第4話 命令書
「第三巡察隊は、これ以上荷台に触れるな」
アリシアの声で、雨の街道が止まった。
泥に膝をついた騎士たちは、まだ納得していない。だが、第二騎士団長の命令を無視してまで、命令書のない追跡を続けられる者はいなかった。
若い騎士が、悔しそうに歯を食いしばる。
「レインハルト団長!このまま引けば、我々は任務を放棄したことになります!」
「引けとは言っていないわ。手順を踏めと言っているの」
その一言で、騎士たちは黙った。
雨で濡れた街道に、馬の息だけが残る。片頬の団員は縛っていた縄を緩め、若い団員は倒れた騎士の剣を足元から遠ざけた。ガドは盾を下ろさない。ミラも屋根から降りない。黒羊も、まだ終わったとは思っていない。
アリシアは第三巡察隊の先頭へ向き直った。
「負傷者の収容を優先。黒羊傭兵団の荷改めは一時中止。あなたたちは、命令書を提示できなかったこと、追跡対象が王宮連絡係リーシャ・エルネストである可能性、白鐘離宮の名を知らされていなかったことを、隊長へ報告しなさい」
「しかし、王宮からは逃亡者と――」
「誰がそう言ったの?」
若い騎士の声が止まる。
「王命なら、紙を持ってきなさい。王命ではないなら、王国騎士が誰の命令で剣を抜いたのかを確認する。それだけよ」
アリシアの声は高くない。だが、逃げ道はなかった。
若い騎士の肩が落ちる。
(俺たちは、何を追わされていた?)
その顔に、ようやく疑いが浮かんだ。セリアが低く笑う。
「王国騎士が、王国騎士を止めるのか」
アリシアは泥に落ちた剣と、荷台の奥を順に見た。
「止めなきゃ、もっと悪いことになる」
その目が俺へ向く。
「レオ。あなた、また王国の面倒に首を突っ込む気?」
「突っ込んだんじゃない。たまたま道端に落ちてたんだ。」
言いながら、自分でも苦しいと思った。
アリシアはそこを見逃さない。
「昔も似たようなことを言って、結局ひとりで抱えたわね」
国境谷。報告書。俺が誰にも言い切れなかったこと。
胸の奥が重くなる。セリアがそれに気づいたのか、ほんの少しだけ俺の前へ出た。
「レオは今、黒羊の副団長だ」
声は静かだった。
「昔のお前が何を知っているかは知らない。だが、今こいつが抱えている荷は黒羊の荷だ。勝手に昔へ引っ張ってくれうな」
アリシアの目が細くなる。
「今のレオが王国騎士ではないことくらい、わかっているわ」
セリアはすぐには返さなかった。アリシアの肩章、剣の位置、俺を見る目を順に見て、それから少しだけ顎を上げる。
「わかっている顔には見えないな」
「あなたこそ、ずいぶんレオの顔を見るのね」
空気がまずい方向へ傾きかけた。
ミラが屋根の上で、眠そうにぼそりと言う。
「大熊、盾そのまま。二人の間に入らなくていい。巻き込まれる」
ガドは一瞬だけ二人を見比べ、真顔で頷いた。
「俺でもわかるぞ。今入ったら死ぬやつだ」
荷台の奥から、ノエルのため息が落ちた。
「患者の前です。全員、声を落としてください」
その一言で、黒羊だけでなく、アリシアまで少し黙った。
ガドが即座に姿勢を正す。
「はい、ノエル先生」
アリシアが不思議そうにガドを見た。大盾の大男が軍医の一言で従順になる光景は、王国第二騎士団でも珍しいのだろう。
俺は息を吐いた。助かった。いや、助かってはいない。状況は何も解決していない。
アリシアは荷台へ視線を戻した。
「その人をどこへ運ぶつもり?」
「安全な場所だ」
「王都に?」
「王宮以外でな」
アリシアは一拍だけ黙った。騎士としての義務と、目の前の異常を秤にかけた沈黙だった。
「サイラス商会の旧倉庫を使いなさい」
俺は眉を寄せた。
「お前、知ってるのか?」
「王都周辺で、黒羊が薬草配送を受けた時に使いそうな場所くらい読めるわ。昔からあなた、逃げ道だけは妙に丁寧だったもの」
「褒めてるのか」
「呆れているのよ」
ほんの少しだけ、昔の温度が混ざった。セリアが横で小さく鼻を鳴らす。
「昔から詳しいんだな」
アリシアはセリアを見た。
「同僚だったからね」
「便利な言葉だ」
俺は二人の間に立つのをやめたい気持ちになった。だが、やめれば燃える。王国の闇より、目の前の二人の方が先に火を噴きそうなのは、本当に勘弁してほしい。
アリシアは第三巡察隊へ向き直った。
「あなたたちは隊へ戻って報告。私はこの件を確認する。命令書が存在するなら、正式な形で持ってきなさい。存在しないなら、今後この荷馬車に触れることは許可しない」
「レインハルト団長、それは越権では……?」
「責任は私が持つわ」
その言葉に、俺は思わずアリシアを見た。昔も、彼女はそうだった。
正しいと思った時、責任という言葉を簡単に口にする。簡単に聞こえるだけで、本当は重い。俺はかつて、その重さから逃げた。アリシアは、逃げなかった。
だから、後ろめたい。アリシアは俺の視線に気づいたが、何も言わなかった。代わりに、低い声で告げる。
「急ぎなさい。命令が曖昧なら、次はもっと曖昧な手が来る」
「それは第二騎士団長としての忠告か?」
アリシアは少しだけ言葉を詰まらせた。雨粒が、彼女の頬を伝う。
「……昔の同僚としての忠告よ」
言い終えてから、アリシアは少しだけ目を逸らした。雨のせいか、耳の端がほんのり赤く見える。セリアはそれを見ていた。
「昔の同僚、ね」
「セリア」
「わかっている。今は荷台が先だ」
彼女はそう言って、剣を完全に鞘へ納めた。声にはまだ棘が残っていたが、視線はもうアリシアではなく、荷台と王都側の雨へ向いている。団長として、優先順位を間違えない女だった。
俺は荷馬車へ振り返る。
「片頬、動かす。揺らすな。若いの、騎士の縄を解け。ただし剣は泥の中へ置いたままだ。ミラ、前方確認。ガドは荷台側。ノエル、状態は?」
ノエルは女の額に貼りついた髪を払い、淡々と答えた。
「今は持たせます。倉庫に着いたらすぐ処置します」
それだけで団員たちの動きが丁寧になった。ガドが小声で若い団員に言う。
「揺らすなよ。ノエル先生が薬箱の奥に手を入れたら、騎士団五人より怖い」
「そんなにですか」
「そんなにだ」
ミラが屋根の上から、雨の向こうを見たまま呟く。
「医者が怒る前に走る。大熊」
「おう。右は俺が押さえる」
短いやり取りだが、意味は伝わってる。ミラが警戒。ガドが盾となり、ノエルが患者を生かす。セリアが一番危ない場所に立ち、俺が全体を動かす。
黒羊は、もう次の動きに入っていた。
アリシアはその様子を見て、少しだけ目を細める。
「……あなた、本当に傭兵になったのね」
「今さらか」
「今、見えたのよ」
責めるでもなく、認めるでもない。ただ、王国騎士だった俺がもう別の場所で動いていることを、ようやく目で見た声だった。
俺が返事に困っていると、セリアが先に言った。
「今のレオは黒羊の副団長だ。昔の肩書きで呼ぶなら、料金を取るぞ」
「セリア、何の料金だ?」
「手間賃だ!」
アリシアは一瞬だけ呆れた顔をしたあと、ほんの少しだけ笑いかけた。だが、すぐに表情を戻し、王都側の雨へ目を向ける。
「急ぎなさい。これは、ただの逃亡者の追跡じゃないわ」
彼女の声から、軽さが消えた。俺も笑えなかった。
アリシアは白鐘離宮の名を聞いて、明らかに何かを知っている。第三巡察隊は命令書もなく動かされている。王宮連絡係らしき女は、王家の封蝋を握って倒れていた。
アリシアは俺を見た。昔の同僚ではなく、王国第二騎士団団長として。
「レオ。これは王宮の内側の問題よ」
胸の奥に嫌な重さが沈んだ。王宮の内側。
そこは、俺が一度捨てた場所だ。そして今、その場所から逃げてきた女を、俺たちは荷台に乗せている。
やれやれ。面倒は、拾った瞬間からもう手遅れだった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
少しでも「続きが気になる」「黒羊傭兵団いいな」と思っていただけたら、
ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると嬉しいです。
感想も励みになります!
次話もよろしくお願いします。




