その7 人より出ずるもの、土より出ずるもの
この日は日没後も気温はさほど下がらず、生ぬるい風が吹き付けてくる気候だった。
「上着を用意するのを忘れてたけど……むしろ正解だったようね……」
自らが魔法で生成した光球を目の高さでさまよわせながら、アルケナルは言った。
もともと今夜は満月。空は晴れ渡り、風景は月の青い光に照らし出され、かなり遠くまで見渡せる。それでも光球を作ったのは、この場に人がいることを示すためだ。
「これを見れば、人間の方の盗採者はあきらめてくれると思うんだけど……」
「野生動物よけにもなるし、助かるね」
レーデルはそう応じながら、持ってきたカゴをもう一度改めていた。採ったマンゲツタケを収めるための入れ物である。
キノコを採っている最中に人間の盗採者たちが現れたら、それはもう面倒なことになる。盗採者を撃退すると同時に、採ったキノコを奪われないよう注意を払う必要がある。こんな夜中では、こっそりカゴを持って行かれても見とがめられるかどうか怪しいものである。
「光はもっと高く上げろ、アルケナル!」
セレナは神経質にあちらこちらうろついていた。レーデルたちがいる平地につながる山道の奥を見据え、誰も来ないのを確認して回っている。
レーデルとすれ違いざま、ルーティがセレナをからかった。
「セレナときたら、暗いところが怖いのかな?」
「んなわけねーだろ。光が目の高さにあると、反対側が見えなくなるんだよ」
「セレナは別に暗がりなんて怖がらないぞ」
レーデルが口を挟む。
「セレナが怖がるのは悪臭だけだ」
「それは……ま、その通り」
反射的に反論しかけたセレナだったが、悪臭が怖いのは事実なので、口を閉ざした。
レーデルはさらに言葉をかけた。
「なあセレナ、なにか妙な匂いはするか?」
「マンゲツタケの匂いが強すぎて、いまいち調子が出ねー」
セレナの言葉を受けて、レーデルは鼻を鳴らす。
森特有の湿った匂いくらいならわかるが、マンゲツタケの匂いまではよく分からなかった。
「こんな時に鼻が利かねーのは参るな……」
不安げにセレナが呟いた時、アルケナルが天を仰いだ。
「そろそろ真夜中の時間よ……」
森の中にぽっかりと空いた空の頂点に、真円の月が上り詰めようとしていた。
ついに天頂にたどり着いた時――
「……なんだ?」
最初、レーデルは自分の目がおかしくなったのかと思った。
暗闇の空が、徐々に赤く染まりつつあった。
目元を擦ってから再び空を見上げるものの、赤い色に変わりは無い。
月までもが赤い輝きを放ち始め、地上には赤い影が落ち、赤い闇が淀む。
「なんか始まりやがった……!」
セレナは、森の奥に蠢く何かを見いだしていた。
誰かが近づいてきている。
それも、一人や二人ではない。
「囲まれてるわね……」
セレナとは別方向に、アルケナルも人影を見つけていた。
光球を操り、森の奥へと放り込む。
白く小さな光は、森の奥で動く大きな影を照らし出した。
こちらも、見えただけで四、五人。
とうとうキノコの怪物とのご対面か、と思いきや――
「何かおかしいわよ……」
アルケナルはレーデルとセレナに告げる。
やがて、彼らは森の闇の中から、赤い月明かりの下に姿を晒す。
その容姿は怪物めいて――いなかった。
「あ! あんた、この間話を聞かせてくれた……!」
レーデルの見覚えのある人物が、そこにいた。
つい先日、食事屋でレーデルの問いかけに応じてくれた男性だった。
もっともあの時とは様子が全然違う。うつろな瞳で宙を見据え、静かに前進を続けている。呼びかけにはまったく反応しない。さながらゾンビのごとくだ。
他の面々も似たようなものだった。ごく普通のグリンタッシュ住民ばかり。
「俺だよ俺! ホワイトファンガスの話を教えてくれた……!」
必死に呼びかけるレーデルだったが、思わず声を途切れさせてしまう。
気づいたからだ――彼らの顔面に、妙な突起物が生えていることに。
「……おい、なんだこりゃ……!」
セレナも顔面蒼白になる。
闇から現れた人々全員の顔に、キノコが生えていた。四本、五本と。
しかも、この場で成長しつつある。まるで、赤い月の輝きが成長を促進させているかのように。
異常な光景に、さしものレーデルも言葉を失って立ち尽くした。
そこへ――
「ねえレーデル。アホみたいに突っ立ってないで、仕事を果たしたらどうかな?」
ルーティの冷静な声が届いて、レーデルは我に返る。
「何言ってんだ! 仕事もクソもあるか、この状況で……!」
「ご夫人は言ってたじゃないか。キノコ採って来いって」
「いや、あの……なんだと?」
「よく見なよ、あのキノコ。朽ち木に生えているのよりも立派なマンゲツタケじゃないか」
たしかに、人々の顔から生えているのはマンゲツタケに違いなかった。ルーティの言うとおり、一回り二回りは大きく、傘の部分はうっすらと満月のような輝きを放っている。
「あのキノコ自体が魔力を放っている。あれをはぎ取れば、ゾンビみたいな人たちも正気に戻るんじゃないかな?」
「本当だろうな……?」
疑いつつも、レーデルは一番近くにいた男性に近寄り、キノコをはぎ取るべく無造作に手を伸ばした。すると、
「……ウガァッ!」
吠え声とともに、男はレーデルの手を叩き落とした。
レーデルは強引に男を組み止めようとしたが、男は拒絶。むしろ逆にレーデルに殴りかかってきた。
「クソっ! キノコをもがれるのはイヤなのかよ!」
レーデルは思い切り飛び退いた。
その間に、セレナが別の男に組み付いた。嫌がる相手を腕力でねじ伏せて、キノコをもぎ取る。
「……ムゥゥン……!」
男はうなった。痛がっているわけではなさそうだったが、目に見えて動揺し、動きが鈍くなる。
「ルーティの言うとおりみてーだな!」
その調子で、セレナは見えているマンゲツタケを全てもぎ取った。
全てのキノコをもぎ取られた男は、ぐにゃりとその場に崩れ、動かなくなった。
「キノコをはぎ取れ! 宿主を傷つけずに無力化できるぜ!」
「採ったキノコはちゃんとカゴにいれるんだよ!」
ルーティが叫び返す中、レーデルは腰に下げた剣をすらりと抜いた。
「おや。セレナの声が聞こえなかったのかな?」
「ま、見てなって!」
レーデルは剣を片手で構え、ターゲットの男性を見据えて、軽く一振りした。
刃は男の顔をかすめ――正確に、キノコのみを切り払った。
二撃、三撃とレーデルは斬撃を放ち、決して男には傷一つつけず、キノコをカット。
全てのキノコを切り落とすと、男は崩れ落ち、動かなくなる。
レーデルの技巧に、ルーティはすっかり感心した。
「へえ。やるものだね、レーデル」
「このくらい、ある程度訓練すれば誰にもできるんだよ」
「役に立つ技術には思えないけど」
「そんなことはない。旅先で誰かが散髪したいと思った時に、腕を振るうことがある。坊主頭にしたい人専門だけど。……それはともかく、この調子で全員片付けるのは手間がかかりそうだな」
キノコに操られている人々は、見えているだけで既に十数人。しかもまだ増えそうな気配があった。
「そもそもこの人達、なんでこの場所に集まってきてるんだ……?」
「アレに会うためじゃないかしら……」
アルケナルが、奥を指さした。
平地の隅に、わずかに地面が盛り上がっているところがある。
いつの間にやら、そこから腕のようなものが生えていた。
人間の腕ではない。木の幹のような太さを持ち、その表皮は妙に白い。
メリメリメリ、と地面が割れる。土をまき散らしながら、それは地中から現れる。
人のような姿をした、二本足の怪物だった。
「こいつが……!?」
レーデルは目を剥いた。
人並みの上背に見えるのは、背を丸めているせいだ。しっかり背を伸ばせば二メートル半くらいはあるかもしれない。腕は太く長く、大きな手に五本の指が生えている。足は犬のような形状で、かなり強力そうなパワーを秘めているように見えた。
特異なのは表皮である。毛が生えているわけでなし、人間の皮膚とも異なる。その妙な白さは、マンゲツタケに限りなく似ていた。
セレナは思わず顔を歪め、叫んだ。
「これがキノコの怪物だ! 噂のホワイトファンガス様かよ!?」
マンゲツタケの怪物は、天に赤い満月を見いだすと、叫び声を上げた。地上に出られた喜びを高らかに歌い上げるかのように。




