その9 回復のとき
「まさか枢機卿がいきなり殺しに来るなんて想像してなかったんだよ。薬を盛られたとわかった瞬間、俺は『眠り薬だ』と思い込んでしまった。そしてそのままベッドに連れ込まれる、と」
と、レーデルは弁明した。驚きを隠さずにいるリーリアを見つめながら。
「だから俺は、枢機卿の尻にワインの瓶をねじこんで、メッセージに『掘っていいのは掘られる覚悟のある奴だけだ』と書き残して、華麗に去るつもりだったのさ」
最後はジョークで締めたつもりだったが、リーリアの表情はこれっぽっちも変わらなかった。
「枢機卿様がレーデルを殺そうとしたって言うの……?」
「そうらしい。セレナが鼻を利かせてくれなかったら、今頃俺は道半ばで倒れた勇者として墓の下に眠っていただろうな」
「ウソでしょ? なんで枢機卿様がそんなことするの? レーデルが大魔王を倒してくれるかもしれないのに……!」
「本当にそう思ったから、枢機卿はレーデルを殺そうとしたんだろうよ」
ルーティが口を挟んだ。
「大魔王を倒すという大手柄を、俺に取られたくなかったんだろうさ。魔界門の鍵を回収する面倒な仕事はどうでもいい奴にやらせて、華やかな仕事は自分で手綱を取る。クズのやりそうなことさ」
「そんな……! 勇者委員会を預かるような人が、そんなことするの……!?」
「もしかしてリーリア、カルマーダがどれだけクソ野郎だかご存じない?」
レーデルの問いに、リーリアは無言を貫いた。
「だったら覚えておいた方がいい。教会の中枢を担う人物だからって、誰も彼もが聖者とは限らないってね。というかクソ野郎の方が多いんじゃないの?」
「そんな……父さんを侮辱するの!?」
「あの人は例外。あの人は本物の聖者だ」
リーリアの父にしてレーデルの養父、アバラーザ・ファン・クラムは聖職者の鑑と言える素晴らしい人物だった。その点、レーデルは本当に感謝している。
「俺はあの人に拾ってもらって本当に幸運だった。でも、世の中の聖職者はあんな人ばかりじゃない。というか少数派だろ。さすがに、性的虐待の噂が絶えないってレベルのクズはそういないけど」
「その話も信じられない。聖職者ともあろう者が性的虐待なんて……」
「……いや、そいつは本当だぜ」
部屋の入口から声。
見やると、シアボールドが階下から戻ってきていた。
「シアボールドもそんなことを言うの?」
「当然。俺の姉さんも犠牲者だからな」
さらりとシアボールドは告白した。
「そのせいで姉さんは自殺した。両親がカルマーダに抗議すると、その一週間後に自宅が強盗に襲われ、両親は惨殺された」
「…………」
リーリアは絶句した。
「その後強盗は処刑されたけど、俺はまだ復讐が終わっていないと思っている」
そう言って、シアボールドはレーデルの肩を叩いた。
「この件で俺が文句を言うとすれば……せっかくのチャンスだったのに、なんでカルマーダにトドメを刺さなかった?」
「用意された食事が豪勢すぎて、少し浮かれてたんだろうな」
レーデルは無表情で答えた。
リーリアはまだショックが抜けていない風だった。
「初めて聞いた……そんなこと」
「小粋なトークに使える話じゃないからな。とにかく、俺はレーデルの居場所を教会に密告する気はこれっぽっちもない。だから今ここにいるのは、見知らぬ冒険者だ。ちょいとレーデルに似ているだけのな」
「そうそう。俺もここでシアボールドには会わなかった。たまたまよく似た騎士に出くわしただけだ」
レーデルも口裏を合わせる。
そして、リーリアに頼み込んだ。
「リーリアも、ここで俺に会わなかったことにしてくれるとうれしいんだけどね」
「…………」
しばし黙り込んでから、リーリアはやっとの事で言った。
「……考えさせて……」
「悪くない答えだ。ついこの間殺されかけたことを考えれば、十分な進歩と言える」
満足げに呟いて、レーデルは席を立った。
翌日、リーリアは村を去ろうとした。
「……うん、いける」
馬上にて、リーリアは自分の肋骨周辺を撫でながら、大きく頷いた。
「このくらいなら、歩いているうちに治るでしょ」
「本当に大丈夫だろうな」
同じく馬上のシアボールドに対し、リーリアは笑みを返した。
「私の回復魔法の力をなめないでよね」
「ならいいんだが。……ほら、レーデルたちが見送りに来たぞ」
旅籠から出てきたレーデルたちの姿を見つけ、シアボールドは下馬した。足早にセレナのもとに向かい、ひざまずく。
「あなたと会えなくなるのはとても残念です。いつか再びまみえる時が来ることを信じています」
「……? ま……また会えるといいな」
シアボールドの丁寧すぎる挨拶に戸惑いつつ、セレナは義理的挨拶を返した。
それからシアボールドはレーデルの背を押し、リーリアのそばに寄せた。
「さてリーリア。結局どうするつもりだ? 教会への反逆者に罰を与える? それとも見逃す?」
シアボールドに問われて、リーリアはしばしの間レーデルを見据えた。
神妙な態度で、レーデルも馬上のリーリアを見上げる。
そして、リーリアはついに言った。
「……保留にさせてもらう」
「保留……?」
「カルマーダ枢機卿がそんなに邪悪な人間なのか、私にはどうしても信じられない。だからもっと情報を集めたい。自分で判断できるまで」
ぐっ、とリーリアは手綱を強く握りしめる。
「それまでは何もしない。だから、私はここではレーデルに会わなかった。ということにする」
リーリアの答えを聞いて、レーデルは繰り返し頷いた。
「そうだな。この村にいたのは、美少女フィギュアを肌身離さず持ち歩く、妙な冒険者だ」
「レーデルが変態呼ばわりされているの、ずっと不思議だったんだけどね……。ようやく納得できた」
「その件についてはまったく不本意である」
「ルーティを手放すことはできないの?」
「!」
その言葉にセレナが食いついた。嬉々としてルーティをレーデルから引きはがす。
「あっ! おいやめろ!」
レーデルは止めようとしたが、アルケナルがさりげなく邪魔に入る。
その間にセレナは馬上のリーリアにルーティを手渡した。
ルーティを握った途端、リーリアは「引力」を感じて妙な顔をした。
「何これ……! ルーティがレーデルに引っ張られてる……!?」
「おい、ルーティを離すんじゃないぞ! 俺がそっちに行くまで握ってろ!」
激突を恐れてレーデルはもがいたが、アルケナルの抱きつきに妨害される。
「なんなんだよアルケナル! 俺を痛い目に遭わせたいのか!」
「レーデルにかけられた呪いのこと、リーリアにもわかってもらわなくちゃ……」
「おのれ! だったらアルケナルを盾にするぞ!?」
「あっ。それはちょっと困るわね……!」
レーデルとアルケナルは立ち位置をとっかえひっかえするもみ合いを始めた。
何が起きるかなんとなく悟ったリーリアは、レーデルから一番遠いところまで腕をめいっぱい伸ばしてから、ルーティを手放した。
落下する先は、アルケナルの後頭部――と思われたが。
「殺気……!」
すんでの所で、アルケナルは大きく上半身をねじってやり過ごす。
結果、ルーティの両脚がレーデルの眉間に突き刺さった。
「んあっ!?」
強烈な一撃にレーデルは昏倒。顔面を押さえながら悶絶する。
数瞬ぽかんとしてから、リーリアは大笑いし始めた。
「……あはははっ! レーデル、何やってるの!」
「こう見えてルーティは石像なんだから! 顔面にぶつけられたら痛いに決まってんだろ!」
「そ、それにしたって……! あははははっ!」
リーリアは下馬し、レーデルの眉間に手をかざして、回復魔法を発動した。
柔らかく暖かな波動を眉間に感じ――痛みは静かに消え去った。
「これでどう?」
「助かった。……リーリアに治してもらうのも久しぶりだな」
「そう言えばそうね……」
二人はお互いを見つめ合い、小さく笑い合った。
「また会おう」
レーデルが手を差し出すと、リーリアはためらわずにその手を握り返した。
「ええ。また会えるといいわね」
最初にレーデルと再開した時とはまるで別人のような、明るい表情だった。
勇者の称号を剥奪された以前の関係に戻れたような気がして、レーデルは心の荷が下りる思いだった。




