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学園の王子様は放課後、妖魔を斬る――正体不明の仮面の神、その器は同居中の少年でした――  作者: situ725


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第6話 囁くもの

 朝食の席で、九条院伊織は久世湊の顔を見つめていた。


「眠れなかった?」


 湊の手が一瞬だけ止まる。


「どうしてですか」


「顔色が悪いから」


「九条院さんも、人のことは言えないと思います」


 言い返され、伊織は自分の目元へ触れた。


 深夜に結界の異常を調べたため、ほとんど眠れていない。


「私は少し早く起きただけだよ」


「俺も似たようなものです」


 二人とも、本当のことは話していなかった。


 伊織は結界の揺らぎを、湊は河川敷で目を覚ましたことを隠している。


「二人とも、今日は早く帰ってきなさいね」


 美冬が台所から声をかけた。


「特に伊織。腕の傷が治るまでは、運動部の助っ人も禁止です」


「分かってるよ」


「昨日は、三つの運動部から頼まれていましたけど」


「久世君」


「やっぱり引き受けようとしていたのね」


「結局は全部断ったよ」


「最初から断りなさい」


 伊織が黙り込む。


 湊は思わず口元を緩めた。


「九条院さん、監視されていますね」


「久世君が言ったんでしょう」


「聞かれたことに答えただけです」


「誰も昨日のことは聞いてなかったよ」


「そうでしたか」


 湊は何事もなかったように食事を続けた。


「心配されているだけだと思いますけど」


「久世君まで小春と同じことを言うんだね」


 そう言いながらも、伊織は本気で嫌がっているようには見えなかった。


 湊は食事を終え、席を立つ。


 服の下に隠れた膝の傷が痛んだが、表情には出さなかった。


     ◇


 星嶺学園に到着したときから、普段とは違う空気が漂っていた。


 廊下を歩く生徒たちの声が、いつもより大きい。


「絶対、顧問に気に入られてるから選ばれたんだって」


「先生に媚びてるだけじゃない?」


「成績がいいからって、見せつけるように話さなくてもいいのに」


「最近、私たちより別の子といる方が多くない?」


 部活動の選手選考。


 成績。


 友人関係。


 話題そのものは、学校のどこにでもあるものだった。


 しかし、言葉の端には必要以上の棘がある。


 教室に入ってからも、空気は変わらなかった。


 返却された小テストの点数を巡って、生徒同士が言い争っている。別の場所では、昨夜のメッセージに返事をしなかったという理由で、二人の女子生徒が口をきかなくなっていた。


「このクラス、いつもこうなんですか」


 湊が小声で尋ねる。


「そんなことはないよ」


 伊織は教室内を見回した。


 普段なら笑って流すような言葉にも、生徒たちが過剰に反応している。


 一人一人の不満は小さい。


 それが、誰かに無理やり引き出されているように見えた。


 窓際に座っていた湊が額を押さえる。


「久世君?」


「少し頭が痛いだけです」


「また?」


「昨日ほどではありません」


「保健室へ行った方がいいんじゃない?」


「授業を受けられないほどではないので」


 湊はそう答え、教科書へ視線を戻した。


 その耳元で、声がした。


『あいつは、お前を邪魔だと思っている』


 湊が顔を上げる。


 周囲には誰もいない。


 近くの生徒は、それぞれ自分の席で話している。


「どうしたの?」


「今、何か言いましたか」


「何も言ってないよ」


「なら、気のせいです」


 湊は窓の外へ目を向けた。


 校舎にいる間だけ、頭痛が少しずつ強くなっている。


 窓ガラスへ黒い影が映ったように見えたが、瞬きをすると消えていた。


     ◇


 昼休み、廊下から激しい声が聞こえた。


「だから、私が決めたんじゃないって言ってるでしょう!」


「でも、選ばれたから嬉しいんでしょ?」


 二人の女子生徒が向かい合っている。


 どちらも陸上部に所属していた。


 一人が大会のリレーメンバーに選ばれ、もう一人が外されたらしい。


「実力で決まっただけだよ」


「私に実力がないって言いたいの?」


「そんなこと言ってない!」


「思ってるくせに!」


 周囲には、止めることもできずに見守っている生徒が集まっていた。


 伊織は二人の間へ入った。


「少し落ち着こう」


「伊織……」


「ここで言い合っても、二人とも言いたいことが伝わらないよ。場所を変えて話そう」


 選ばれた女子生徒が唇を噛む。


「私は、あの子に実力がないなんて思ってない」


「だったら、どうして何も言わなかったの?」


「何を言えばよかったの?」


「残念だったねって、慰めればよかったでしょう!」


「そんなことを言ったら、余計に怒ると思ったから!」


「やっぱり、私を面倒だと思ってたんじゃない!」


 二人の感情が、言葉を重ねるほど激しくなっていく。


 伊織は、選考から外れた女子生徒へ向き直った。


「悔しいのは当然だよ。でも、彼女が選ばれたことまで否定したら――」


「伊織に何が分かるの?」


 鋭い言葉が飛んできた。


 廊下が静まり返る。


「勉強も運動もできて、先生にも皆にも好かれてる伊織に、選ばれなかった人の気持ちなんて分からないでしょう?」


「それは……」


「誰にでも優しくすればいいと思ってるの?」


 女子生徒の背後で、細い黒い糸のようなものが揺れている。


 伊織以外には見えていない。


「どっちの味方もできないのに口を出すなんて、無責任だよ!」


 伊織の胸に、言葉が突き刺さった。


 自分の言葉が正しいとは限らない。


 皆へ手を差し伸べることで、誰かの気持ちを分かったつもりになっているだけかもしれない。


 反論できずにいると、小春が人の間を抜けてきた。


「伊織さんは、二人に喧嘩をしてほしくないだけです」


「朝比奈さんには関係ないでしょう」


「関係がなくても、見ていられません」


 小春の声にも、普段にはない苛立ちが混じっている。


「悔しいからといって、伊織さんへ感情をぶつけるのは――」


 そこまで言ったところで、小春が口を閉じた。


 自分の胸元を押さえ、戸惑ったように眉を寄せる。


「小春?」


「今、私……」


 小春は一度深呼吸した。


「ごめんなさい。あなたを責めたいわけではないのに、言わなければいけないような気がして……」


 選考から外れた女子生徒も、自分が発した言葉に驚いたように伊織を見た。


「私も……どうして、あんなこと……」


 怒りが消えたわけではない。


 リレーメンバーに選ばれなかった悔しさも、友人に対する複雑な感情も本物だ。


 ただ、それを伊織へぶつけるつもりまではなかったのだろう。


「ごめん、伊織」


「謝らなくていいよ」


 伊織は穏やかに答えた。


「さっきの言葉も、全部が間違っているわけじゃないから」


「でも……」


「二人とも、今は少し離れた方がいい。落ち着いてから、もう一度話そう」


 二人の女子生徒が、互いに顔を見合わせる。


 すぐに仲直りできるわけではない。


 それでも、先ほどまでの激しい敵意は薄れていた。


 友人に付き添われ、二人は別々の方向へ歩いていった。


 集まっていた生徒たちも、少しずつ散っていく。


「伊織さん」


 小春が心配そうに呼びかける。


「大丈夫だよ」


「大丈夫ではありません。傷ついたでしょう」


「少しだけね」


 伊織がいつもの笑顔を作る。


 しかし、小春は安心しなかった。


「また、そうやって笑うんですね」


 責めるような言葉が口から出て、小春自身が目を見開いた。


「違うんです。私は、そんな言い方をしたかったわけでは……」


「分かってる」


 伊織は、小春の肩へ手を置いた。


「小春まで、何かに感情を強くされているんだと思う」


「感情を?」


 小春には妖魔の存在を明かせない。


 伊織は言葉を選ぶ。


「今日は皆、少し苛立っているでしょう。周りの空気に引っ張られているのかもしれない」


「伊織さんは、平気なんですか?」


「私も平気ではないよ」


 先ほど言われた言葉は、今も胸に残っている。


 それでも、相手を責めることはできなかった。


 背後に見えた黒い糸。


 校内に残っていた弱い妖気。


 偶然とは思えない。


     ◇


 午後になると、校内の言い争いはさらに増えた。


 部活動の顧問へ選手選考をやり直すよう求める生徒。


 友人が自分の悪口を言っていると決めつける生徒。


 成績を自慢されたと思い込み、答案を破いてしまう生徒。


 普段なら心の中で抑えられる不満や嫉妬が、次々と表へ出ていた。


 教師たちは新しい学年が始まったことによる緊張だと考えているようだった。


 伊織には、そうは思えない。


 生徒が怒りを見せるたび、その近くで黒い糸が揺れている。


 追おうとすると壁や床へ溶け、すぐに見えなくなった。


『声を使う妖魔だ』


 伊織の影からクロが告げる。


『人間の不満に言葉を与えている』


「居場所は分かる?」


『気配が分かれすぎている。校内の至るところに声を残しているようだ』


「本体を探さないと止められないね」


『夜まで待て。人間が多すぎる』


 伊織は小さくうなずいた。


 一般生徒が残っている間に妖魔を追えば、戦闘へ巻き込む可能性がある。


 今は、言い争いが大きくならないよう抑えるしかない。


     ◇


 放課後、湊は一人で廊下を歩いていた。


 校内にいる生徒は少なくなっている。


 部活動へ向かう生徒たちの声が遠ざかるにつれ、頭痛も少しずつ弱くなっていた。


「やっぱり、この学校にいると痛むのか……」


 保健室へ行くほどではない。


 しかし、偶然で片づけるには何度も続きすぎている。


 階段の踊り場へ差しかかったとき、背後から声が聞こえた。


『誰も、お前を歓迎していない』


 湊が振り返る。


 誰もいない。


「またか」


『九条院伊織も、お前を邪魔だと思っている』


「勝手なことを言うな」


 思わず言い返した。


 廊下の窓ガラスに、自分の姿が映っている。


 その背後に、細長い黒い影が立っていた。


 人間の形に近い。


 長い髪のようなものが、床近くまで垂れている。


 湊は勢いよく振り返った。


 黒い影が、階段を上っていく。


「待て!」


 その声に反応することなく、影は屋上へ続く階段の先へ消えた。


 湊は追いかけようとした。


 しかし、一歩踏み出したところで頭に強い痛みが走る。


「っ……」


 手すりをつかみ、その場に立ち止まった。


 屋上へ続く扉には、立入禁止の札が掛かっている。


 黒い影は、扉を開けずに向こう側へ消えていた。


 追うべきではない。


 理性ではそう考えている。


 それでも、今まで見たものを疲労や見間違いだけで説明するのは難しくなっていた。


     ◇


「久世君?」


 伊織の声が、下の階から聞こえた。


 湊は屋上の扉から離れた。


「まだ残っていたの?」


「帰るところです」


「顔色が悪いよ。また頭痛?」


「少しだけです」


 伊織が階段を上がってくる。


 その足元の影には、クロが潜んでいる。


『臭うぞ』


 クロの声は、伊織にしか聞こえない。


『あの小僧からではない。この上だ』


 伊織は湊の横を通り、屋上の扉へ目を向けた。


「久世君。ここで何をしていたの?」


「黒い影を見ました」


「黒い影?」


「長い髪の人みたいな形で、この扉の向こうへ消えました」


 伊織の表情がわずかに変わる。


「扉は開いた?」


「いいえ。すり抜けたように見えました」


「そう」


「信じるんですか?」


「見間違いだと決めつける理由もないからね」


 伊織は屋上の扉へ手を伸ばしかけ、止めた。


 まだ校内には一般生徒が残っている。


「久世君は先に帰って。家までの道は分かるよね」


「九条院さんは?」


「先生に頼まれた用事が残っているんだ」


「また嘘ですか」


 伊織の手が止まる。


「何のこと?」


「学校で転んだという話と同じ顔をしています」


 湊は伊織をまっすぐに見た。


「この扉の向こうに、何かあるんですか」


「確認するだけだよ。それに、久世君は頭痛があるでしょう」


「九条院さんも、腕を怪我しています」


「だから戦ったりはしない。先生へ報告するだけ」


 完全な嘘ではない。


 伊織はすでに陰陽寮へ、校内で妖気を確認したことを報告している。


 湊は納得していない様子だったが、これ以上尋ねても答えは得られないと判断したらしい。


「分かりました。先に帰ります」


「寄り道はしないでね」


「子供じゃないんですけど」


「昨日、頭痛で倒れた人に言ってるんだよ」


 湊は小さく息を吐き、階段を下りていった。


 その姿が見えなくなるまで待ってから、伊織は屋上の扉へ向き直る。


「クロ」


 呼びかけに応じ、黒い獣が影の中から姿を現した。


 金色の瞳が、扉の隙間を睨んでいる。


『ここで間違いない』


 扉の下から、黒い髪の毛に似た細い糸が伸びていた。


 伊織が護符を近づけると、糸は小さな声を発して崩れた。


『羨ましい』


『ずるい』


『どうして、あの子だけ』


 無数の囁きが重なり、黒い煙となって消える。


「知っている妖魔?」


『囁女だ』


 クロが低く唸る。


『人間の嫉妬や不満へ入り込み、抑えていた言葉を引きずり出す。餌を得るほど力を増す妖魔だ』


「今日一日で、かなりの感情を集めている」


『放置すれば、言い争いだけでは済まなくなる』


 伊織はスマートフォンを取り出し、陰陽寮の葛城へ連絡した。


『九条院か。報告は読んだ。追加の異常か?』


「校内で囁女の痕跡を確認しました。生徒の感情を増幅しています」


『等級は』


「本体を見ていないので断定できません。ただ、校内全体へ声を残せる程度には成長しています」


『一般人が残っている間は手を出すな。学校側には設備点検の名目で、夜間の立ち入りを止めさせる』


「分かりました」


『単独で追うな。クロを先行させろ。二等以上と判断した場合は、増援を待て』


「了解しました」


 通信が切れる。


 伊織は屋上の扉へ、一枚の探知符を貼りつけた。


 この符へ触れた妖気は、一時的に印を刻まれる。囁女が別の場所へ移動しても、クロなら残された道筋を追うことができる。


「これで、夜までに逃げても追えるね」


『気配を完全に消されなければな』


 今ここで扉を開ければ、囁女が別の場所へ逃げる可能性がある。


 生徒たちが校内から出た後、結界で学校を封鎖して追い詰める必要があった。


「一度帰って、準備を整えるよ」


『腕は動くのか』


「刀を振るくらいなら問題ない」


『問題がある者ほど、そう言う』


「無茶はしないよ」


『聞き飽きた』


 伊織とクロは階段を下り、校舎を出た。


 誰もいなくなった屋上で、貯水槽の影がゆっくりと揺れる。


 黒い髪のようなものが、床を這って広がった。


『優しいふりをしている』


『誰のことも、本当には見ていない』


『王子様は、誰を選ぶのだろう』


 重なり合う女たちの声が、夜を待つ校舎へ染み込んでいった。


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