その2 井戸の魔女
受付嬢に指示された場所は、町の中心からやや離れた住宅街だった。
周囲を石造家屋で囲まれた、狭い円形の広場である。六本の道がこの広場につながっているが、一番太い道でも、両腕を伸ばせば掌底がべったりと壁につく。随分と狭っ苦しい、圧迫感のあるスペースである。
「随分庶民的なところに住んでるんだな。魔道士とかいう割に」
セレナはくるりと身体を回転させ、クンカクンカと鼻を鳴らした。
「別に妙な匂いはしねーな」
「いつも思うんだけど、匂いで何かわかるのかい」
ルーティの質問に、セレナはニッと笑ってみせる。
「いろんなことが分かるんだぜ。怪しい場所からは怪しい匂いがするもんだ」
「ボクには分からないけど」
「そりゃそうさ。あたしは誰よりも敏感で繊細だからな。で、どの家なんだよ、レーデル?」
「普通の家じゃなさそうだ」
レーデルは、受付嬢から渡された地図を最終確認した。
紙面にはこの地点を示す簡単な地図と、指示が書かれていた。曰く――
「広場の真ん中の井戸に石を三つ、順番に投げ込むこと。それが呼び出しの合図です」
指示の通り、広場の真ん中には井戸があった。
レーデルは井戸をのぞき込んだ。底は暗く、水面は見えない。涸れ井戸かどうかの判別もつかなかった。
「ルーティ、どうだ? 何か見えるか?」
肩口に立っているルーティに、レーデルは問うた。
ルーティは身を乗り出し、井戸の奥を見つめた。
「あー……なんか、魔法の膜みたいなのがかかってるよ?」
ルーティの目には特殊な力があり、暗闇を見通したり、魔法を見破ることができるのだった。
「やっぱりただの井戸じゃないんだな? とにかく、指示通りにやってみるか。セレナ」
「はいよ」
セレナは井戸から半歩離れ、あらかじめ用意しておいた小さな石を一、二、三と放り込んだ。
待つこと一分。
ぬっ、と井戸の中から手が伸びてきた。
「!?」
レーデル、セレナ、ルーティは揃って目を丸くした。
右手が井戸のへりを掴み、更に左手も出てきてへりを掴む。
直後、一人の女性の頭が井戸から飛び出した。
女性はその状態で動揺しているレーデルたちをしばし観察し、それから声をかけてきた。
「フフ……あなたね……? 私を呼んだのは……?」
「あ、ああ。あなたがアルケナルかな……?」
「その通り……カースマイスターのアルケナル……」
これは予想外だ、とレーデルは思った。
呪いと解呪の大家、と聞いていたので、きっとアルケナルとは老いた魔法使いに違いない、と勝手に思い込んでいた。
だが、井戸の奥から現れたのは美女だった。
レーデルとセレナはアルケナルの腕を取り、井戸から引きずり出した。
全身があらわになる。アルケナルは黒い、ボディラインがはっきりと見えるワンピースに身を包んでいた。スカートの裾は足首までを隠す長いものだが、サイドに深いスリットが入っていて、タイツをはいた足がももまで見えている。
年齢はよく分からないが、少なくとも未成年ではないだろう。一方で、熟女と言うほどでもない。
いずれにせよ、絶世の美女、と呼んで差し支えない容姿の持ち主だが――
「なんで井戸から出てくるんだ……?」
それが、レーデルの最初の質問だった。
アルケナルの答えはシンプルだった。
「井戸の底に住んでいるから……」
「変わったところに住んでらっしゃる。というか人間の住む場所じゃないだろ」
「そこは魔法でどうにか、ね……? ところで、どちら様……?」
「俺はレーデル・クラインハイト」
「あたしはセレナ・ラス・アルゲティ」
「ボクはルーティ」
三人は順番に自己紹介した。
さすが魔道士と言うべきか、アルケナルはしゃべるルーティを見てもまったく動じる風はなかった。数瞬の後、何かを思い出したように指をパチンと弾き、レーデルに視線を戻した。
「思い出した……。あなた、世間で噂の、美少女フィギュアを肌身離さず冒険を続ける変態勇者ね……!」
「違うんだって! 俺は変態じゃない! 妙なアイテムに呪われた元勇者だ!」
「大丈夫……私はあなたが変態だからってバカにはしないわ……。誰にだって、他人に理解されない性的嗜好の一つや二つは持っているもの……」
「違うつってんだろ! 魔神像に呪われて手放せなくなっただけなんだよ!」
「魔神像……魔神像? あの伝説の魔神像……?」
改めてアルケナルはルーティを凝視した。
「本物なのね……これはすごい……。ベルティールを模して作られたのかしら……」
「ベルティール?」
レーデルが問う。
「魔神ベルティール……魔界の神の一柱……。この世のものとも思えぬ美貌の持ち主たる女性神と言われているわ……」
「はーん。そうだったのか。半年一緒にいたのに初めて知ったぞ」
レーデルに水を向けられると、ルーティは意外そうな顔をした。
「おや、知らなかった? 元勇者なんだからそのくらい知ってて当然だと思ってたけど」
「普通の人間は、魔界の神々のことなんて知らないんだよ」
長いこと、アルケナルはルーティを見つめ続けていた。やがてふと我に返り、レーデルに視線を戻す。
「なるほどね……。で、あなたのことは『変態さん』って呼んでいいかしら……?」
「いいわけねえだろ! レーデルと呼べ!」
そう言い返してから、レーデルはアルケナルにギルドからの紹介状を手渡した。
「あなたが呪いと解呪の大家だと聞いて来た。この魔神像の呪いを解いてくれないか? 見ての通り、肌にくっついて離れないんだよ」
レーデルはルーティを掴み、腕を正面に伸ばしてから、手をぱっと開き、その場でぶるぶると振るった。
普通ならばルーティは地面に落ちるはずだが、手のひらにくっついたまま離れない。
「へえ……磁力でも働いているのかしら……」
アルケナルはルーティを受け取り、レーデルからはぎ取った。
引きはがすことは簡単にできる。しかしルーティがレーデルに引っ張られる力は強く、アルケナルが腕の力を抜くたびに、ルーティはレーデルに引き寄せられる。
「随分強いわね……強力な呪いだわ……」
「あんまり離すなよ。すごい勢いで俺に向かって飛んでくるんだから」
「本当に……?」
アルケナルはできるだけ離してから、ルーティを手放した。
予言通り、ルーティは空中を真横に落下した。揃えた両脚が、レーデルの喉仏の直下に突き刺さる。
「オゴーッ!」
レーデルは悶絶した。
「なるほどね……だからこの呪いを解きたいのね……」
「そういうこった! ああ畜生! 離すなって言っただろうが!」
「実際にやってみないと分からないからね……。引力が働く以外に、呪いが原因で起きている現象はあるかしら……?」
「俺たちが洞窟で魔神像を発見した時、こいつはただの石像だった。俺が像に触れた途端、こんな風に血色のいい見た目に変わって、しゃべり出したんだ」
「もとは石像……? 言われてみれば、見た目の割にかなり重いわね……」
「女の子に向かって重いとか言うなんて、無礼な奴だな君は」
怒りの声を上げるルーティ。
そんなルーティに手をかざして、アルケナルはその身体に秘められた魔力を感じ取る。
「……うーん……今までに感じたことのない、異質な波動を感じるわね……呪いを解くのはかなり厄介そうよ……」
との判断に、レーデルは絶望の表情を浮かべた。
「あなたでも解呪は無理なのか」
「いや……解けないとは言わない。時間をかけて解析すれば、呪いを解く手立てを見つけられる……かも……」
「厳しい言い方だな……」
肩を落とすレーデルに、アルケナルは励ますように言った。
「まあ待ちなさいな……カースマイスターとして、とても興味があるわ……。かの有名な魔神像の呪いを解くなんて、めったにないチャンスだもの……。できるだけのことはやってみるわ……」
「そう言ってくれるとありがたい」
「一つ聞いておきたいんだけど」
話がまとまりかけたところ、ルーティが待ったをかけた。
「呪いを解いたら、もしかしてボクは元の石像に戻ってしまうのかな?」
「その可能性はあるかもね……」
「それはちょっと困るんだけど? ボクの自由を奪うのかい?」
「……と、言ってるけど……?」
アルケナルはレーデルに意見を求めた。
レーデルはすぐに答えた。
「個人的には、こいつが元の石像に戻ろうが知ったこっちゃない、と言いたいところだが……」
「冷たい! 冷たいなあレーデル! ボクたち、この半年ずっとベッドを共にしてきた仲じゃないか!」
「誤解を生む発言はやめろ!」
「事実だろう!」
「事実でも誤解を与えることはあるんだよ!」
とたしなめてから、レーデルはアルケナルに向き直る。
「……とはいえ、半年ツラを付き合わせてくれば情も湧く。なんで、こいつを石像に戻すことはしたくない。ルーティに四六時中ひっつかれているのがイヤなだけなんだ。だから、この強力な引力だけを解除してくれるとありがたい。できるかな?」
「呪いについてよく解析しないとね……。うまくいくか保証はできないわよ……?」
「仕方ない。あなたに無理だってんなら、他の誰にもできないんだろ?」
「そうね……おそらくは。ルーティはそれでいい……?」
アルケナルが問いかけると、ルーティは小さく頷いた。
「ボクは今のままで全然構わないんだけどね」
「俺は構う。できるだけ早く自由の身になりたい、と言いたいが、急かしても無意味かな」
「勇者様である以上、大魔王討伐に関係ない話はさっさと済ませたいってことかしら……?」
「いや、大魔王討伐はどうでもいい。さっきも言っただろ、俺はもう勇者じゃないんだ」
「そうなの……?」
「教会を怒らせたんでね」
「教会ねえ……勇者が変態呼ばわりされてたら、教会の沽券に関わるってことかしら……」
「教会の沽券なんて、俺の知ったことじゃない」
「ま、いいわ……。ただ、私も別件を抱えているから、すぐには取りかかれないのよね……」
「それは仕方ない。待つさ。冒険者ギルドから仕事を請け負って凌ぐ」
レーデルの言葉に、アルケナルははっと顔をもたげた。
「そうだ……。取引しない……?」
「取引?」
「私が抱えている案件……少し人手が要りそうで、冒険者ギルドから人を借りようと思っていたところなの……。あなたたち、私の助手を務めてくれないかしら……?」
「いいね。一石二鳥だ」
「報酬を出してくれるなら、喜んで仕事するぜ」
レーデルもセレナも申し出を歓迎し、合意の握手を求めた。
懐具合はまだ暖かく、しばらく食うに困らない。しかし仕事をくれるのなら、断る理由はなかった。




