冬のある一日 (番外編)
「ねえ、楓。今度ダブルデートしようよ!」
冷たい風の吹きすさぶ昼休み。教室でお弁当中に、菜々美が頭の沸いたことを言ってきた。
菜々美の日本語は多分不自由だ。ダブルデートとは、恋人同士が二組必要である。二組だ。
「私と彼と、楓と山田くんで!」
「ダブルデートの条件を満たしていません。却下」
私が一刀両断すると、菜々美が不満そうに頬を膨らませた。
「えぇ!? だって楓この前のこともちゃんと説明してくれてないけど……どうなの? 山田くんと」
「だから言ったでしょ? 宇宙人に攫われてハンカチを山田くんに渡すように指令を受けたんだって」
「せめてもうちょっと現実味のある嘘をつこうよ楓!」
真実を言ったところでそちらも現実味のない話なのである。山田くんが異世界で魔王を倒した勇者様だなんて、山田くんの名誉の為にも私の頭を心配されないためにも言うわけにいかないのだ。
菜々美はため息をついて首を振ると、お弁当箱の中のハンバーグを食べながら言う。
「じゃあ百歩譲って、みんなでアイス食べに行こう」
その場合百歩譲るのはこっちだ。こんな寒空で何度もアイスにつきあえるか!
「この寒さでアイスはない! ラーメンならいいけど、アイスはやだ」
「オッケー、じゃあラーメンね。今日放課後に皆で行こう!」
えっ、ちょっ、決定早い! 慌てる私に菜々美はにっこりと笑って言う。
「自分から言ってきたんだもん、今更いやだとは言わないよね?」
「……」
このアイス魔計りやがった……。私は渋々頷くしかなかった。
「なんでそんなに嫌がるのよ。山田くんのこと嫌いなの?」
「へ?」
菜々美の質問に私は目を丸くした。嫌いとか、そんな訳ないじゃないか。異世界ではすごく頼りになったし、勇者様(笑)だし。いやこれだと嫌っているかのようである。
「菜々美にからかわれるのが嫌なだけよ」
「ふうーん?」
そのにやにや笑いを見るのが嫌なのだと私が半眼で睨むと、彼女はごめんごめんと笑って携帯を手にした。彼氏にメールを打っているのだと思う。
――そういえば。
なんだかんだで戻ってきてから一週間は経っているが、山田くんの携帯電話もアドレスも知らない。となりのクラスなのでよくすれ違いはするのだが、私が菜々美連れだったり、山田くんが菜々美の彼氏と一緒だったりで、タイミングが合わず声をかけられなかった。向こうも多分同じ感じだと思う。
それを考えると皆でラーメン屋に行くというのはむしろ良かったのかも知れない。そう思いながら私は放課後のカロリー摂取量を考えてお弁当を置くのであった。今日は低カロリー塩ラーメンにしよう。
* * * * * * * * * *
やられた。
放課後に四人で集まって、そのまま一駅先の美味しいと評判のラーメン屋さんまで行った。席についたら急に菜々美が「あっ、今日留守番頼まれていたんだった! ごめん帰るね!」と言い出して、彼氏も連れて行った。
まるで気を遣ったかのような二人きりに、私と山田くんは二人して口をあけた後に、目を見合わせて困ったように笑い合った。
「……あいつ、明日殴っておくから」
山田くんが菜々美の彼氏に対して拳を握るのと同様に、私も菜々美に覚えていろとメールを送ったところだった。返事は何故か親指立てた絵文字だった。本当に覚えてろ。
「菜々美は任せて。明日あの子の家に行って、冷凍庫からアイスを全部奪ってくるね」
泣いてごめんなさいをする菜々美が脳裏に浮かんで少し溜飲が下がった。
「長崎さん何にする?」
「あ、私は塩ラーメンで」
顔を寄せ合うようにしてメニューを覗き込み、私はカロリー控えめマークのついた塩ラーメン、山田くんは醤油ラーメンを注文した。
店員さんの元気な声が店の中を行き交う。ラーメンの湯気が立ちのぼる熱気に、暖かくなってコートとマフラーを外して置いた。
「退院して以来だね、山田くん。あのときは本当にありがとう」
階段から落ちた私を庇うようにして受け止めた山田くんも、一緒に転がり落ちて軽く頭を打ったのだ。お互い病院で一泊して、次の日母と私で山田くんに菓子折を渡しながらお礼を言ったが、彼は恥ずかしそうにむしろ受け止めきれなくてすみませんと頭をかいていた。
検査を終えた山田くんと私は病院前で手を振って別れ、そして今に至る。
改めて頭を下げる私に、山田くんは照れたように首を振る。
「いやいや、本当気にしないで。むしろ俺のほうが巻き込んでごめん。改めて謝りたかったんだけど、連絡先を知らないし、菜々美さんに聞くのは危険だと思って」
大変ありがたい状況判断である。聞かれた菜々美は喜々としてメールアドレスどころかスリーサイズまで漏らす勢いだろう。体重だけは漏らしたら絞めよう、菜々美の首を。
「あ、じゃあ今交換する?」
私が携帯を取り出すと、山田くんは驚いた顔をした後に、頷いて笑った。
「ありがとう。そうしよっか」
彼が差し出した携帯と赤外線で通信してお互いやっと連絡先を手に入れた。これで菜々美の企みは事前相談できるはずだ。情報戦略は大事である。
「お待たせしました!」
そこで店員さんが持って来たラーメンをお互い食べ出した。熱々のラーメンは美味しくて染みこむようだった。アイスとは大違いだ。
湯気の向こう側に見える山田くんは、いつもと変らない様子だ。少し鼻の頭が赤いのは、熱々のラーメンのせいだろう。
山田くんと目があった気がして慌ててラーメンに視線を戻す。
「そういえば山田くん、行方不明になったって話は聞かなかったけど、いつの間に異世界に行ってたの?」
私の質問に、山田くんはラーメンを食べる手を止めて考えた。
「あー……行方不明というか、いなくなったのはあのアイスを食べた土曜日と、次の日の二日間だけなんだ。親からはめちゃくちゃ叱られたけど、異世界の一年が現実世界では一日だったみたいで助かったよ」
そう言って山田くんは笑った。それは確かに不幸中の幸いだ。魔王を倒して帰ってきたら留年していたとか悲劇である。
「長崎さんはあの後大丈夫? もう異世界には行ってない?」
「うん、ここ数日は夢もみないくらいぐっすりかな」
もう二度と行けないとなると、私の中では異世界の思い出は楽しかった記憶になっているが、山田くんの前でそう言うのは憚られたので曖昧に笑う。
「それは良かった」
心底安堵した様子の山田くんに、彼が異世界で苦労した様子が垣間見えて何も言えなくなった。
ずるずるとラーメンと鼻をすする音が響く。でも別に嫌な沈黙ではない。
熱々のラーメンはとても美味しかった。私は山田くんとラーメンをすすりながら、やけにのんびりとした時間を過ごした。
* * * * * * * * * *
「うわっ、寒い!!」
店を一歩出た瞬間に冷たい風が吹き付けてくる。日はすっかり暮れていて、周囲の店から溢れる光が辺りを照らしている。慌ててマフラーを巻き直して私はあることに気付いて愕然とした。そんな私に山田くんは不思議そうに声をかける。
「どうしたの? 長崎さん」
「手袋忘れた!」
店に来る前はまだ暖かかったので気付かなかったが、学校に手袋を忘れてしまったようだ。冷え性なので辛い。手がすぐに冷たくなるのだ。
「うぅ、手が寒い」
はぁはぁと息を手に吹きかける。白い息が一瞬だけ手を温めるが、逆効果のように指先は冷えていく。
そんな私の言動を見て、山田くんはしばらくためらうような沈黙の後に手を差し出して来た。
「……俺あんまり手が冷たくならないから」
「え?」
差し出された山田くんの手が、私の右手に触れる。暖かい。
「ホッカイロ代わりに貸すよ」
「……」
じんわりと暖かい手が私の右手を掴む。指先まで温められるような感覚が心地良い。
何も言わずに山田くんは私の手を引っ張るようにして駅前に向かった。手を引かれ私もついていく。
別に何ら特別なことではない、異世界だって山田くんは私の手を掴んで歩いていた。ただあの時は夢の中、暖かな体温が伝わるような手ではなかった。違いはたったそれだけだ。それだけのはずである。
山田くんの左手は温かい。ホッカイロ代わりと思えばどうということもない。
そう自分に言い聞かせながらも、先を歩く山田くんを見た。
彼の耳が少し赤くなっているので、冬の寒さは本当に恐ろしいと何故か熱い自分の頬を左手で冷やすのであった。
* * * * * * * * * *
「よしっ」とばかりにガッツポーズをする菜々美とその彼氏が、通路脇でそれを見ていたのを知るのは、次の日になって彼女のにやにや笑いを見てからである。
尚、その日菜々美は冷凍庫の全アイスを奪われて「もう二度としません」と泣いて謝っていた。