27 ふたつの『照輝』
雅雪は春和が礼を言うと静かに一礼して帰ってしまった。雅雪の足音が聞こえなくなってから、春和は目の前の包をほどく。
分厚さは、辞書一冊より少し薄い。黒の表紙の中央に銀色の円。表紙をめくると、白いページを一枚挟み、その次のページに古来からの文字で書かれていた。
ーーーーーー榮礼ーーーーーー。
さらにページをめくると、淡々と古来からの文字が並ぶ。少しのずれもなく、三十字が六行。一ページに百八十字。美しく整列した文字の画を一枚ずつ繰ってゆくと裏表紙にたどり着く。こちらにも、黒の中央に銀色の円。春和は表紙からゆっくりと眺めてページを繰り、裏表紙に辿り着いたら静かに置いた。
『暁宵照輝録』----通称『照輝』は、王の代替わりごとに編まれる実録。公にはされていないが、必ず二種類つくられている。
“ 『暁宵照輝録』編纂委員会”によって編まれるものと、“史部”によって編まれるもの。
編纂委員会によって編まれるものは、現代のことばで記されている。内容は両王の誕生から崩御までに両王が関わったあらゆる事柄について。妃や司、王子女のことはもちろん、祭祀やあらゆる公務の日程が詳細に編年体で書かれている。こちらは書店にも並び、二百ページ前後のものが複数巻刊行されるのが通例だ。
一方、先ほど雅雪が持参したのは史部によって編まれたもの。史部ーーーすなわち雅雪がたったひとりで古来の文字で記したものだ。こちらは統石と両王、司の関係性や在り方の変化を軸に、その代での統石と人のかかわりか編年体で書かれている。一般の国民の目にふれることは決してなく、その存在すら知られていない。たった一巻、四部のみ。
『照輝』を机に置いた春和は、もう一度手に取って抱きしめる。瞼を閉じてしばらくしてから口元を緩め、口元を戻してから目を開けて名残惜しそうに『照輝』を置いた。
「私すごくゆっくり読むけど、瀬津さん先に読む?」
雅雪がいる間少し後ろに控えていた瀬津は、春和のそばに座った。
「いいえ。宮陛下のお読みになったあとでお借りします」
瀬津が穏やかな声で言うと、春和はしばらく黙っていたが口を開く。
「でも私は辞書を引きながらだし、引くのも遅い」
「ですが陛下。両王陛下より先に『照輝』を読んで良い者などおりません」
瀬津に言われ、また春和は長く黙った。
「……わかった」
春和は『照輝』を元のように包み、机に置いたまま立ち上がる。二人で並んで歩いていたが、春和が口を開くことはなかった。
「おやすみ」
「おやすみなさいませ」
部屋の扉の前でいつものやりとりだけを交わし、春和は部屋に入っていった。
春和の足音が扉から遠ざかってから、瀬津も自分の部屋に戻った。資料の棚から、すでに刊行されはじめている編纂委員会による『照輝』をとる。
先の両王の誕生から崩御までの出来事が記録されたこちらの『照輝』は、報道されてきた事柄をひとつひとつ詳細に記したものだった。いつどこで何があったか。誰がどんな言動をして、王はその時何を感じたと言ったか。当時リアルタイムで報道されてきた過去の出来事について、その時には報道されなかった背景や経過の子細、後日譚までを記している。先代の両王家には国民からの高い支持があったため、こちらの『照輝』は大変人気だ。特に両王それぞれの婚礼が記された第二巻は、刊行から半年で四度増刷がかかっていた。
それだけ多くの人々に、先の両王の生涯が届く。----けれども、ここに、過去に報道されてこなかった出来事についての記載はない。当然、未刊の最終巻に両王の最期の真相が記されることも決してない。あの日のことは、悲惨な事故として書かれるだろう。
(先の両王陛下と御子妃さまがお亡くなりになった真相を記録しているものがあるとすれば、史部の『照輝』だけだろうな……)
椅子に座って天井を見上げた。
(すべてがわかってしまうかもしれない『照輝』を、ひとりで見るのがこわいのか…………?)
王より先に『照輝』を読んでよい者などいるはずがない。それをあの勤勉な月の宮がわかっていないわけがなかった。にもかかわらず、司に先に読むかと尋ね、”ゆっくり読む”と言いながら自室に持って帰らずに、あえてあそこに置いて来ている。
取り出した編纂委員会による『照輝』第三巻を開く。月の王家に一の宮----春和が誕生したのころの記録だ。月の王家の一の宮誕生の記録は、同時に母である月の宮妃の薨去の記録。そして、そのすぐあとには日の王家の嗣子、暁の御子の薨去の記録。--------あの日の真相がどうであれ、彼が亡くなっていなければ、両王家の在り方は、間違いなく今とは異なるものだったろう。
月の宮に史部の『照輝』が献上された。つまり、読むか否かは別として日の御子にもこの『照輝』は献上されただろう。そうなると、司部----首相にも早ければ今夜同じものが渡される。
父は、何を思ってそれを読むのか。
父は、何を思って生きているのか。
両王と首相の次の会食は、明後日である。
瀬津は、長時間『照輝』を開いたまま見つめていたが、”ぽん”と閉じる。立ち上がって『照輝』を棚に戻し、静かに部屋を出た。




