その5 痕跡を追って
「私も同行する! 私一人だけ寝ているわけにはいかない!」
出発に際し、やはりリーリアは一悶着の種となった。
シアボールドは早朝の出発を秘密にしていたのだが、支度をしているうちにリーリアに気づかれてしまった。もちろん、リーリアがおとなしくレーデルたちを見送るわけはなかった。出発しようとしていた一同に、旅籠の庭先で食い下がる。
「この通り怪我も完全に治っている! 足手まといにはならない!」
その場でぴょんぴょんと何度も跳ねて、リーリアは健康体をアピールしたが――
「……んぐっ!?」
何度目かのジャンプで、身体のどこかに激痛が走ったらしい。ジャンプはストップし、リーリアは妙なポーズのまま立ち尽くしてしまう。
「ウソは良くない」
「ウソじゃない! ただ……!」
「……ほいっ」
なおもねばるリーリアを、レーデルはやや強めに突き飛ばした。
健常な人間ならばどうにか踏ん張って立ち止まれるはずだったが、リーリアは足をもつれさせ、転倒しかけた。
その先にセレナが待ち構えていて、リーリアを抱き留めた。
「あのなあ。怪我人はおとなしくしてな!」
とどやしつけるセレナを、レーデルは手で制し、リーリアのそばにかがみ込んだ。
「リーリアには番を頼みたい。目的地にドラゴンが潜んでいると決まったわけじゃないし、一番怖いのは、俺たちがいない間にまたドラゴンが村にやってくるってことでね。その時のために、腕のある人に村に残っててほしいんだよな」
「…………」
「村の人々を守るのも、遍歴騎士として立派な仕事だと思うけどね」
しばらくリーリアはレーデルをにらみつけていたが、やがて頷いた。
「……わかった」
「結構。突き飛ばして悪かったな」
リーリアはセレナの手から離れ、自力で旅籠に戻っていった。
「意外に素直に戻っていったな。さすがレーデル、幼なじみの扱いは慣れてるか」
とセレナは感心したが、その間にレーデルはアルケナルに話しかけていた。
「丸一日人を眠らせる魔法とかない? こっそりリーリアにかけておいて欲しいんだけど」
「残念ながら、それは私の専門外ね……」
「おいおい、リーリアのこと全然信じてねーのか!」
「正直あいつなら無理をすると思う。一度こうと決めたら突っ走るタチだから。なあ?」
レーデルか同意を求めると、シアボールドは大きく頷いた。
「そこがリーリアのいいところであり、悪いところでもある。悪いけど、見張っててくれませんか?」
居合わせた旅籠の主人に、シアボールドは頼み込んだ。
任されました、と主人は自分の胸に手を当てた。
「ああいう方の扱いは慣れてます。何かしら仕事の手伝いでもしていただきますか」
「それはいい。よろしく頼みます」
「皆さんこそ。西の森は、ゴブリンを始め色々なモンスターが出ますからねえ。お気を付けて」
四人は西へ旅立った。
ペイトネイアの村人が耕す畑はすぐに途切れ、ほどなく一同は森の中を歩くことになった。馬車がすれ違えるほどの幅の道路が整備されていて、道のりも平坦で歩きやすくはあったが、頭上を覆う枝葉は厚く、森の中は薄暗い。加えてこの日は曇天ということもあって、森の中は不気味な雰囲気に包まれていた。
「雨が降らなきゃいいんだが」
できれば濡れずに済ませたい、とレーデルは心から切に願っていた。
一行を先導するシアボールドに接近し、この先どの程度かかるか尋ねる。
「迷わず行ければ三十分だな」
地図を睨みながら、シアボールドは答えた。
「ただ、途中でこの道を外れて、もっと細い道を行く必要があるみたいでなあ。その入口を間違えないよう祈ってくれ」
「三十分じゃ済まなそうだな……」
「そのために朝早く出かけたんだ。……それより、脈有りそうだな!」
「……? 突然何の話だ?」
「セレナだよ。さっきから俺のことをずっと見つめているじゃないか」
レーデルは後方をちらりと見やった。
セレナは行列の最後方にいて、シアボールドの一挙一投足を鋭い目つきで見守っていた。
「おまえにはアレが恋する少女の夢見る視線に見えるのか」
「それ以外の何だってんだ」
「少しでも怪しい行為を働いた瞬間、一撃で首をへし折ってやろうと構えている目だぞ、あれは」
「いやいや、自分の気持ちに素直になれなくて表情を硬くしているだけだって」
「どうも、夢を見ているのはおまえの方らしいな」
とはいえ、万が一という可能性もないではなかった。レーデルは歩く速度を緩め、セレナの隣に並んだ。
セレナはシアボールドを凝視したまま、レーデルに声をかけた。
「あいつ、何かやらかす気配はねーのか」
「ないぞ。それどころか、シアボールドはセレナに想いを寄せられていると信じている」
「……はあ……?」
思い切り眉をひそめたセレナだったが、すぐに鋭い顔つきを取り戻した。
「……そういうことか。そういう名目であたしを欺こうとしてるんだな」
「いやいや、額面通りの意味だって」
「ンなわけねーだろ。見ろよ、この森の静けさ。伏兵を仕掛けるのにベスト、あたしらを殺して埋める場所としてもベストだろ」
「あのさあ……」
「アルケナルにもしっかり警告しとけよ。いつ敵が現れるかわからないって……うっ!?」
突如セレナは大声を上げ、口元を手で覆った。
アルケナル、そしてシアボールドも足を止めて振り返る。
セレナは悶えながら、数歩退いた。
「……くっさ! なんだよここ!? すげえ匂いがするぞ!?」
レーデルも鼻を鳴らし、周囲の空気を嗅いでみた。
言われてみれば、少し異臭がする。
「野生動物の尿の匂いみたいだが……?」
シアボールドもそう感じつつ、セレナの異常な反応に驚く。
「セレナは匂いに敏感でね。匂いが強すぎて耐えられないんだよ」
レーデルが説明する。
セレナは鼻を覆う指を一本だけ外し、わずかに嗅いでみて――殴られたようなリアクションを見せた。
「だめだ! 鼻が死ぬ! さっさと通り抜けさせろ!」
逆にセレナはその場を一気に駆け抜けた。
十分に離れてから、おそるおそる手を離し――今度は異臭を感じなかった。肩を上下させ、呼吸を整える。
レーデルたちは少し遅れてセレナに追いついた。
「そんなに匂ったのか」
「おめーらこそ、あんな空気を吸ってよく正気でいられるな?」
「それはセレナが繊細すぎるせいだな」
「繊細? そうかな?」
そう言われると、セレナは顔をにやけさせた。
(セレナは自分をガサツな人間だと思っているから、こういうことを言うとニコニコするんだよなあ)
と、レーデルは心の中で呟いた。
すぐにセレナは顔を引き締めた。
「……ともかく、警戒した方がいいぜ」
「まだシアボールドが伏兵を用意していると信じているのか」
「違うって。あの匂い、多分村を襲ったドラゴンの匂いだ」
「なんだと」
レーデルは息を呑んだ。
アルケナルが問う。
「ということは……ドラゴンの住処は近い……?」
「この辺が行動範囲なのは間違いねーだろーな。クッソ、鼻が曲がりそうだ」
「それは大変おつらいんじゃないかな?」
不意にシアボールドが進み出て、一枚のハンカチをセレナに差し出した。
「これで鼻を覆うといい」
セレナは全力で警戒し、なかなか受け取ろうとはしなかった。それどころか一歩、二歩と退いて――
「……ん? おっと!?」
ずず、と足がわずかに沈み込むのを、セレナは感じた。
振り返ってみると、数メートル範囲でつい最近地面が掘り返されたような跡があった。そのせいで土が軟らかくなり、セレナの足が沈んだのである。
「おっと。よく見たらこいつは、まるでドラゴンが鉤爪で地面を掘った跡のような……?」
周囲に堆積している枯れ葉の層がここだけ取り除かれ、赤茶けた土の地面が露出していた。
しかもよく見ると、中央部分に何かが埋まっている。
「……骨じゃないか?」
レーデルとシアボールドは土を掘り返し、埋設物を取り出した。
「腕の骨だな、こりゃ」
「ただ、大の大人の骨にしては短いが、子供の骨にしては太すぎるような?」
「となるとゴブリンの骨かね」
そうレーデルは見立てた。
もう少し掘り返してみると、似たような骨が四、五本ほどまとめて出てきた。
レーデルは骨の表面をじっくり観察し、鋭い歯で噛みつかれたような跡を見いだした。
「間違いない。こりゃドラゴンの歯の噛み跡だぞ」
「はァん。ドラゴンがゴブリンを噛み殺したってか?」
「いや、噛み殺しただけにしては歯形が多すぎる」
「歯形が多すぎる……? それはつまり……」
その事実が示すところを悟り、セレナは目を丸くした。
レーデルは推論を口にした。
「このドラゴン、ゴブリンを食ってるな」
「おいおいマジかよ。そりゃ普通のドラゴンならゴブリン食っても不思議じゃねーけど……」
「竜面でドラゴンに変身した何者か、なんだよな。俺たちが追っているのは」
ゴブリンもまた野生の生物である以上、食物連鎖の輪からは逃れられない。だが一般的に、人間はゴブリンを食べない。よほど飢えているならばその限りではないが、人肉食に次ぐ程度のタブーである。
「竜面のせいで、精神状態までドラゴンと化している可能性もあるけれど……気味のいい話じゃないわね……」
アルケナルが身体を小さく震わせた。
レーデルは暗い森の向こうをのぞき込む。先程までは何も感じなかった風景が、急に忌々しげな気配を帯びたように感じられた。




