ほころび滅び 第二章 滅びの街を救え 第十一話 閻魔王の意外な弱点
第十一話 閻魔王の意外な弱点
ずしん! ずしん!
振り下ろされる閻魔王の金棒を右へ左へとかわしながら、太郎はぶつぶつと呪文を唱えている。
ずしん! めりめり!
だが、その呪文も、太郎が攻撃を避けて身体を動かすごとに途切れざるを得ない。ぷつぷつと途切れる閻魔封じの呪文は、なかなか効力を現さない。
ずしん! めりめり。ずしん!
閻魔王が仕掛けてくるでっかい金棒の攻撃は、金田太郎たちがかわす度に、その足元に大きな穴を開けていく。太郎のすぐそばにいた粉木も、なすすべもなく逃げ惑っていた。それを見た砂影バーバラは、太郎と粉木を助けねばと焦った。バーバラは、慌てて地面の土を掴んで閻魔王に向かってバッと投げつけた。しかし、森の中の土は、乾いた砂とは違って充分な湿り気を持ち過ぎている。閻魔王の目潰しをするどころか、ただの土くれの塊となって閻魔王の顔に当たった。
閻魔王の赤い顔面にバーバラが投げた湿った土くれがへばりつく。赤い顔をいっそう真っ赤に炎上させて、閻魔王は左手で顔を拭った。口に入った土をペッと吐き出しながら閻魔王が吠えた。
「ぬぬ、しゃらくさい! やはり鬼らの金棒など、役にたたぬわ!」
閻魔王は大きく深呼吸をし、口から物凄い炎を吐いた。これこそ火炎地獄という業火である。
ぼぅおおおおお! ぼぉぉおおおおお!
閻魔王が口を開く度に炎が曲線を描いて辺りを燃やし尽くす。それは軍隊の火炎放射器を十本まとめたってこんな強力な炎の放射にはならないだろうと思われるほどの勢いだ。世界を焼き尽くすか、それとも天上界まで焼き尽くしてやろうか? 閻魔王の炎は容赦なく金田たちに襲いかかる。
森の木々が一瞬にして灰となり、飛び散った火の粉が木綿一太のお洒落な服にも落ちた。
「うぉっちっち! な、何をするんだ、ぼくの大事な服に!」
怒った一太は、あらかじめ用意をして持って来た布の端切れを閻魔王に向かって投げつけた。この端切れはただの布ではない。一太の母親が四国霊場めぐりをして集めた、ありがたい経文が特別な墨汁で綴られている霊験あらたかな端切れだ。一太が普段、洋裁の技を磨いているうちに、自在に布地を操れるようになった成果として、小さな端切れは一太の思うがままに、繰り出される。小さな端切れは手裏剣のように飛び上がり、生き物のように閻魔王の周りを飛び巡ったかと思うと、手や腕、足、そして口や眼に貼り付いてその動きを封じ込めた。
「むぅうううう! なんじゃこれは! こんなもの、むぅうぅぅぅぅううううううう! ふんっむむむむむ!」
閻魔王が体中に力を込めて、身体のそこここに貼り付いた端切れをはじき飛ばす。はじき飛ばされた端切れは効力を失ったお札の如く、力なく足元に散らばった。
「この、俺様に逆らう蛆虫どもが!」
閻魔王は、人間の男女の頭が持ち手に飾られた、人頭幢という杖を腰から抜き出して振り上げた。この杖は閻魔王が地獄の裁判で使用するものであるが、その他にも様々に使われるらしい。これを振り下ろすと、何が起きるのか末恐ろしい。閻魔がまさに杖を振り下ろさんとしたそのとき、杖の持ち手に埋め込まれた女の頭が叫んだ。
「閻魔王様! 此奴らは敵にはござりません!」
杖の持ち手に埋め込まれたもうひとつの男の頭も叫んだ。
「大王様! 此奴らの心はあまりにも清らかで、此奴らこそが人間社会を正す者かと」
「なにぃ? 此奴らが敵ではないと? では此奴らは何者なのじゃ?」
金田太郎は禿親父から伝授された呪文を一心に唱え続けている。
「一心祈奉、香煙微有、天通天給。其時大日大聖不動明王。五色雲中御身表姿表……天地感応、地神納受。所願成就……」
そしてノリコも何かをせねばと、手に持っていた籠の中からバンを掴んで閻魔王めがけて力いっぱいに投げつけた。
「ノリコベーカリー!」
そう叫びながらノリコが投げつけたパンが閻魔王の頭に、眼に、口に当たる。
「なんじゃ、それは。それでも武器か? わーっはっはっはっはっは!」
偶然にも高笑いする閻魔王の口の中に、ノリコが投げた小豆クロワッサンが飛び込んだ。
「んっむ? ムグ。うむ。うぅぅぅぅぅむぅっ! こ、これは? う、美味い」
ノリコのクロワッサンが、閻魔王のどこかしらにあるスイッチを入れた。閻魔王がパン好きだなんて聞いたこともないし、洒落にもならない気がするが、実際、閻魔王は目尻を下げてきょろきょろと辺りを見渡した。そして口に入らなかったほかのノリコのパンを見つけた閻魔王は、それを拾い上げては口に運んだ。
「うむぅ。やはりノリコベーカリーのパンは美味い!」
「え?」
ノリコは不思議そうな顔をした。この閻魔王は、ウチのパンを食べたことがあるの? ノリコベーカリーのパンが好きなの?
実は、閻魔王に変身する前の元の姿である円正王は、ノリコベーカリーの近くに家がある。マサオはときどきノリコベーカリーで、焼きたてパンを購入する隠れファンであったのだ。人でも閻魔でも、モノを食うときには素になる。無防備になる。閻魔王の姿がマサオに戻りかけたり、また恐ろしい閻魔王に戻ったり、揺らぎ始めた。
「天魔外道皆仏性、四魔三障成道来、魔界仏界同如理、一相平等無差別!」
太郎がそこまで唱えた時、かつては結界となっていたが、いまはみすぼらしい祠でしかなかったところに、大きな空洞が俄かに生まれ、真っ赤な光が地の底から差し上がってきた。
「むぅぅぅぅぅうぅぅぅぅぉぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉおおおおおおおおおおおおお?」
パンを食べることに気を取られてすっかり戦意を忘れてしまっていた閻魔王の身体が、その赤い光に取り憑かれた。赤い光は螺旋を描くように閻魔王の周りを何度もぐるぐる旋回して、閻魔王の身体を赤い光で包み込んで行く。やがて閻魔王の姿が二重三重にぶれ動いた。
「うぁぁぁぁぁぁあああああああああアアアアアアアア!」
ぶれ動いた閻魔王の身体は、赤い光に包まれたまま、実体を失い、スーッと煙のように祠の中に吸い込まれて行った。これまでの激しい唸り声や風を切る音、業火が燃え盛る音、すべての音が一瞬にして消え、静寂が辺りを包み込んだ。天を被っていた厚い雲も瞬時に掻き消え、緑の森には鳥の囀りさえもが響き始めた。今まで閻魔王が立っていた場所には、無邪気にパンに食らいついている円マサオが呆然と立っていた。




