【2】
りんご飴。
応接間にて。
唐突だけど、私には前世の記憶がある。
たぶん普通の人にはないんだけど、神様の気まぐれのせいで残っているらしい。
細かくは覚えていないけど、私に『前科』があることだけは確か。
世界を一つ、たった一回の魔法で壊してしまったという、大きな大きな『前科』。別に悪気なんて全くないし、こんな魔力が私にあるなんて少しも知らなかった。
だから、私は来世で『普通』を望んだ。平凡で、どこにでもいるような女の子になれれば、それで良かった。
それが公爵令嬢とか……。顔は普通だと思うけれど、それにしても魔力をそのまま受け継いでしまうなんて……。
今までこの16年間ちょっと、私は『普通』であること、そして何より魔力をこれ以上増大させないことに全力を尽くしてきた。
貴族がやらなければいけない勉強は全てやったし、ダンスだって覚えた。魔力についての本を読み、それでいて一度も魔力を漏らさないように努めた。今ではもう皆、私には魔力なんてからっきしないと思っているはず。
それが……なぜ今になって、これまでの努力を踏みにじるような事態に陥っているっ!!
「花嫁候補―――――っ!?」
王子到来よりさらにショッキングな事実を知って、私は再び叫んだ。目の前に座っているレオンが両耳を塞ぐ。対照的に、その後ろで控えているウサ耳君は全く動じず、彫像のように立っていた。
ここは屋敷の一番大きな応接間。一番きれいな調度品達が集まっている、私にとってもお気に入りの部屋。もちろん、自分の部屋の次にだけれど。
たとえば、私が座っている真紅の椅子の隣に置かれたランプ。明かりを灯すとランプの覆いの色や模様が美しく部屋中に映し出される。
あるいは先程から時を刻んでいるアンティークの置時計。どこか懐かしさを感じさせる温かいデザインで、作られてから一秒もずれることなく仕事をしている働き屋さんだ。
と、まぁ、このような物がたくさん集まっている心休まる場所なのである。
話を戻して。
この衝撃的な発表の後、私は必死に思考を巡らしていた。
まぁ、でも花嫁『候補』だし? 決定じゃないよね、全然。
ってことは、あれだ。嫌われればいんだ。
というか、そもそももう候補から外れてるんじゃない? 2回も大声で叫べば、そりゃ非常識な人だと思われるよね。そうだ、きっとそうだ。はぁ、やっと安心してきた。
「シャーロットお嬢様、大丈夫ですか?」
グウェンがそっと後ろから聞いてくる。グウェンの方も、もう先程までの動揺は嘘のように消え、いつも通りの落ち着きを取り戻している。
私は大丈夫と笑った。グウェンには余計な心配をかけたくないし、やっと自分を取り戻した所なんだ。大丈夫に決まってる。
「今日は改めて、急にお伺いしてしまい、申し訳ございませんでした」
主人の代わりに謝るウサ耳君。いや、それよりも本人に謝ってほしい……。
ふと『本人』を見ると、素知らぬ顔で足を組んでいる。教育を疑いたくなる。
「ところでハーモン公爵は……」
ウサ耳君が聞いた。それは残念だけど……
「父は今、あいにく家におりません。どこか遠くのパーティーに参加するとかなんとか……」
「なるほど」
昨日の朝から馬車に乗ってどこかに出かけてしまった。行先までは聞いていない。こういう遠出はしょっちゅうあることで、一々聞いていたらキリがないからだ。ただ、パーティーのためだということだけは小耳に挟んだ。
「そろそろ帰るか、シリル」
レオンが立ち上がった。ウサ耳君はシリルというらしい。それにしても勝手すぎないだろうか。いきなり不法侵入してきたと思ったら、来た時と同じようにいきなり帰る宣言。
やっぱり外見と一緒でチャラいのか。
「では、ご検討の程、よろしくお願いいたします。他にも候補の方がいらっしゃる故、後程追って連絡をいたしますので」
シリルがそう締めくくっている間にもレオンはさっさと外に出てしまっていた。シリルは慌てずに、音もなくついていく。
腐っても王子様は王子様。一緒に玄関口に出て見送ろうと思ったが、私が玄関を出た頃には馬車は曲がり角を曲がっているところだった。
いまだに信じられないような出来事に溜息をつき、屋敷に戻ると、待っていたのは大歓声だった。
◇◆◇
「さすがシャーロット様!! レオン第三王子の花嫁候補だなんて!!!」
「候補? もう決定に決まっているだろう!!」
「まぁ、どうしましょ、シャーロット様が結婚なさったらお城にお住みなさるの??」
「それはそうよ!」
「でもそうなってしまったら寂しくなりますわね……」
侍女や執事達が口々に勝手なことを歓声と共に言い、ロティーを囲む。私は苦笑した。ロティーはこういうのを嫌うだろうな……。
案の定、そのすぐ後に「ちっが―――――――――――――う!!!!」という悲鳴が屋敷には響き渡った。
「グウェンー」
ロティーが涙目で抱きついてくる。はいはいと頭を撫でると、ぐすんという効果音。疑いようもなく可愛い。
侍女の私がこんなことを言うのは、本当はいけないのだろう。だが可愛いものは仕方ない。しかも、当の本人は全く自分の可愛さに気付いていないのだ。
いつもロティーはひたすら『普通』であろうとする。なぜだかはさっぱりわからないけれど。ロティーはちゃんと『普通』になれていると思っているらしいが、私の目から見たら、全く『普通』でもなんでもない。通りをただ歩くだけで視線を集めるほどの美人だし、趣味はまさかの剣術。貴族で令嬢といったら魔法が得意な者が多いが、ロティーが魔法を使っているのを私は見たことがない。しかし、そのくせして魔法に関する書物は読み漁っている。全く、よくわからない。
でも、私はそんなロティーが大好きだ。何事にも一生懸命だし、何より優しい。こんな自分を傍に置いてくれているし、私のことじゃなくても、いつも誰かしらに助けを差し伸べている。だから屋敷の中でも人気が高く、あんな玄関口での歓声にもつながったのである。
それ故、レオン様が来た時からのロティーの微妙につんけんとした態度には違和感を抱いた。レオン様との結婚が嫌なのだろうか。
でも、ロティーももう16を超えた。いつ結婚しても全然おかしくない。ではレオン様の人柄が嫌だったのだろうか。でも人柄なんて言っても、まだちゃんと話してもいないはずだ。最初に勝手に裏庭に来たのが悪かったのだろうか。
まぁ、いかなる事情であっても私はロティーを応援する。私はぽんぽんとロティーの背を軽く叩きながら思った。
「ねぇ、グウェンー」
「なに?」
パッとロティーを見ると、涙目でこちらを見上げている。
いや、その顔は私にするより、殿方にした方が……。
私がこんな余計なことを考えているとは、露ほども知らないであろう。ロティーは先を続ける。
「私、結婚したくないんだ」
「え、レオン様と?」
あぁ、やっぱりそうなんだ、苦手なんだ。納得しかけたところで、ロティーは首をふるふると横に振る。
「私誰とも結婚したくない」
「え?」
「一生独り身じゃダメかな……」
そ、そっちだったか!! そもそも結婚というものに抵抗があるらしい。私は頑張って笑顔を作り出した。
「きっと結婚というのは楽しいものですよ。自分を想ってくれる人がいつでも傍にいるんですから」
「グウェンはしたい?」
「結婚を?」
「うん」
うーん……。難しい問いだ。
「そもそも侍女っていうのは基本的に結婚しない職業だから、考えたこともないっていうのが正直なところかな……」
「そっか……」
真剣に悩んでいる様子のロティー。やっぱり可愛い。しばらくたって、また顔を上げた。
「やっぱり私、結婚はやだ」
「ロティーが自分で決めたことなら、私はそれでいいと思うよ」
私の言葉にロティーはホッとしたように顔を緩ませ、また抱き着いてくる。だから、その顔は私より(以下略
……でも、現実はそう上手くはいかないものでした。