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その9 忘れられたキノコ神のサバト


「おまえはまーた大事なことを伝えるのを忘れたのか!」


 早朝、まだ東の空が白み始めたばかりの時間帯。

 プライムリッジ氏の怒声が庭に響いた。


「あなた、そんな大声を出したら身体に触りますよ?」


 夫人の方はというと、夫の怒声にまったく動じる風もなかった。


「たしかにいくつか言い忘れてましたけど、こうして無事に戻ってきたからいいじゃありませんか」

「いいわけないだろう! 彼らは命を賭けるハメになったんだぞ!」

「もとはと言えば、こんな大事な時に怪我をしたあなたが悪いんじゃないですか。毎年マンゲツタケ狩りはあなたが一人で仕切って、私には料理しかさせなかったんですから。細かいことまで把握しきれないのも当然でしょう」

「あのなあ……」

「スープをみんなに振る舞う準備がありますので、それでは」


 と言い残して、夫人はさっさと館の方に消えていった。

 プライムリッジ氏は大きなため息をつくと、すぐそばの椅子に腰を下ろした。


「みっともないところを見せてしまって申し訳ない。今回は本当に済まなかった」


 頭を下げて、プライムリッジ氏は謝罪する。

 昨晩よりは回復しているものの、まだまだ体力的には厳しそうだ。そんな相手を怒りにまかせて責め立てる気には、レーデルはなれなかった。


「裏山に集まってきた人たちはなんだったんですか」


 夜のうちに、レーデルたちは裏山で倒れた人々を全員山から下ろし、屋敷の裏庭に寝かせていた。たくさんの人々が規則的に並べられている様は、なにやら遺体安置所のような雰囲気があった。もっとも、死者は一人もいないが。


「苗床なんだよ。マンゲツタケの」


 プライムリッジ氏は説明した。


「あのキノコの怪物は、山に入ってきた人を襲って、マンゲツタケの素のような物を植え付けるらしい。これが人間の精神に特殊な作用を及ぼすらしくて、苗床になった人は、怪物に襲われたこと自体忘れてしまうようだ。それから平均半年くらいの潜伏期間を経て、苗床たちは満月の晩に怪物のもとに集まる」

「昨晩起こったのが、それですか」

「そう。怪物は、マンゲツタケの素を複数の人間に植え付けたあとは地に潜って半年眠る。ある満月の晩に目覚めて、苗床たちから生えたマンゲツタケを食べるんだ」

「なんとまあ……」

「苗床にされた人間を見分ける方法はない。その日までは普通に生活しているのに、問題の満月の夜になるとすごい勢いでキノコが生えてきて、本能的に怪物のもとに集い始める。今そこに寝ている人たちに話を聞いても、何もかも全く覚えていないだろう」

「こんなことが毎年起きているんですか……」

「我が一族に課せられた義務だな。遠い昔から、怪物は毎年うちの裏山でこのサバトを開催する。その後始末が、我が一族の役目だ。何が原因でこうなったのかは失伝しているが、今さらやめるわけにもいかない。話を聞くに、今年の怪物は大物だったようだな」

「年ごとに違うんですか」

「キノコの量に比例する。今年は豊作だったから、その分強力に育ってしまったんだろう。どれだけ大きくなろうと、毒キノコを食べさせればいいんだが……それを知らずによく倒せたな」

「毒キノコ作戦をセレナが咄嗟に思いつかなかったら、今頃俺たちも苗床になっていたでしょうね」

「本当に申し訳ない。必ず伝達すべき事項だと強く念を押しておいたんだが、妻はあの通り、大事なことを忘れる癖があるんだ……」


 しゃべりすぎて疲れたか、プライムリッジ氏は言葉を切った。


(奥様に対して結構鬱憤が溜まってらっしゃるらしい……)


 とレーデルは感じ、大いに同情した。

 少し間を置いてから、アルケナルが問う。


「学究的興味からの質問が二つあるのだけれど、いいかしら……?」

「答えられることなら」

「あのキノコのバケモノが、いわゆるホワイトファンガス様なのかしら……?」

「その可能性はある。が、よくわかっていない」


 自信なさそうな口ぶりで、プライムリッジ氏は答えた。


「その辺も失伝しているのでね。あの姿を見た先祖達が、ホワイトファンガスという神の存在を重ね見たというのはありそうな話だが……私に言えるのはそこまでだ。次の質問は?」

「人を苗床にしたキノコと、地面から生えているキノコでは、味が違うのかしら……?」


 しばらくためらってから、プライムリッジ氏は答えた。


「実のところ、人を苗床にしたキノコの方が高級品なんだ。あの怪物も夢中になるほどうまい」

「はあ……」

「この件は他言無用で頼む。お詫びも兼ねて、報酬は色を付ける」

「個人的には、どこから生えたかなんて気にしないけど……そう思わない人もいるでしょうね……」

「わかってます。誰に漏らしませんよ」


 レーデルが約束すると、プライムリッジ氏は安心して肩を落とした。


「とにかく、君達のおかげで本当に助かった。よければマンゲツタケのスープも食べていってくれ。味は保証する」


 そう言って、妻を追うように屋敷の中に消えていく。


「あたしはこんなこと知りたくなかった」


 セレナは力一杯目を閉じた。


「人間から生えてくるキノコを食べるなんて……マジかよ」

「俺は気にしない。というか、身体から自在にキノコを生やせたら、冒険中の食料を気にしなくて済みそうだな」

「正気で言ってるのか。あたしはンなもん食いたくねー!」

「セレナは繊細だなあ。生きるか死ぬかの状況だったらそんなこと言ってられないよ。なあアルケナル、キノコの精霊っていないの?」


 問われたアルケナルは、


「私の知る限り、いない……。でも、雷の精霊がキノコを生やす可能性はなきにしもあらず……後でしっかり調べておくわ……」


 これ以上無い真剣な顔で、そう答えた。




「これで完成だ」


 アクモニデスが木彫を仕上げたのは、その翌日のことだった。

 その仕事は大したものだった。女神のごとき姿をしたプライムリッジ夫人が、木の幹の内側に見事に描き出されているのである。


「大したもんだね。俺には美術なんてわからないけど、これからは圧倒的なオーラを感じる」

「それでいい。美術なんてわからんでも、見て『すごい』と思えれば、それで十分だ」


 レーデルにそう答えてから、アクモニデスはセレナを見やった。


「それで、ヌードデッサンの件だが、覚悟は決まったか?」


 セレナは顔を真っ赤にし、まなじりをつり上げ、


「ンなもんとっくに決まってんだよ! とっととやってくれ!」


 と言い切った。

 にやり、とアクモニデスは笑った。


「なら話が早い。ここの二階の部屋を使っていいと話は付けてある。今すぐ始めるか?」

「おうよ。早ければ早いほどいいぜ」


 それからセレナはレーデル、アルケナルを指さして叫ぶ。


「そこ、笑ってんじゃねー! あとレーデル、おまえは絶対覗くなよ!」

「わかってるって。裸が見たい時は、あとでアクモニデスに絵を見せてもらう」

「ふざけんな! あたしの絵も見せられねーよ! あとアクモニデスも、あたしの絵をあとで見せびらかすなんてこと、しねーだろーな!」

「するものか。それは木彫りを作るためだけに使う。というか、誰も気にはせんぞ」

「あたしはするんだよ!」


 セレナは散々騒いだものの、結局アクモニデスとともに階上へ向かった。

 レーデルとアルケナルは裏庭の東屋に腰を落ち着け、待った。


「やっとアクモニデスから話が聞けるのか。長かったなあ」

「私はマンゲツタケを味わえたから、とても満足……」

「こんな時ばかりは、生身の君達がうらやましいね」


 グリンタッシュの滞在を振り返り、レーデルたちは口々に感想を口にした。


「ルーティには味覚がないものな」

「必要はないからね。世の中、味覚まで持ち合わせる人工生命体はなかなかいない」

「たしかに。味が分かるゴーレムなんて聞いたこともない」

「ついでに言うと嗅覚もない。セレナもうらやましいよ。匂い一つで大騒ぎできるんだから」

「ルーティは普通の人間になりたいと思うかな?」


 レーデルは気軽に尋ねたつもりだった。

 が、ルーティは長いこと考え込んだ末に、口を開いた。


「今まで考えたこともなかった。でも、なれるものならなりたいね。不可能だとわかってはいるけれど」

「意外だな」

「そうかな? ボクだって、一人の存在として自由に行動したいという願望はある。四六時中レーデルにべったりし続けるだけじゃなくてさ」

「なるほど。ルーティが人間になれれば、俺から離れられるか」

「レーデルが寂しいって言うなら、人間になったあとも、べったりくっついてあげてもいいんだけど」

「それは楽しみだ。悪くないね。それなら――」


 次の言葉を言おうとして、レーデルは異音を耳にする。

 アルケナルは既に立ち上がり、タクトを構えていた。

 ほぼ日は落ちて、薄暮の時間。風は強いが、さきの異音は森のざわめきではない。

 レーデルはショールの中からルーティを取り出し、テーブルのへりに押しつけた。


「そこにしがみついてろ」

「はいはい」


 ルーティは両手両脚でテーブルのへりをがっちりホールドする。

 レーデルはテーブルを離れ、剣を抜き、警戒しながら二歩、三歩と前に出る。

 さらに一歩進めようとした瞬間――


「たあぁぁ――ッ!」


 植え込みの影から人が一人飛び出て、レーデルに斬りかかった。

 ガッキ、とレーデルは斬撃を受け止める。

 噛み合う刃の向こうに、襲撃者の姿を見る。皮鎧を身にまとった、冒険者風の男。

 一人ではない。さらに二人、レーデル目がけて躍りかかった。


「何者か知らないけど……!」


 アルケナルが氷の精霊を召喚し、乱入者を直接殴りに行った。

 大上段から振り下ろした氷の塊が、地面を抉る――が、その寸前に乱入者たちは飛び退いていた。

 レーデルは前蹴りを放ち、男を突き放す。男は飛ばされながらもバランスを保ち、数メートル飛びすさって剣を構え直した。


「サラムに嗅ぎつけられたか……!?」


 レーデルはそう直感し、視線を周囲にさまよわせる。

 けれども、三人ともサラムではなかったし、裏庭の奥からさらなる人員がやってくる気配もなかった。

 二対三。

 三人とも皮鎧やガントレットなど、防具を装備している。

 彼らは賊ではない。レーデルを殺すためにしっかり準備してきた敵だ。

 それだけに、レーデルはサラムの不在が気にかかった。

 レーデルを確実に殺すタイミングを見計らって身を隠しているのか、それとも――


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