八年前
かなり間が空いてしまってすみません。
もう少しペースを速めますので……
漢数字の「六」、ある意味では記号のように見えるその文字はこの世界でも探せば近いものがあるのかもしれない。だが、そこにあった「六」の文字はかなり特徴があった。
大きな円の中に書かれた漢数字の「六」、それは師匠が現役だったころ、すなわち俺がまだ師匠の弟子として働いていたころの師匠の屋号【鍵の水無月】のシンボルマークだ。
「どうしたの、ロック……これってゲンの【紋章】じゃない」
「知ってるのか、ミューリィ?」
俺が宝箱の中をじっと見つめていたことを不審に思ったのか、ミューリィが覗き込んできた。俺が気になっていた「六」の数字に気づいたようだが、特に驚くこともなく平然としている。確かに師匠と行動を共にしていたこいつなら知っててもおかしくはないと思うが、俺が気になっているのはそこじゃない。何故これがここにあるのかということだ。権力のようなものを嫌悪していた師匠がこんな場所に来たとは考えにくいということもあるし、もしそうだとすると一体誰がこのマークを書き込んだのか?
「ゲンの教えを受けた迷宮盗賊は少なくないわ。でも実際に弟子になってまで教えてもらってたのはアイラだけだと思うわよ」
「ゲンは魔道士協会で鍵の指南書も作っておったからの、そこには確かそのマークを描いておったはずじゃ」
「ならこれを描いたのはその指南書を所持していた人物ということなのか?」
「そこまではわからんがのう……」
この宝箱の中には確かに何者かがいた。それが何者かを判断することはできないが、少なくとも人間ではないだろう。あんな一瞬で密閉された宝箱からこんなにも簡単に脱出できるなんて、タネもシカケもある手品や奇術じゃあるまいし、人間技とは思えない。……おっと、今はそんなことに気をとられている場合じゃなかった。
「わからないことをこの場で考えていても仕方ない。それに今はリルの救出が最優先だ、師匠のことはそれが片付いてからゆっくりと確認すればいい」
「そうじゃの、先を急ぐとしよう。タニア、頼んだぞ」
表情を真剣なものに戻したディノの言葉にタニアが頷く。改めて周囲を見回せば、埃のかぶった酒樽や木箱が山積みになっている。
「うわ、このお酒すっごく高価なやつじゃない。私もまだ飲んだことないわよ」
「ここの王族は高級な嗜好品が大好きだからね。もちろんリルファニア様は違うわよ?」
よだれをこぼしそうなミューリィはさておき、リルがそんな人間じゃないってことはギルドの皆が十分理解しているからタニアの心配は無用だな。
だが見るかぎりではこの部屋も別段変わったところは見受けられない。その異常さに皆がわずかに困惑の色を顔に出し始めている。
「ここも特に異常ないみたいだけど、ここ本当にダンジョンなの? さっきからすることなくて退屈なんだけど」
「そう言われても……ワシにも理解できん」
「久しぶりに大暴れできると思ってたのに……はい、桜花ちゃん、干し肉」
『美味しいです』
暇を持て余して不満を口にしだしたソフィアは腰に提げたポーチから干し肉を取り出すと桜花に渡している。それを受け取った桜花は俺の背中に張りついたままもきゅもきゅと食べ始めた。退屈してるのはわかるが、緊張感なさすぎだろう。それと桜花、俺の頭の上で干し肉食べるんじゃない。
「異常は……ないみたい。みんな、出てきていいわよ」
「うん、変な匂いもしないよ」
「魔力の気配はうっすらと感じますが、別段異常というレベルではないです」
どこか拍子抜けしたような様子のアイラとセラ。全くダンジョンの様相を見せていない城内はしんと静まり返っており、全く人の気配を感じない。タニアの話では常時かなりの人数がいるということだが、その人たちは一体どこにいったのか? わからないことが多すぎる。
地下保管庫から出ると、通路は綺麗に大きさの揃えられた石積みの壁だった。だがそれも特に違和感を感じないただの石だ。相変わらず通路内は真っ暗でランタンの灯りで照らされた範囲内にも変わったところは見られない。それどころか、本来ならば僅かな空気の流れくらいはありそうなものだがそれすらも感じない。だが澱んでいるのかといえばそんな感じもない。
「とにかく先に進むわね。きっとリルファニア様が捕らえられているのはシルファリア様の私室だった部屋だと思う。何もないのなら好都合よ」
「待つんじゃタニア、焦るでない。常に冷静に、がダンジョンでの基本じゃぞ?」
「そうそう、この城ではあなたのほうが詳しいかもしれないけど、ダンジョンについてなら私たちのほうが専門家なんだから」
「……ごめんなさい、つい……」
「焦る気持ち十分理解できるけど、もしそれで私たちが危険に晒されたらリルだっていい顔しないはずよ」
皆を先導して歩き出そうとするタニアをディノとミューリィが止める。彼女の思いはわかるが、目的の場所がわかっいるならショートカットしたいと考えるのは当たり前だ。だがそんな考えは罠にはめる側から見れば赤子の手をひねるよりも簡単に手玉にとれる。
人間というのはそこまでメンタルが強い生き物じゃない。タニアのような諜報部員は精神的にも鍛えられているんだろうが、焦りに支配されてい状況では目的地までの最短ルートを選ぶだろう。そのほうが時間も早いし合理的なんだろうが、それが相手の仕組んだことだとしたらどうだろうか。もしそれで罠にかかったとしたらタニアの心は完全に折れてしまうに違いない。俺達は誰も彼女のそんな姿を見たいと思わない。彼女だって仲間なんだから。
「そう……そうよね。リルファニア様は自分が傷つくことより他の誰かが傷つくことを嫌っておられたわ。それをすぐ近くで見てきたはずの私がこんな有様じゃダメよね。しっかりしなきゃ」
「最短ルートなんて罠に嵌める側から見れば鉄板だぞ? 少しくらいの遠回りは折り込み済だ。鍵ならいくらでも開けてやるから慎重かつ安全にいこう」
急がば回れということわざもある通り、焦りは悪い影響しかもたらさない。今までの鍵屋の仕事で嫌になるくらい味わってきた。それに最短ルートなんて大勢で進むような場所じゃないはずだ、挟みうちにされたら対処できない可能性もある。
それから……なんというか、リルは無事なような気がする。漠然とそう思うだけなので皆には話していないが、ここに入ってからずっとそんな感じがしている。理由はわからないが、どうもそんな気がする。そしてタニアは再び先頭に立って俺達を先導して歩き始めた。
石造りの地下通路を五分ほど歩き続け、上階へと向かう階段を上っていくと開けた場所に出た。これまでとは全く違う室内の装飾に思わず息をのむ。
およそ十メートルくらいの高さの天井には一面に極彩色の絵が描かれているんだが……そのどれもが悪趣味なほどに着飾った男女の肖像画だった。この空間は採光のための小窓から外の光が差し込んできており、暗さは感じられないが相変わらず人の気配がない。静まり返った空間に差し込む光に肖像画の悪趣味さがより一層際立っている。
「ここは謁見の間へ続くホールよ。この奥が謁見の間、玉座のある部屋だけど……」
「……八年前の件じゃな?」
「ここで何かあったのか?」
タニアが言葉を濁した。ディノ達は何があったのか知っているようで、以前からちらりと話の端にそれらしいことが現れることがあったが……確か勇者絡みの件だったか?
「ロックには……詳しい話はしておらんかったのう。幸いにどういうわけかモンスターの出てくる気配が全く感じられん。歩きながら話そうかの」
「ああ、頼む」
タニアの先導でホールをゆっくりと奥へと進む。モンスターの気配が無いとはいえ、迂闊に進んで待ち伏せされていたら危険だからこのペースは仕方ない。その間ディノが過去にこの城で起こった出来事を教えてくれた。
「この城では八年前にも【勇者】を召喚したことがあるんじゃよ。その時は一人だったんじゃが」
「もしかして……俺と同郷か?」
「うむ……【ユウイチロウ=カザマ】という人物を知っておるか? こちらに召喚された時は確か十七歳だったはずじゃ」
「……よく知ってるよ」
個人的な知り合いというわけじゃないが名前も顔も知ってる。テレビでよく見た男性アイドルタレントだったはずで、確か映画の撮影の休憩時間中に失踪してそのまま消息不明になったと聞いている。こちらの世界に来ていたのか。
「以前おぬしを攻撃した四人、明らかに異常だったとは思わんかったか?」
「妙に攻撃的だったとは思ったが、それがどうかしたか?」
「かつての勇者も同じように攻撃的になったんじゃよ。いや、あれはもはや凶暴化と言ったほうが良いかもしれん。この城で勇者のお披露目がされる予定でわしらも同席していたんじゃが……錯乱した勇者が誰彼構わず攻撃しはじめたんじゃよ。あの顔はすでに自我を失っていたんじゃろうな」
「……そんなことがあったのか」
「被害はかなり深刻でのう、お披露目に招待された各国の使者が犠牲になったんじゃよ。しかもユーフェリア主催だったので王族の関連者が多数招かれておったのもまずかった」
俺が知る【ユウイチロウ=カザマ】は人畜無害を体現したかのような穏やかなアイドルだった。なのでそんな大それたことをしたと聞かされて驚いていた。いや、そういう人物だったからこそ精神に変調を見せた場合の反動は大きかったんだろうか。
「謁見の間は血で汚され、最早どうしようもなくなったユーフェリア国王は勇者の鎮圧を指示したんじゃが、勇者は別格の強さじゃった。ワシら魔道士がその動きを束縛し、かつて勇者候補だった者がその首を刎ねて終わらせたんじゃ。その勇者候補というのが……ロニーじゃよ」
いきなり想定外の人物が出てきて驚いた。いつも飄々とした雰囲気のロニーにそんな過去があったとは。だが以前勇者の話が出た時に、一瞬だが表情を変えたことがあったな。もしかして過去のことを思い出していたのか? 勇者にはかかわりあいたくないと明言していたしな。
「各国は王族の関係者を殺害されたとして戦争になりかねんほどの状態じゃった。じゃがそれで苦しむのは国民じゃ。シドン帝国は戦争賛成派じゃったがラムターとペシュカは戦争反対派じゃった。なので各国で協議を重ねた結果、その首謀者を処刑することと賠償金を支払うことで落としどころとしたんじゃ」
「……強引に終わらせたのか?」
「ユーフェリアが、の。ユーフェリアによるとその首謀者は第二王女のシルファリアが次期王座に就くために国王以下王位継承者を殺害しようとしたということじゃった。そのために禁忌の呪法を研究していたランス=バロールという魔導士を使ったということじゃったが」
「ランスって……あの時の奴か」
フォレストキャッスルで現在の勇者四人を引き連れてきて、なおかつダンジョンの外で待機していた全員を眠らせて姿をくらましたという魔導士。二度目の召喚にもかかわっているとなれば、むしろそいつが首謀者なんじゃないのか?
「本来ならば時間をかけて調査せねばならんかったんじゃが、首謀者とされた第二王女はその罪状が発表されると同時に処刑、ランス=バロールは地下にある重犯罪人専用の監獄に投獄済で会うことも出来なかったんじゃ。しかも第一王女も放逐済みでほかに詳しいことを訊ける関係者もおらんのでそこで調査は終了したんじゃ」
「どう考えてもトカゲの尻尾切りだな」
「皆そう思っておるよ。じゃからワシらは協会の影響力を強めるように努力しておるんじゃ。首謀者が己の命と引き換えに何かをするのはかまわん。じゃがそこで利用されるのは何の関係もない人々じゃ。そんなことは許されることではない」
そう語るディノの表情は険しい。そこには過去の事件と同様のことを繰り返させてしまったという自責がはっきりと浮かんでいる。間違いなくその時も召喚の代償として関係のない人間の命が使いつぶされているんだろう。
「その第二王女が復活したということは、やはり復讐なのか?」
「わからん。じゃがその可能性が一番高いと考えるのが妥当じゃな。それ以外に理由が思いつかん」
「だがどうしてその矛先がリルに?」
「それもわからん。リルファニア王女は最後まで妹のことを庇っていたと聞いておる。首謀者は別にいるはずだと言ってのう」
「ディノはリルからそのあたりを聞かなかったのか?」
「単身で放逐され、いきなり王族としての優雅な生活から市井の民の生活になったんじゃ。妹を失った悲しみと慣れない環境で憔悴しきったリルにそんなこと聞けるはずもなかろう? それにいずれ自分から話すと言っておったから詳しくは聞かなかったんじゃ」
そうか、一番辛い思いをしているのは事件の真相、しかも汚い部分を知ってしまい、なおかつ妹を失ったリルだ。そこに追い打ちをかけるような、傷口に塩を塗るようなことをできるはずもない。だがそう考えると、リルが危険な目に遭わなきゃならない理由は何だ? まさか最後まで自分を擁護してくれた姉をお恨むなんてただの逆恨みじゃないか。
思わず反論の声をあげようとしたとき、ふと耳に聞こえてきたものがあった。
「ちょっと待て、何か聞こえないか?」
「え? 何も聞こえないよ?」
アイラが大きな狐耳をぴくぴくさせて周囲の音を拾おうとしているが、何も聞こえないようだ。だが俺には微かにだが聞こえている。これは……人の声じゃないのか? 何を言っているのかまでは判別できないが、うめき声……いや、遠くの方で叫んでいるような声だ。しかも複数。
「やっぱり聞こえる。タニア、この先は謁見の間だそうだが、その手前に部屋はあるか?」
「え? 謁見の間の手前? ……確か右側に地下へと続く階段があるわ。その先には……地下牢があるけど……まさかリルファニア様がそこに?」
「いや、リルの声ではなかったと思う。だがそこに誰かがいるのは間違いない」
ほかの誰にも聞こえていないというのが少々気になる。特にアイラの動物的聴覚でも感じ取れないものをどうして俺だけが聞こえる?
「ロック、おぬしの空耳ではないのか?」
「そうよ、精霊の力が希薄だけど、それでも何も感じられないってことはないわ」
ディノもミューリィも俺の言葉に懐疑的な視線を投げかけてくる。確かに俺も半信半疑だが、それでも無視できるレベルじゃない。たしかにあれは人の声だった。一人で主張する俺に皆が困惑している様子がはっきりと窺えるが、俺だって皆を困らせるつもりなんてない。だが何か手がかりになるようなものがあればそれを調べるべきだと思うからこそこうやって皆に話している。だが皆の様子は芳しくない。そんな中、孤立しそうな俺に予想外のところから援軍が現れた。
『確かに地下に何かいるわね。モンスターではないから安心しなさい』
「ノワール、お前口出ししなかったんじゃないのか?」
『あれはたぶん影響なさそう……いえ、もしかするとあれを先に見ておかないとダメなのかもしれないから口出しさせてもらったわ。このくらいの手助けはいいでしょ』
そう言ってにっこりと微笑むノワール。見た目は小学校高学年くらいだが、その笑顔にはどこか妖艶なものを感じさせる。
「ふむ、ノワールがそこまで言い切るのであればそちらを優先してみようかの。タニア、すまんがそちらまでの案内を頼む」
「わかりました」
ノワールの一言で謁見の間に向かう前に地下牢へと向かうことになった。確かにノワールは上位モンスターの黒竜の幼体だからその言葉に信ぴょう性があってもおかしくはない。むしろ疑問に思うべきところはどうして俺にもそれが聞こえたのかということだ。とりあえず今はそんなことを詳しく調べている暇がないが、リルを無事救出できたら調べてみよう。
過去の真相の一端でした。
読んでいただいてありがとうございます。