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「うっく……かはぁっ……」

 湊輔はたまらずえずいた。

 その姿を見ただけで、戦慄が走ると共に全身が締め上げられた。


「コイツ……まさか」

 剣佑が凧盾(ヒーターシールド)長剣(ロングソード)を強く握り締め、身構えた。

「前にシバさんが言っていたヤツか……!」

 今にも躍りかからんばかりの体勢。

 しかし踏み出さない。

 いや、踏み出せないのかもしれない。

 それほど、コイツの威圧感は異常だから。


 耀大に群がっていた鳥人型(ハーピー)たちが、一斉に上空に飛び去った。

 かと思えば、至極の山羊(バフォメット)めがけて滑空し始めた。

 頭を握り潰された翼人型(アエロー)仇討(あだう)ちをするかのように。


 至極の山羊(バフォメット)の肩と僧帽筋が、首筋を飲み込むようにせり上がった。

 胸筋が大きく丸く膨らんでいく。


 まさか、と直感して、湊輔はすぐに耳をふさいだ。


『ブゥアアアァァァアアアァァァ!』


 牛のような張りのある野太い咆哮。


 「うあぁぁっ……」


 湊輔は思わず体を丸くしてうずくまった。

 耳に当てた手はまるで意味を成さない。

 地面が、大気が、そして鼓膜が、全身が、重大な音波によって激しく揺さぶられた。


 鳥人型(ハーピー)たちは銃撃された野鳥よろしく、次々と墜落していく。


 やがて音波を静めると、至極の山羊(バフォメット)は左腕を勢いよく振り払った。

 握り絞められていた翼人型(アエロー)が、小石のように軽々と放り投げられて遠のいていく。


 湊輔は顔を上げ、おそるおそる巨大な悪魔を視界に捉えた。


 途端、至極の山羊(バフォメット)は鉈を地面に突き立て、黒い沼の中に沈んでいった。

 完全に巨体が消え入ると、それは急速に狭まって跡形もなくなった。


 あたりが静寂に包まれる。

 嵐が過ぎ去ったあとのような、閑散としたものではない。

 戦慄によって張り詰めた緊張感によるもの。


「おい……大丈夫か、おめぇら……」

 颯希が顔を青ざめながら、耀大と有紗を連れて歩み寄ってきた。


「え、ええ、俺は問題ありません……」

 剣佑が息を荒げながら答えた。


「まさか、シバさんの一報が入ってすぐ、とはのぅ……」

 耀大が重々しい表情で肩を落とした。


「たく、あんなやべえヤツと――」

 颯希が口をつぐみ、肩越しに有紗を見て、へたり込んでいる湊輔に目を落とした。

「ま、生き残っただけ(もう)けもんか」

 前髪をかき上げながらつぶやき、目を凄ませて舌を鳴らす。

「くそったれ……今度はなんだってんだよ……」


 耀大、剣佑、有紗、そして湊輔が颯希の視線を追った。


 その先にあるのは、至極の山羊(バフォメット)が残していった鉈。

 それが柄頭からただれるように溶け出し、地面に広がっていく。


「湊輔、立ちな。おめぇら、下がれっ」


 颯希に言われ、湊輔は覚束ない動きで立ち上がる。

 溶け崩れる鉈を見据えながら、四人と一緒にその場から離れた。


 やがて、至極の山羊(バフォメット)の足下に広がっていたような、黒い歪な円が広がった。


「けっ、なんか出てきやがったぜ……」


 颯希がつぶやくと同時、その中から、二つの影がせり上がってきた。

 ソレらが完全に姿を現すと、混沌を模した沼は収束するように消え去った。


 二つの影の一つは、長身な人型。

 見てくれは外套(ローブ)をまとった甲冑(かっちゅう)騎士。

 足元から首元まで滅紫(めっし)色――灰味のある暗い紫色――に染まっている。

 外套はところどころ破れ、裂けている。

 手には長い曲刀(サーベル)を持ち、首にはくすんだ灰色の頭蓋骨が据わっている。


 もう一つは体高が三メートルを超す、似紫(にせむらさき)色――くすんだ青みのある赤紫色――のサソリ。

 とはいえ、前体の先端からは人間女性の上半身が生えている。

 さらに、ハサミと尻尾の針の部分は、刺身包丁のような長い刀身。


「シアアアアアアアアアアアアッ!」

 サソリの人間体の、しゃがれた鳴き声による咆哮。


 湊輔は顔をしかめた。

 至極の山羊(バフォメット)ほどではないにしても、全身が総毛立って。


『ぴんぽんぱんぽんぴんッ。緊急事態ッ、緊急事態ッ。魔郷の眷属(ドォンケルハイト)が侵入ッ。魔郷の眷属が侵入ッ。滅紫の幽騎(カヴァリエレ)似紫の刀蠍(シエーラ)、でーすッ。最優先事項――てゆーか、もうソイツらしかいないね。即刻処理してくださぁーいッ。繰り返しまぁすッ。魔郷の眷属を即刻処理してくださぁーいッ。以上ッ。……ぴんぽんぱんぽんぴんッ』


 これほど空気が張り詰めているにも関わらず、幼い少年のような声はやたらコミカルに聞こえた。


「けっ、言われなくてもやるっつーの」

 颯希が苛立っているようにぼやいた。

「さて、どーすっかねぇ……」


「颯希さんッ」

 剣佑が勇んだ声で呼んだ。

「あのサソリのような敵、お願いできますか? 颯希さんには射ちがいのある相手じゃないかと……」


「はッ、分かってんじゃねぇか、剣佑。いいぜ、でかいのはあたしが狩ってやるよ。――耀大ッ、一緒に来な!」


 不敵に笑う颯希に耀大は大きく頷き、

「了解じゃあッ」

 と意気揚々に答えた。


「じゃあ剣佑、湊輔と有紗を頼むぜ」


「ええ、お任せください」


「さて……仕掛けるかのぅ」

 颯希と剣佑が構えたところで、耀大は胸いっぱいに息を吸い込み、


――【猛嚇咆(レオズロア)


『ウオオオオオオオオオッ!』

 人間離れした重低音の咆哮を轟かせた。


「シアアアアアアッ!」

 サソリは呼応するように吠え猛ると、刺身包丁のような刀身が伸びる触肢を振り上げ、動き出した。


 直後、風切り音が三つ、わずかにずれて重なるように連なった。

 颯希による超速の三連射。

 いずれもサソリの人間体に向かって飛びかかる。


 サソリは三本の刀身を交差させ、連なる矢を防いだ。

 そしていったんは止めた脚を再び動かし、進み始める。


 颯希は矢を放ちながら、耀大は追いかけてくる巨体の動向を確認しながら、駐車場からから離れていく。

 A棟校舎前の道路か、グラウンドまで引っ張るつもりらしい。


 二人と一体が離れ、三人と一人が残された。


 幽騎はくすんだ灰色の頭骨を三人に向ける。

 先日、至極の山羊(バフォメット)がしたように、品定めのごとく静かに見比べる。

 剣佑、有紗、そして湊輔へと動かして、止めた。


 途端、湊輔は全身が燃え上がるような感覚に見舞われた。

 翼人型(アエロー)のときよりも、ずっと激しい。

 それとは別で、まるでざわつくような、言い知れない感覚も混ざっている。


 幽騎がおもむろに体を動かし始めた。

 見せつけるように大きく、曲刀(サーベル)を構える。

 左半身を前に、左腕を突き出し、曲刀を持つ右腕を引き絞る。

 まさに突きのような構え。


 湊輔はすかさず身構えた。

 瞬間、駆け出して迫ってくる幽騎。

 同時に視界の左下から跳ね上がる、赤い光跡。


「せあああ!」

 幽騎と湊輔との距離があと数歩のところで、剣佑が飛び込んできた。

 突きをすると見せかけて振り上げようとした曲刀(サーベル)が、打ち下ろされた長剣(ロングソード)によって押さえ込まれた。

「この前入ったばかりの新入りでな。俺のほうが相手になるぞ」


 勇壮な眼光を放つ剣佑と刹那睨み合い、幽騎は(きし)り合う刀剣を弾いて後退した。

 そしてすぐさま踏み込み、剣佑に斬りかかる。


 長剣(ロングソード)凧盾(ヒーターシールド)曲刀(サーベル)による剣戟(けんげき)が始まった。

 烈火のごとく斬りかかり、殴りかかる剣佑と、せせらぎのように得物をしなやかに操る幽騎。

 十合ほど斬り結ぶ――というより、幽騎は繰り出される攻撃のことごとくをいなし、剣佑を押しのけて自ら距離を取った。


「くそ……一つも届かない、か……」

 剣佑は深呼吸して肩を落とすと、気合を入れるように構え直した。


 湊輔は二人の斬り合いを見ながらずっと、浅い息を荒げていた。

 幽騎は確かに剣佑と向かい合っている。

 だが、全身を襲う激しい熱とざわつくような感覚が少しも収まらない。

 まるで幽騎が、視界の端で本命の獲物を耽々(たんたん)と睨みつけているように。


「どうした! さあ来い!」


 剣佑が怒号を放つと、幽騎が踏み出した。

 途端――


霞脚(ヘイズステップ)?」

 湊輔は目を見張った。

 幽騎が動き出すと同時、その体の輪郭が消えたから。

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