その11 魔界にも絶景あり
ペルシスの自宅は、峠を越える道沿いにあった。
周囲はおおむね森に囲まれているものの、切れ目もあって、そこからアーデラー方面を眺めることができた。眺望は素晴らしく、ここに居を構えたくなる気持ちもレーデルにはよくわかった。
「ただ、買い出しが面倒そうだ」
感じたことを口にしたレーデルだったが、ペルシスは余裕の笑みで返した。
「峠を越える行商人に掛け合っている。最近はわざわざ立ち寄ってくれる人もいる」
「この道を通る人がいるんだ。一応、ここに来るまで十人くらいはすれ違ったもんな」
「すぐそばに川も流れているし、生きていくことは可能だ。この先、ビアベルムの城に移り住むことになるかもしれないが……さて」
ペルシスは自宅の研究室にレーデルたちを呼び込んだ。
研究室といっても、広い居間の片隅に実験用テーブルやら専門用具を収めた棚やらを配置したスペースである。
「ルーティを貸してくれ」
「はいどうぞ」
ペルシスはルーティを受け取ると、彼女の胴に金属の手枷のようなものをはめた。
手枷からは鎖が伸びていて、その一端は壁に固定されている。牢屋で囚人を捕らえておくような用具である。
ルーティはレーデルの方向に引っ張られる――と思いきや、手枷の中からするりとすり抜け、レーデル目がけて落ちた。
慌ててレーデルは右手でルーティを受け止める。
「うあっと! ……ルーティを固定するなら、紐を使った方がいいんじゃないの? というかそもそも、なんでこんなところから手枷が生えてるの」
「こんな何もなさそうな山小屋にも、盗みに入る愚か者がたまにいるのでね」
適当な紐を探しながら、ペルシスはレーデルたちに呼びかける。
「わざわざご足労いただいて済まないが、これから調査に入るので、君たちの相手をしていられない。その辺で適当に時間を潰していてくれないか」
「どのくらい時間がかかるかな」
「さしあたり、今日中に見積もりくらいは立てたいと思っている」
「なるほどね……」
どうしたものか、とレーデルが考え始めると、アルケナルが進み出て申し出る。
「私に助手を務めさせてもらえないかしら……あなたの手法について学びたい……」
「それは全然構わないどころか、大歓迎だ。捗るね」
ニコニコ笑いながら、ペルシスは受け入れた。
一方で、セレナは困惑の表情を浮かべる。
「あたしはどーすっかなー。魔法の知識なんてこれっぽっちもねーし」
「残念ながら、我が家のおもちゃはこれしかない」
と言いつつ、ペルシスはさまざまな知恵の輪を取り出し、セレナとレーデルの目の前に並べてみせた。
「そもそも知恵の輪ってどーやって遊ぶの」
「パズルだ。例えばこれ。絡み合ってほぐれないように見えるが……」
ペルシスはそのうち一つを取り上げた。太い針金をねじ曲げたような二つのオブジェクトが絡み合っている。
両手でその一端を一つずつ握り、カチャカチャといじくると、二つのオブジェクトは魔法のように分かたれた。
セレナは心底驚いた。
「へっ!? どうなってんの!?」
「君もやってみろ」
ペルシスは知恵の輪を元に戻してからセレナに手渡した。
セレナは見よう見まねでカチャカチャといじくってみたが、どうしてもほどけない。
すぐに、傍目でも分かるほどにイライラを募らせて――
「……どうなってんだ! むぐぐぐぐ!」
力ずくでほどきにかかった。
「やめろやめろ! 馬鹿力で引っ張られたら本当に壊れる!」
ペルシスはセレナを慌てて制し、知恵の輪を取り上げた。
「なんだよ畜生! もう寝る!」
セレナはふてくされ、すぐそばにあったソファに身を投じ、寝転がった。
ペルシスは苦笑を浮かべた。
「寝て過ごすのも悪くない。君はどうかな?」
ペルシスに知恵の輪を突きつけられ、レーデルは受け取った。
「やってみよう」
「君は知恵の輪を壊そうとはするまいな」
「セレナほどの馬鹿力は持ってないんで」
「君を信じよう。私はあたりを散歩しながら知恵の輪を解くのが好きなんだ。お勧めするぞ。気分爽快になれる」
「大自然のど真ん中で知恵の輪に夢中に、って……道を踏み外したりしないのかな」
「大丈夫。私は十年以上この習慣を続けているが、大怪我をしたのは二度しかない」
「二度は十分危険なような気がする」
「なぁに、私は回復魔法も使える。不都合はあるまい」
「こんな山の中で滑落とかしたら、二度と見つからないのでは?」
「君の場合はルーティがいるだろ」
「あ、そっかあ」
なんとなくレーデルは納得した。
「じゃあ行ってきたまえ。野生動物には気をつけろよ」
「野生動物まで出るのか」
「不安ならこいつも持っていきたまえ」
ペルシスは、一端が鋭く尖った知恵の輪をレーデルに手渡した。
「ビアベルムにトドメを刺したという噂のアレか……」
「野生動物に襲われたら、そいつで敵の心臓を突き刺せ。どんなバケモノでも一発だ」
「そりゃ理論上は一発だろうよ。ただ、これでクマの心臓まで届くかな?」
「ダメな時は天命だと思って諦めることだ」
「俺は天命に抗いたい」
レーデルは剣を置いていくつもりでいたが、考えを改め、腰に剣を差し直した。
少なくとも、家の周りを散歩すれば気分爽快になれる、というペルシスの主張は正しかった。
森が途切れているところが結構多く、しかもこの日は晴れていて、陽光に照らし出された大地をかなり遠くまで見通すことができた。あくまでもこの地域は魔界領域、野生動物だけでなく凶暴なモンスターも住まう土地ではあるのだが、今レーデルの視界に広がる世界はただただ美しい。
(魔界は恐ろしい場所だと子供の頃からすり込まれていたけど、実態は全然違うな……)
かつてレーデルが勇者だった頃、初めて魔界領域に足を踏み入れた時の感想が、再び胸中に蘇る。そしてともに、教会の奴らにはろくでもない教育をされた、という怒りがわき上がる。
(……いや、こんな大自然の中で、負の感情に身を委ねるのは、あまりに非生産的だ。今はこの美しい光景の中を歩けることを楽しもうじゃないか)
手元で知恵の輪をカチャカチャ言わせながら、レーデルは自分に言い聞かせる。
ほどなく、吊り橋に差し掛かった。
来る時にも通った道である。長さは二十メートル以上。下をのぞき込むと、遙か下方に幅の広い川が流れている。山中の渓流故、流れは激しいが、ペルシスの話によると案外底も深いのだという。
「だから、橋から落ちてもギリギリ助かる可能性がある。諦めるなよ」
などとも言っていた。
「諦めるとかいう以前に、まずむやみに通らないようにするのがいいと思うね」
どうせ帰り道にまた通る羽目になるのだ。スリルはその時に取っておけばいい、と思い、レーデルは来た道を引き返そうとする。
ところが。
「あれ。人だ」
対岸側から、橋を渡ろうとする人が現れた。
地味な服をまとった男性が、手すり用のロープを掴みながら、揺れる橋の上でゆっくりと歩を進める。
(随分吊り橋にビビってるな……)
とレーデルは思ったが、どうやらそうではないらしかった。病気の類いか、あるいは怪我でもしているのか、とにかく健康な状態ではなさそうだった。
何よりも、きれいな坊主頭がそれを物語っていた。
「あー……ビアベルムが量産してた魔剣に斬られた人か……?」
苦痛に顔を歪めながら、それでも必死に橋を渡ろうとしている姿を目の当たりにしてしまった以上、見過ごすわけにはいかなかった。
レーデルは吊り橋に足を踏み入れた。
途端、吊り橋がまた異なる揺れ方を見せ、坊主の男性はびくりと震えた。
「待ってて下さい! 今助けに行きますよ!」
レーデルは呼びかけつつ、距離を詰めにかかった。
揺れを極力抑えるために苦労しながら、じわじわと前進し、ついに坊主頭の男性のところまでたどり着く。
「大丈夫ですか? 手を貸して下さい」
「手を……」
よほど怖がっているのか、男性は顔を伏せたまま、なかなか動けずにいた。それでもおずおずと手を伸ばし、どうにかレーデルの右手を左手で捕まえる。
「離さないで下さいよ。向こうまで連れていきますからね……」
レーデルが来た道を引き返そうとした時――
「……いいや。連れて行っちゃ困るね」
坊主頭の男は、背中に隠していた短剣を取り出すと、
「てめえの行き先は地獄だからな!!」
ためらわずレーデルの脇腹に突き立てた。
「ッ!?」
いきなりの激痛に、レーデルは驚愕とともに振り返る。
そしてそこに、坊主頭になったサドワの、苛烈な二つの目を見いだした。




