帝の秘策
宗教寛容令、そして宗教特区令の圧倒的な否決。
その結果を受け、リュカたちは作戦の変更を迫られていた。
この事態をテレサ女帝に上奏すると、女帝は静かに口を開いた。
「ならば、こちらは伝家の宝刀を抜けばよい」
「……よろしいのですか?」
念を押すリュカに、テレサは迷うことなく答えた。
「国家のためとあらば、朕もそちに手を貸そう」
ありがたい。
リュカは深々と頭を下げた。
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そして翌日。
陛下御臨席のもと、再び議会の閉会式が執り行われた。
宗教寛容令と宗教特区令を相次いで圧倒的な差で否決に追い込んだことで、ユニマル譜代の貴族たちは、すっかり勝利を確信していた。
――しかし。
彼らにとって、まさに青天の霹靂となる事態が起こった。
「動議を提出いたします!」
東国、南国、北国の諸国出身議員たちが、宗教特区令の適用を求めて動き出したのである。
ユニマル譜代層は、すぐさまこれをリュカの陰謀だと批判した。
だが、当のリュカ自身も驚いていた。
「……これは?」
ふと、最近になって頻繁に届いていた手紙のことを思い出す。
リゼ皇女、クシイナダ姫、そして北国の新主チンキム。
多忙のあまり、まだ開封していなかった彼らからの信書を確認してみる。
すると、案の定。
いずれも宗教寛容令への賛同を示す書状であった。
特に北国からの書状には、興味深い事情が記されていた。
北国では古来より「天」を信仰の対象としてきた。しかし近年、保守層を中心に、伝統的な天信仰への回帰を求める声が強まっているという。
なるほど。
宗教特区令は、彼らにとって単なる宗教政策ではない。
自らの文化と民族的アイデンティティを取り戻すための、絶好の機会なのだ。
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だが、当然ながら反発も強かった。
西国とユニマル譜代臣下は、なおも宗教特区令の不適用を求め続ける。
特に西国は、ダボク教の問題を抱えている。
そこで財相ダンドロを通じた財政面での協力を交渉材料にした。
つまり――
「宗教特区令を認めるなら、財政面での協力はしない」
帝国の財政を盾に、リュカを揺さぶろうとしたのである。
これには議会内のリュカ派も切り崩された。
中でも大きかったのが、皇運会の離反だった。
ここで、現在のリュカの支持基盤を整理しておこう。
前宰相カルロ殿の派閥。
皇運会の派閥。
そして、リルの実家であるピシー家と、ヘレナの実家であるロレンソ家。
このうち、議員数の多い皇運会の離反は、リュカにとって決して小さな打撃ではない。
――だが。
リュカには、まだ勝算があった。
前日。
リュカは陸相パンチ、外相モンケ、海相コーラルの三人を呼び出していた。
表向きの議題は、五相会議の事前打ち合わせ。
しかし、宗教特区令への対応について話し合う場であることは、誰の目にも明らかだった。
「では、みなさま。そういうことで、よろしいですか?」
リュカが確認すると、パンチが豪快に笑った。
「おう。婿殿の頼みだからな。どんと任せとけ!」
親しい婿殿の頼みとあって、パンチは胸を叩く。
続いて、モンケが口を開いた。
「わが北国にとっても、テングリ信仰復活の好機となりましょう」
宗教特区令を利用し、北国固有の信仰と民族的アイデンティティを取り戻そうというのだ。
最後にコーラルが続ける。
「南国は異国との交易も多い。異教の信仰を認めることは、それだけ多くの人と富が帝国に流れ込むことにもなりますからな」
南国にとっては、宗教政策であると同時に経済政策でもある。
三者三様の思惑が、リュカの政策と一致した。
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そして――
宗教特区令の可否をめぐり、再び採決が行われることとなった。
結果。
――否決。
ただし、その差はわずかだった。
賛成45、反対55。
前回とは比べものにならないほどの僅差である。
利害が薄いと判断した西国。
原則論から反対する多くのユニマル譜代貴族。
そして、これまでリュカを支えてきた皇運会の離反。
これらが重なった結果だった。
議場には安堵の声が広がった。
宗教寛容令は否決。
宗教特区令も二度にわたって否決。
これで、リュカの政策は完全に封じ込めた。
――そう、誰もが思った。
しかし。
彼らにとって、もう一つの青天の霹靂が待っていた。
「しかし……異教禁圧は、奏功しているとはいえんのう」
静かに口を開いたのは、テレサ女帝だった。
「はい、さようでございます」
神秘部を管轄するデッシュが答える。
「これからは、より一層の禁圧をお約束いたしましょう」
「いや」
テレサは、ゆっくりと首を横に振った。
「その必要はない」
そして、議場を見渡す。
「一つ、議題を提案しよう」
一瞬、議場が静まり返った。
「これからは、朕が異教禁圧を担当する神秘部を預かろうと思う」
――ざわっ。
議場が大きく揺れた。
譜代貴族たちにとって、それは驚天動地の提案だった。
なにしろ神秘部は、貴族権力の牙城の一つ。
そこを皇帝自らが掌握するということは、譜代貴族の権力基盤の一角が、皇帝権力の軍門に下ることを意味する。
当然、譜代家臣たちからは強い反対の声が上がった。
しかし――
西国は賛成に回った。
彼らにとっては、ダボク教をはじめとする多神教への禁圧が、より一層進むことが期待できる。
そして皇運会も賛成した。
皇帝権力の一層の伸長を目指す皇運会にとって、これはむしろ歓迎すべき政策だった。
さらに、ピシー家とロレンソ家も賛成に回った。
リルとヘレナの実家である両家は、リュカの親友たちを通じて、彼の意図を理解していたのである。
こうして――
帝国譜代家臣の間では根強い反対があったものの、西国を含む四ヶ国の賛成。
皇運会の賛成。
そしてピシー家、ロレンソ家の賛成。
これらが積み重なり、ついに神秘部の皇帝直属化は可決された。
議場の喧騒の中。
リュカは、ふと横を見た。
そこには――
ニンマリと笑うテレサ女帝の姿があった。
「……これが、陛下の主眼だったのか!」
リュカはようやく悟った。
宗教寛容令そのものを通すことだけが、女帝の目的ではなかった。
宗教政策を巡る対立を利用し、譜代貴族の牙城である神秘部を、自らの手中に収める。
その一手こそが、テレサの本当の狙いだったのだ。
リュカは改めて、テレサ女帝の政治手腕を思い知った。
議場の外では、秋風が吹いていた。
夏の熱気が去り、冷たい風が肌を撫でる。
そんな季節のことであった。




