しばしの別れ
フェリスティアは王城内の居室の準備が整うまでの間、ルーベンやアーリア家から来たお付の者たち、そしてすぐに警護にあたってくれると申し出てくれたロザリアと共に謁見の間から最も近い客間に通された。
移動時間にしてわずか5分ほどだったが、アーリア家の一団の前後を王室付の近衛兵達が先導、警護し、客間の中も入念にチェックしてからの入室となり、ピリピリとした空気が続いている。
昨夜、眠りにつくまでは、そして今日精霊の間でハロさんから話を聞くまでは、まさかこんなことになるとは思っていなかったのに。
「フェリスティア嬢、席へ」
ルーベンの声にはっ、と我を取り戻す。
あまりの急展開に入室した途端、部屋の真ん中で突っ立ったまま呆けていたようだ。
その間にルーベンは侍女らにお茶の用意を指示している。
「申し訳ございません。ぼうっとしてしまいまして」
「無理もありません、が、貴女の身の安全のためにも早急に話を進めなければなりません」
フェリスティアはゆっくりと席につく。
それと同時に侍女が温かい紅茶を持ってきてくれた。
こんな時であっても優雅にカップを傾けるルーベンに倣ってフェリスティアも紅茶を一口いただく。
琥珀の液体を飲み込むまで気がつかなかったが、喉はカラカラに乾いて貼り付いて飲み物の熱さが滲みるようだった。
「まず、陛下の仰るとおり、フェリスティア嬢には今日から事態が沈静化するまで王城で過ごしてもらいます」
フェリスティアは静かに頷いた。
「アーリア家の屋敷には急な来客対応と追加の王太子妃教育でしばらく王城に留まる旨を伝えているので貴女の生活に必要なものは昼までにはこちらに届くでしょう。屋敷からは執事のグレイソン、侍女のアメリアとミリーを呼び寄せました」
グレイソンとアメリアとミリーは王室からアーリア家に神託の巫女付の侍女として派遣されている。
国王陛下が箝口令を敷いた以上、たとえ実家であるアーリア家の面々であっても、今回の件を話すことはできない。
その上で登城する理由として、王太子妃教育にもかんでいた彼らであれば詮索されにくいのだろう。
フェリスティアとしても普段から生活や仕事などのあれこれを支えてもらい、同じ時を過ごすことが多い3人が一緒にいてくれることは心強かった。
「そして今日この場まで帯同した者は引き続き、フェリスティア嬢に付いて王城で過ごしてもらう。申し訳ないが皆も事態が収束するで城から出ることは許されない。フェリスティア嬢と続きの部屋を用意させるので全員そちらで過ごすように。各自必要なものがあればフェリスティア嬢の荷物を運んだ馬車に折り返し運ばせるので後でまとめて申し出てくれ」
ルーベン様の有無を言わせぬ気配に周囲は静かに頭を下げた。
仕事として城まで付いてきたらこんなことになるなんて、おそらく皆も困惑しているだろう。
こんな危険な私事に巻き込んでしまって本当に申し訳ない。
本当は額を地に擦り付けて謝りたいのだが、立場上頭を下げることはできない。
謝罪とお願いの気持ちをこめてフェリスティアはせめてもと静かに目礼した。
「部屋を移り、グレイソン達3人が入室した後は私は部屋を出る。その後は私を含めて決められた護衛、執事、侍女以外はフェリスティア嬢の部屋に入ることは許されない。エレーナは薬草の知識を持っている。再び知識を悪用して王城の誰かに成り代わったり毒草を持ち込んだりする可能性があるからだ。フェリスティア嬢はもちろん、護衛、執事、侍女達も業務上致し方ない場合を除いて主の部屋と自分たちの部屋から出ることを禁ずる。またやむを得ず部屋から出る場合は必ず2人一組以上で行動すること。特に侍女らは必ず護衛を伴いなさい」
「「はい」」
コンコンコン
タイミング良く扉をノックする音が聞こえ、部屋中に緊張が走った。
「失礼致します。王太子殿下の遣いの者でございます。フェリスティア様のお部屋のご用意が整いましたのでお迎えにあがりました」
王家の使者だ。
侍女が対応しようと扉に向かった瞬間、ルーベンはそれを諌めた。
「外からの来訪者が真なる者かはわかりません。扉は必ず護衛騎士が開けなさい。侍女達はフェリスティア嬢と扉の間に立って外から主が見えないようにすること」
ここまで息を潜めてフェリスティアの後に立っていたロザリアが剣に手をかけ、すっと彼女の前に立つ。
扉のノブに手をかけようとしていた侍女が静かに下り、代わりに騎士2名が静かに扉を開いた。
開いた扉の先、一同の視線が注がれたのはクロフォード殿下と王妃であるシェリル妃殿下だった。
部屋の者たちが慌てて礼の姿勢をとる。
「王妃殿下、王太子殿下、王家に対しこのような無礼な態度をとり申し訳ございません」
「ルーベンもフェリスティアも、他の皆も頭を上げて。今の作法のことなら構わない。むしろ普段通りの応対だったほうが問題だ」
クロフォードは満足そうに微笑んで頷いて見せる。
部屋の中に少しほっとした空気が流れた。
「フェリスティア、部屋の支度が整ったよ。あまりいい部屋ではなくて申し訳ないんだが」
「いえ、このような状況で王太子殿下自ら部屋の手配をしてくださっただけで恐縮でございます」
「いいのよフェリスティアちゃん!女性の部屋だから女性が用意すべきってジルの執事たちがわざわざ私を呼びに来たっていうのにこの子ったら「自分が用意します」って聞かなかったんだから!」
「…母上、急を要する事態です。余計な発言は慎んでいただきたい」
「だってだって!未来の娘の部屋の支度をできるせっかくの機会だったのよ!そりゃ制限があるのはわかってるけど、できるだけかわいくて素敵な部屋を用意したかったのよ!新生活に向けておすすめの家具とかもあったから試してほしかったし、かわいいカーテンの布地も見つけたからそれも使いたかったのに、この子ったら逐一チェックして「あーでもない、こーでもない」ってうるさいんだもの!」
「母上、何度も申し上げておりますが今回ばかりはフェリスティアの身の安全が最優先です」
「なによ、そんなに言うなら王太子の寝室の隣をフェリスティアちゃんの部屋にすればよかったじゃない!そうしたら貴方が守り放題よ!」
「学院の卒業式典も結婚式典もまだの身分でそんなことできるわけないでしょう!!」
頬を膨らませてツーンとそっぽを向くシェリル妃殿下と赤くなって声を荒げるクロフォード殿下に護衛や侍女達も困り顔だ。
王妃というより城という名の屋敷の女主人として、客人の部屋を用意したかったのだろうところを息子という(妃殿下的に)邪魔が入ってしまい大層ご立腹の様子だ。
「…緊急事態なのはわかっています。でもこんなことになってしまった中で私ができることなんてフェリスティアちゃんに少しでも快適な部屋を用意するぐらいしかできないんだもの」
シェリル妃殿下は相変わらず拗ねたような表情で唇を尖らせているが、それも自分が今置かれている状況を慮ってのことだ。
冷たく、そして固くなっていた心がじんわりと解けていくような感覚を覚えてフェリスティアは微笑んだ。
「シェリル妃殿下、妃殿下のお心遣いに心より感謝申し上げます。そしてご心配おかけしてしまって申し訳ございません」
「フェリスティアちゃんが謝るようなことじゃないわよ。またこんな事になってしまって…なんて言ったらいいのか…」
シェリルの顔が歪む。
そんな母親に声をかけたのはクロフォードだった。
「母上、フェリスティアのことは必ず守り抜きます。ですからそのようなお顔をなさらずに」
王妃のそばに付いていた侍女がそっとハンカチを差し出すとシェリルはそれで目元を拭った。
王家の者として不安な様を周囲に見せるのはご法度だ。
それでも我がことのようにフェリスティアの心身を案じ、不安を和らげようとしてくれるーまるで前世から今に至るまで縁遠かった本当の母親のようなシェリルの存在はとてもありがたいものだった。
「当然よ!神託の巫女、そして王太子の婚約者が命の危険に晒されるなんてもっての外です。必ずや彼女を守り、脅威を退けなさい!そしてフェリスティアちゃん?」
「はい」
「結婚式典で私が選んだドレスを着る最高にきれいでかわいくて素敵な娘を楽しみにしてるの。だから予言通りになんてならないでね」
フェリスティアは静かに頭を下げた。
今いる部屋を出て、次の部屋に入ればあとはエレーナが捕まり、事態が解決しない限りはシェリルに会うことは叶わない。
万が一、自分と王家の者が一緒にいて、その方に危害が加えられたりしたらそれこそ一大事だからだ。
国王と王妃だけではない。
養父であるルーベンや学友たち、そしてクロフォード殿下にも会うことはできないのだ。
クロフォードに促されてシェリルは部屋をあとにした。
フェリスティア、クロフォード、ルーベン等もただ城内を移動するだけにしては巨大な一団となって用意された部屋を目指している。
そんな一団が辿り着いた部屋は広さこそ十分であるものの、窓がないために日の光も差さない少し陰鬱な印象の部屋だった。
それでもシェリルが気を利かせたのだろう。
明かるく可愛らしい家具や敷物、通常の部屋よりも多く配置されたランプがそんな雰囲気を和らげてくれていた。
「ごめんね。窓がない部屋で」
いつの間にかクロフォード殿下がそばに立っていた。
眉尻が下がったその表情から本当に申し訳なく思っている気持ちが伝わる。
「いえ、今置かれている立場を考えれば当然でございます。むしろ短時間でこのように素晴らしい部屋をご用意していただきありがとうございます」
「フェリスティア…大丈夫?」
ルーベンや侍女たち、一部の護衛たちはフェリスティアの部屋や続きの侍女たちの部屋、護衛騎士たちの部屋などの最後の点検に回っている。
ロザリアをはじめとする護衛の目はあるものの、先程よりぐっと減った視線の隙をついてクロフォードはフェリスティアの手を握り、指を絡めて小声で囁いた。
「手、冷たくなってるよ」
「すみません、少し緊張してしまって」
「こんな事になってしまって…怖くない?」
「…怖いんでしょうか?今朝から目まぐるしく色々なことが起こってどんどん状況が変わっていて正直まだ命を狙われているという実感が追いついていない気がします」
「うん」
「陛下や妃殿下やお城の皆様やバランタイン家の皆様やアーリア家の皆、それにクロフォード様にここまでしてもらっているのも申し訳なくて」
「申し訳ないなんて思わなくていい」
クロフォードのいつにない強い口調に驚いたフェリスティアがそっと彼の方を見ると厳しい横顔がそこにあった。
「王家に、そしてアーリア家に仕えている者たちが主人の命令で動き、そして主人の身命を守ることは当然のことだ。そして王家や公爵家に仕える者たちはその仕事に誇りを持っている者がほとんどなはず。そんな彼らに対して申し訳ないと思うのは彼らに対する侮辱だよ。フェリスティアは王家で手厚く保護される神託の巫女であり、アーリア家の貴族であり、王太子の婚約者なんだ。守られることにもっと堂々していなきゃいけない」
「もっもうしわけ…」
「そして1番間違えないでほしいのは、これが仕事である以上に皆が、なにより俺が、君のことが大切だから、絶対に失いたくないから守ろうとしているということ」
「クロフォード様…」
「前から思っていたけど、フェリスティアは他者を優先しすぎて自分が生きることとか幸せになることに消極的すぎる」
「そんなことは…」
「未来の王家の一員として、なにより国民を思い守ろうとしてくれるフェリスティアの心はなにより尊いものだと思う。でもそれと同じように君を思ってくれる人が周りに大勢いるはずだよ」
「…はい」
返事がどうしても消極的になってしまう。
確かにアーリア家でも王家でも、親しくさせていただいてる学友たちからも精霊からも、そしてクロフォードからももったいないくらいに大切にしてもらっている自覚がある。
でも、それでもフェリスティアにはどうしても自信をもって「はい」ということができなかった。
婚約者の弱気な返事にクロフォードは内心ため息をついた。
フェリスティアは神託の巫女として精霊と関わりを持てるという唯一無二の能力を持っている。
そして国の中でも圧倒的少数の貴族となり、しかも公爵家という背景を有し、王家の人間を婚約者を持っている。
どう小さく見積もってもこの国の中でそれはかなり特別なことであり、普通の令嬢であればこの自身の持ち物や境遇にもっと自信をもち、鼻にかけたっておかしくないはずなのに、フェリスティアの場合一切それがない。
この清い謙虚さはフェリスティアの美徳の1つだし、クロフォードにとってフェリスティアの好ましい側面の1つなのだが、今回の件では話が別だ。
もし本当に死を伴う脅威がフェリスティアに迫ったとき、彼女は簡単に自分の命を手放してしまいそうなことが恐ろしい。
国を救うためにフェリスティアがその身1つで大嵐に突っ込んでいったあの時のように。
クロフォードが横目にフェリスティアを見る。
俯いていて表情こそ見えないが、繋いだ手が絡めた指がさっきよりも強ばっていた。
染み付いた性格とか性質をいきなり変えようというのも難しいのかもしれない。
「フェリスティアが自分が愛されているから皆に守られているということに自信が持てないのはわかった。別に考えよう。もし君が失われるようなことがあれば、俺はきっと自分を責めて今までのような自分ではいられない」
「クロフォード様、そのようなことは…」
「いや、俺、自信があるよ。フェリスティアがいなくなったらきっと俺はダメになる」
隣同士に立ってから、初めて2人の目があった。
「だからもしフェリスティアが自分が生きることに自信をもてないなら、俺のために生きてくれ」
クロフォードはいたずらっ子のような顔で微笑んでいる。
フェリスティアは手先が感触を取り戻し、クロフォードの熱が伝わってくるのを感じた。
まるで横暴なセリフのように聞こえる気遣いがうれしかった。
「はい…クロフォード様の仰るとおりに」
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