07 優秀な兄
レイナが自室から出ると、バッタリとメイドに出会った。
「お嬢様!? 良かった……ご無事だったのですね……」
メイドが言うには、空に魔王の映像が浮かび、『四大公爵家の娘を寄越せ』などと言い出したから、レイナのことをものすごく心配してくれていたらしい。レイナが実際に魔王の元へ向かったことを知っているのは。あの場にいた友人のマーガレットくらいなのかもしれない。
「お兄様は?」
「公爵様は、まだ王城より戻られておりません」
学園の卒業パーティーは王城内のホールで行われていた。レイナは、その場でアルベルト王子から婚約破棄を言い渡されたので、怒った兄キースはその足で正式に婚約破棄をするための手続きに向かった。
(急に伝説の魔王が現れたのだから、今ごろ国中大混乱でしょうね。殿下と私の婚約破棄どころじゃないかも?)
レイナを守ってくれる神獣ココは側にいないので、王城に行くのは危険だと判断し、レイナは家で大人しく兄の帰りを待った。
日が暮れて空が茜色に染まる頃にキースはようやく帰ってきた。レイナを見つけるとキースは、セットした髪が乱れるのも気にせず慌てて駆け寄ってくる。レイナと同じ緑色の瞳が大きく見開いている。
「レイナ、大丈夫!? ケガはしていない!?」
「はい、大丈夫です。お兄様、ココ様から聞いていませんか?」
「おおまかには聞いていた。おかげで、なんとか冷静に対処できたよ。そうでなければ、今ごろ挙兵して魔王領に攻め入っているところだった」
兄が言うには、レイナが魔王の元へ連れて行かれるところを、友人マーガレットをはじめ、レイナにフラれてその付近で呆然としていた王子の護衛騎士や、学園の教師が目撃していたため大騒ぎになったらしい。
「お兄様は、どのように対処したのですか?」
「レイナは誘拐されたのではなく、魔王との交渉人に選ばれた、ということにしておいたよ。だから、レイナが戻ってくるまで大人しくしてろってね」
「それは、ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません」
「謝らなくていいよ。レイナ、少し二人で話そう」
そう言ったキースに、レイナは執務室へと案内された。ここにはメイドなどの使用人は入ることは許されていない。
テーブルを挟み、向かい合ってソファーに座ると、キースは「とにかくレイナが無事で良かった」と、またため息をついた。
「ココ様から聞いた話だけど、魔王がレイナを妻に迎えたいと言っているのは本当なの?」
「はい、そうです」
「そんなこと絶対に許さない! 魔王の嫁なんて生贄のようなものじゃないか!」
興奮するキースをレイナはなだめた。
「私も初めはそう思っていたのですが違いました。魔王様がおっしゃるには、私が魔王様を好きにならなければ結婚しなくて良いそうです」
キースは眉間にシワを寄せている。
「王族の婚姻で、そんな庶民の恋愛のようなことが許されるはずが……」
「私も詳しくないのですが、魔王領ではそれが当たり前のことのようです」
キースは腕を組んで考えこんでいる。
「では、レイナが断ると魔王との婚姻はなくなるということなのかな?」
「はい、そうです」
顔が強張っていたキースはようやく笑顔を浮かべた。
「良かった。それが本当なら、早く断ろう」
「いえ、結婚するかはさておき、私は魔王様にお仕えしたいと思っています」
キースはしばらく無言になったあとに「え?」と呟いた。
「お兄様。魔王様は、とても優秀な方なのに気取らず、支えがいがある方なのです」
「レイナ? 何を言っているんだい?」
「お兄様、冷静に考えてみてください。先ほど、私は王太子殿下に婚約破棄を言い渡されました。あれほどの騒ぎを起こした王太子の元婚約者など、誰がもらってくれますか?」
「騒ぎを起こしたのは、殿下であってレイナではないよ」
「そうだとしても私も当事者です。この国では腫物扱いはまぬがれません」
キースに「今さらだけど、アルベルト殿下との婚約破棄に、レイナは少しの未練もないの?」と尋ねられ、レイナは深くうなずいた。
「殿下のお心を知ってしまった今、殿下との未来はなくなりました。お兄様、もしかして、殿下と私の婚約破棄は成立しなかったのでしょうか?」
本来ならば王命により成立した婚約を、王子の一存で破棄することは不可能だ。しかも、王室が四大公爵ヴァエティ家からの後ろ盾を得るための婚約を一方的に破棄するなどあり得ない。そこにさらに魔王が現れたので、キースは婚約破棄の手続きどころではなかったかもしれない。
レイナが不安に思っていると、キースは懐から丸めた羊皮紙を取りだした。
「それは大丈夫だよ。正式に婚約破棄の書面を交わしてきた。殿下からの婚約破棄だから慰謝料もたっぷり支払ってもらえるよ。本当なら王室ともめるところだったけど、魔王が現れて皆それどころじゃなくなってね。どさくさに紛れて押し通してきたよ」
「さすがお兄様」
ニッコリと優しい笑みを浮かべるキースは、穏やかな外見には似合わずとてもやり手だ。そんなキースを見ていると、レイナはふとあることに気がついた。
「魔王様は、少しだけお兄様に似ているのかもしれません」
「私に?」
「はい。魔王様は、お兄様のように、とてもお優しい方でした」
優しいキースには溺愛しているマリアンという婚約者がいる。そのマリアンが言うには、兄のように見た目と中身が異なる魅力を持つ人のことを『ギャップ萌え』というらしい。だとすれば、優しそうな魔王が最強というのも、きっとギャップ萌えだ。
「お兄様も、魔王様も、同じギャップ萌えですわ」
レイナがそう伝えると、キースは「またマリアンからおかしな言葉を教えてもらったんだね。本当にマリアンは……」とあきれつつも、キースの顔には『マリアンのそういうところが可愛くて仕方がない』と書かれている。
貴族同士の政略結婚で愛し合っているキースとマリアンはとても珍しい。でも、二人だって出会ってすぐに運命的に恋に落ちたわけではない。
キースとマリアンは、お互いに歩み寄り、相手を尊重しながらゆっくりと時間をかけて思いを積み重ねていった。そうしてできたお互いへの尊敬の念が、キースとマリアンの場合は、いつしか愛に変わっていったのだ。
政略結婚において、二人の関係は理想だった。だからこそ、レイナもそんな二人に憧れている。レイナとしては、早く兄と結婚してマリアンに『お義姉様』になって欲しかったが、昨年、急に両親が馬車の事故で亡くなり、兄キースが公爵家を継いだので、落ち着くまではと二人の結婚は延期になっている。
キースは「魔王が私に似ている……?」と不思議そうにしていた。
「とにかく、私も一度、魔王に会ってみよう。レイナが魔王と結婚するにしろ、レイナが魔王領で就職するにしろ、おかしな男にレイナを渡すわけにはいかないからね」
「きっと、お兄様も魔王様のことを気に入りますわ」
レイナの微笑みに、キースは「本当かな?」と疑いの表情を浮かべた。




