双子がレティシアに捕まった日
赤ん坊のころから、顔は知っていた。
ヴァレント公爵家とアルヴェール公爵家は、昔から仲がいい。だから祝いの日も、お茶の日も、季節ごとの集まりでも、家族ぐるみで顔を合わせることが多かった。
オスカーとエルマーが、レティシア・フォン・アルヴェールの顔をはじめて見たのがいつだったのか、もうよく覚えていない。
銀灰の髪の、きれいなお嬢さま。
小さいころの印象は、そのくらいだった。
でも——
**“この子はふつうじゃない”**と、双子がほんとうに知った日は、ちゃんと別にある。
その日、双子は屋敷の庭にいた。
空はよく晴れていて、庭の花はきらきらしていて、風も気持ちよかった。大人たちは屋敷の中でおしゃべりをしていて、子どもたちは庭で遊んでいなさいと言われていた。
オスカーは木の枝を剣みたいに振って遊んでいて、エルマーは少し前からもう飽きていた。
「もういい」
「はやいな」
「おまえが元気すぎるんだよ」
「だって、ひまだし」
オスカーはにこにこしている。
同じ顔をしていても、ふたりはちょっと違う。オスカーのほうが、すぐに面白いことを見つける。エルマーのほうは、面倒そうなことを見つけるのが早かった。
「きょうもアルヴェールのおじょうさま、きてるんだろ」
「たぶんな」
「みた?」
「みてない」
エルマーはどうでもよさそうに言った。
銀灰の髪のきれいなお嬢さま。大人たちがよく話しているから名前は知っている。でも、双子にとってはそれだけだ。
その時だった。
屋敷のほうから、ぱたぱたとあわただしい音がした。
「レティシアさま?」
「おじょうさま?」
「どちらに……?」
侍女たちの声だった。
ふたりは同時に顔を上げた。
「……いないのか?」
「いないっぽい」
庭を見回しても、花壇のそばにも、東屋の中にも、噴水のかげにも、それらしい姿は見えない。侍女たちは青い顔であっちこっちを見ていた。
「たいへんそう」
オスカーが言う。
「たいへんだろ」
「さがす?」
「……さがしたほうが、あとがめんどうじゃない」
エルマーが言うと、オスカーが笑った。
「やっぱり、さがすんじゃん」
「おまえがたのしそうだからいやなんだよ」
「たのしそうだろ」
「そういうとこだぞ」
言いながら、ふたりは庭の奥へ歩いた。
門のほうには人がいる。庭のまんなかにもいない。なら、静かなところか、かくれやすいところだ。
「どこだろ」
「しずかなとこ」
「それか、たかいとこ」
「なんで?」
「なんとなく」
意味がわからない、と思ったその時だった。
ざわ、と木の葉が揺れた。
風ではない。もっと小さくて、へんな揺れ方だった。
ふたりは同時に振り向く。
庭の奥にある、大きな木。
その葉っぱのあいだから、きらっと銀灰の色が見えた。
「……いた」
「いたな」
ふたりは木の下まで駆けていった。
そして、見上げて止まった。
そこにいた。
木の上に。
だいぶ上のほう。子どもが遊びでのぼるには、ちょっと高すぎる枝のところに、銀灰の髪の女の子がちょこんとすわっている。
葉っぱのあいだから、こちらを見下ろしていた。
「あ」
と、その子は言った。
それだけだった。
エルマーは眉をぎゅっと寄せた。
「……なにしてるの?」
「きにのぼってるの」
「それは、みたらわかる」
「じゃあ、きかないで」
オスカーがけらけら笑った。
「すごいね」
「でしょう」
「ほめてない」
「でも、すごいんでしょ」
「……まあ、のぼってるのはすごいけど」
「エルマー」
「なんだよ」
「ほめてる」
「ちがう」
木の上の女の子は、ちっとも困った顔をしていなかった。こわがってもいないし、あわててもいない。ただ、ふつうにそこにいる。
それが逆におかしい。
「おりられる?」
オスカーが聞く。
「おりられるよ」
「ほんと?」
「ほんと」
「じゃあ、おりてきて」
「いま?」
「いま」
「……やだ」
「やだじゃない」
エルマーがすぐに言うと、女の子は木の上からじっと見た。
「なんで?」
「なんでって……あぶないから」
「へいき」
「へいきじゃない」
「へいきよ」
「いや、へいきじゃなさそう」
遠くから侍女たちの声がした。
「レティシアさまー!」
「おじょうさまー!」
木の上の女の子は、ちょっとだけ眉を下げた。
「みつかった」
「そりゃみつかるだろ」
「もうちょっと、だいじょうぶだとおもったのに」
「なにがだよ」
エルマーがあきれた顔をすると、オスカーは木を見上げたまま聞いた。
「なんでのぼったの?」
「ことりのおうち、みえたの」
「それで?」
「みたかった」
「それだけ?」
「あと、うえ、きもちよさそうだった」
オスカーの目がきらっとした。
「たのしそう」
「おまえはのるな」
「ちょっとだけわかる」
「わかるな」
木の上の女の子は、ふたりを見て少しだけ笑った。
「あなたたち、おもしろいのね」
「おまえにだけはいわれたくない」
エルマーが言うと、その子は不思議そうに首をかしげた。
「わたし、へんなことしてないわ」
「してる」
「してない」
「してる」
「してない」
「してるって」
「うるさい」
言い返しながらも、その子はするすると幹に手をかけた。
「おりる」
「さいしょからそうして」
「いま、そうしてるもの」
そこから下りるのは、最初の勢いほどはうまくなかった。途中まではよかった。けれど、最後のほうで靴がつるっとすべった。
「わっ」
「おい!」
「あぶない!」
ふたりは反射で手をのばした。
落ちてきた小さな体を、オスカーとエルマーがいっしょに受け止める。勢いのまま、三人まとめて芝生の上に転がった。
「いたた……」
「だからいっただろ」
「おちてないもん」
「おちかけた」
「ちょっとだけ」
「ちょっとでもだめ」
オスカーが先に起き上がって、女の子の顔をのぞく。
「けがしてない?」
「してない」
「ほんと?」
「ほんと」
「ほんとに?」
「……たぶん」
「またそれ」
「だって、まだよくわかんない」
「だめじゃん」
女の子はぱちぱちまばたきをして、それから小さな声で言った。
「ありがとう」
エルマーは少しだけ目を丸くした。
木にのぼるようなお嬢さまが、ちゃんとお礼を言うのは、なんだかへんだった。
オスカーはすぐににこっと笑った。
「どういたしまして」
女の子は、そのままふたりを見た。
「おじょうさまって、よばないで」
「じゃあ、なんてよぶの?」
「レティシア」
「レティシア」
オスカーがすぐ言う。
「おれ、オスカー」
「……エルマー」
「しってる」
ふたりはそろって止まった。
「しってるの?」
「うん」
「なんで?」
「だって、ふたり、そっくりだもの」
「よくいわれる」
「でも、ちがう」
「ちがう?」
「うん」
レティシアは指をさした。
「こっちは、にこにこ」
オスカーをさす。
「で、こっちは、むってしてる」
エルマーをさす。
「むってしてない」
「してる」
「してない」
「してるわ」
「……ちょっとだけ」
オスカーが笑う。
「ほら」
「わらうな」
レティシアは満足そうにうなずいた。
「やっぱり、ぜんぜんちがう」
その時だった。
「レティシアさま!!」
侍女たちが駆けてきた。
「まあっ!」
「おようふくが……!」
「おけがはございませんか!?」
レティシアは、ふつうの顔で立ち上がった。スカートには草がついて、白い靴には土がついている。
「へいきよ」
「へいきではありません!」
「へいき」
「へいきじゃないだろ」
エルマーが言う。
「ちょっと、すべっただけ」
「それがあぶないんだよ」
「でも、おちてない」
「だから、おちかけたって」
オスカーは横で楽しそうに言った。
「でも、おれたちがつかまえた」
「そういうことではありません!」
侍女たちの目が今度は双子に向いた。
「オスカーさま、エルマーさまもご一緒だったのですか!?」
「ちがう」
「ちがうよ」
「あとからみつけた」
「たすけただけ」
言っても、あまり意味はなかった。
結局、双子はレティシアの木のぼり騒動に巻きこまれたまま、大人たちのところへ連れていかれることになった。
大人たちのいる部屋は、しんとしていた。
レティシアはまんなかに立っていて、双子はその少し後ろにいる。侍女たちは青い顔だし、使用人たちも困った顔をしていた。
大人に聞かれて、レティシアは素直に答えた。
「ことりのおうちがみえたの」
「……それで?」
「みたかったの」
「だから、のぼったのか」
「うん」
「それだけか」
「あと、うえ、きもちよさそうだった」
大人たちがそろって黙った。
オスカーが横で肩をふるわせている。笑うのをこらえているのだ。エルマーは小さく肘でつついた。
レティシアは、やっぱりしゅんとしていなかった。わるいことをした顔でもなく、ただ本当にそうだったから言っているだけの顔だ。
たぶん、この子は、ほんとうにこういう子なのだ。
そして、そのあと。
「でも」
レティシアがふり返って、双子を見た。
「オスカーとエルマーがいたから、へいきだったわ」
その一言で、部屋の空気がちょっとだけ変わった。
大人たちの目が、また双子に向く。
エルマーは思った。
いや、いたから、じゃない。
勝手に巻きこまれたんだよ、こっちは。
でも、レティシアの顔は本気だった。ほんとうに、そう思っている顔だった。
オスカーが小さく笑う。
その日は、子どもたちのいたずらということになって、強く怒られることはなかった。怪我もなかったし、大ごとにもならなかったからだ。
でも、双子にとっては、それで終わりじゃなかった。
帰る前、玄関のところで、レティシアはまたふたりを見つけた。
「また、あそぼう」
「きのぼりはだめ」
エルマーがすぐ言う。
「じゃあ、べつのことする」
「つぎもあるの?」
「あるわよ」
「あるんだ」
オスカーが笑う。
「おもしろそう」
「おまえは、ほんと……」
エルマーが言いかける。
レティシアは、そんなふたりを見て、ちょっとだけ目を細めた。
「オスカー」
「ん?」
「エルマー」
「……なに」
「やっぱり、ちがう」
「まだそれいうの?」
「だって、ほんとだもの」
オスカーは楽しそうに笑った。
「へんなこだね」
「ろくでもない」
エルマーが言う。
「でも、おもしろい」
「……まあ」
レティシアは満足そうにうなずいた。
「うん。あなたたち、すき」
あまりにまっすぐ言われて、ふたりはそろって止まった。
「は?」
エルマーが言う。
「え?」
オスカーが言う。
レティシアは、きょとんとした。
「だって、たすけてくれたもの」
「それは……」
「それに、おもしろいし」
「そこもはいるの?」
オスカーが聞く。
「はいるわ」
「そっか」
「そっかじゃないだろ」
侍女に呼ばれて、レティシアは馬車のほうへ向かった。
乗りこむ前に、くるっとふり返る。
「またね!」
大きく手をふって笑った。
銀灰の髪が、夕方の光の中できらっとした。
馬車が動き出して、それを見送りながら、オスカーが言った。
「へんなおじょうさまだったな」
「ろくでもない」
「でも、かわいかった」
「……それは、まあ」
「たのしかったし」
「……まあ」
「つぎも、たぶんなんかやるな」
「ぜったいやる」
「まきこまれるかな」
「まきこまれるだろうな」
オスカーはにこにこしていた。
エルマーは小さくため息をついた。
この時は、まだちゃんとはわかっていなかった。
今日のこれが、一回きりじゃないこと。
この先ずっと、あの子は勝手に現れて、勝手におもしろそうなことを見つけて、勝手にふたりを巻きこんでいくこと。
でも、ひとつだけは、もうわかっていた。
レティシア・フォン・アルヴェールは、たぶん、放っておけない。
そしてたぶん、それはオスカーも同じだ。
赤ん坊のころから顔は知っていた。
でも——
**“この人に振り回される人生が始まった日”**は、たしかにこの日だった。




