてほしい……」
どんよりしながらズーシェンはランフォンに連れられて後宮に戻っていった。スヨンは持っていた資料を抱え直し、ふと庭の奥に目をやった。一人の青年が眼に入った。
ほっそりとした青年だ。長い黒髪を束ね、切れ長の目を細めている。スヨンもその目を細めて青年を見る。
強い通力だ。まさか、と思ってしばらく観察していると、青年の方から視線を逸らした。後宮の方に歩いていく。
あの力の強さ。彼がリイェンのお抱え術者で間違いないだろう。彼がパイロンであるかは不明だが……。
帰宅したスヨンはしれっと居座っているイーミンを見て、そう言えばこいつがいるんだった、と思い出した。彼は長椅子で伸びていた。
「お前、何してるんだ?」
「あ、お帰り兄さん」
「……」
自分も人のことは言えないが、リーメイのところで育った人間は大概図太い。
「ああ、姫君に言われた方がいいよね」
もう結婚しちゃいなよ、とイーミンは適当に言う。スヨンは彼の向かい側の椅子を引き寄せて座りながら言った。
「……年が違いすぎる」
「別に珍しいほどではないでしょ。と言うか、好きなのは認めるんだ」
「……」
ジンがにこにことお茶を持ってきた。もうすぐ夕食ができますよ、と言い置いて。お茶でのどを潤すと、スヨンは尋ねた。
「それで、何か分かったか?」
「ああ、例の出し物は明日の夜だから、今日は街の様子を見てきた。……いつもより、通力を持つ人間が多い気がする」
「……どういうことだ?」
「さあ。こういうのは姫君の役目でしょ」
と、イーミンもお茶をすする。
「リンフェイは今それどころではないからな」
と、スヨンはそう言ってから、ん? と顎に指を当てて考え込んだ。
不自然に術者らしき人が増えていることがわかるのに、リンフェイもスヨンも手を出せない。王宮内がそれどころではないからだ。
……そこまで考えられているのだろうか。少なくともリンフェイを引き離すために、宴を提案した?
とすると、リンフェイがいると目的が達成できない? それとも、リンフェイを宮廷に釘付けにする必要があったのだろうか。まあ、どちらでもやっていることは同じだが……。
「……兄さん、考え込むと無口になるよね。解説してくれる姫君がいない……」
話したとしても言葉も足りないしね、とイーミンは言いたい放題だ。考え込んでいたスヨンの意識は現実に戻ってきた。
「お二人とも、夕食の用意ができましたよ」
ちょうど、ジンから声がかかった。イーミンが「ジンさんの菜はおいしいよね」とにこにこしている。
「兄さん、考え過ぎても仕方ないよ。一旦切り替えて、明日考えよう。宮廷に行けば姫君だっているし、明日には僕もその出し物とやらを見に行くし。とにかく今はおなかがすいた」
おなかがすいてるとろくなこと考えないよ、とイーミン。欲求に忠実であるが、確かにイーミンの言うことにも一理ある。
「……そうだな」
イーミンの意見を採用して、一旦問題を置いておいて食事にすることにした。
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