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その12 眠れぬ夜のレスリング


「昼間に、セレナとシアボールドと一緒に、街を歩いてみたのだ」


 と、ジークルーネは語り始めた。


「シアボールドに正体はバラしてないだろうな」

「むろん。ついボロが出そうになって、何度かセレナに口を塞がれたがな。あやつは本当に乱暴な奴だな」

「許してやってくれ。あいつは手加減という言葉を知らないんだ」

「別に怒ってなどおらんぞ。セレナはいい奴だ。……それはともかく、驚いたことに、街で結構な数を見かけたのだ。サイリオスが作り出した幻の市民ではなく、幻の街に入り込んでしまった普通の人間や魔族を」

「結構な数、か。四年も経っていれば、迷い込む人間も少なくないか」

「それ自体は不思議ではない。不思議に思ったのは、幻のル・ロアンに留まることをよしとしている者が多かった、ということだ」


 夜闇と霧に包まれたル・ロアンに視線をさまよわせながら、ジークルーネは軽く首を傾げる。


「外の世界と完全に隔絶されて、どこにも行けないのだし、元の世界に残っている者たちには二度と会えなくなるのだぞ。なのにこんな場所に留まりたがるなんて、予には全く理解できない」

「なるほどね」


 レーデルは短く頷いた。


「レーデルには理解できるか?」

「理解できる。幻のル・ロアンは安全な場所みたいだからね」

「安全、とは?」

「外界と隔絶されているということは、外から敵がやってこないということでもある。サイリオス的には、このル・ロアンは籠城戦中という設定らしいけど、何故だか食べ物はどこからともなくわいてくるし、汚い話だが大や小も川に流すとどこかに消えていく。時々空からゾンビが降ってくるとかいう不都合はあっても、基本的には問題なく生きていける。で、もう四年この状態が続いているんだろ? だったら、ここに住むことにしてもいいじゃないか、と考えたくなるのは当然だ」

「……そういうものなのだろうか」

「ジークルーネにとってのパンデモニウムのようなものじゃないのかな。君だって、あの空中要塞の外で生活するなんてことは考えられないだろう」

「……うむむ……まあ……」


 うなりつつも、ジークルーネは認めた。


「たしかに、旅というのは過酷なものだな。道のりは危険だらけで、食べるものは自力でどうにかせねばらならず、それに連夜の野宿……。もし予一人でこんなことをやれと言われたら、とっくの昔に心が折れている」

「俺たちについてきたこと、後悔してる?」

「そんなことはないぞ!」


 初めてジークルーネは振り向いて、レーデルを鋭い視線で見やった。


「確かに旅は大変だ。だがそれ以上に楽しいぞ。皆で一緒に旅を続け、様々な苦労を負ったり、体験をしたりするのは……一言で表現し切れるものではないが、楽しいのだ」

「それは良かった。旅の楽しさが伝わっているようでなによりだよ」

「それだけに、わからんのだ。幻のル・ロアンに留まる者たちの考えが。予は改めて確信しておるぞ。予はパンデモニウムの外に出て見識を広めるべきであった、とな。しかしこの場所に囚われていては、旅の喜びはもはやない……」

「世の中には、安定した生活を求める人間の方が多い。それは紛れもない事実だ」


 諭すように、レーデルは語った。


「そして、世の中には自分と異なる考えの人間が山のようにいる。決して理解し合えそうにない人間もいるもんだ。だからってそういう相手を否定しちゃいけないよ。こっち側に危害を与えてこない限りはね」

「否定してはいかんのか」

「時間の無駄だから。考えが通じ合う人間と楽しくやっている方が、人生はより実り豊かなものになる」

「……こっち側に危害を与えてくる場合は、否定してもいいのか」

「当然。敵が石を投げてくるのを黙って許してはならない」


 フッ、とジークルーネは小さく笑った。


「レーデル。そなたは本当に面白い奴だな」

「それは不本意な評価だな。俺はごく普遍的に理解されるであろう考えを述べただけに過ぎないよ」

「いやいや、ボクもレーデルはなかなか面白い奴だと思う」


 黙って話を聞いていたルーティが、急に発言した。


「レーデルは聖者でも何でも無い。自分を勇者だと勘違いしているただの俗物だ」

「何を言ってやがる。……とはいえ、大声で否定できないのがつらいところだな」


 レーデルの言葉を聞くと、ジークルーネとルーティは目を見交わし、苦笑を浮かべ合った。

 その時、部屋の戸口にリーリアが姿を現した。


「レーデル……? 何やってるの……?」

「あれ、リーリア。俺たち、眠れなくてね。暇つぶしにレスリングでも始めようかと思ってた。リーリアもやるかい?」


 適当に答えるレーデルに呆れながら、リーリアはジークルーネに近づいていった。


「結構。昼間に怪我したのに、レスリングなんてウソでしょ。それより……」


 ジークルーネをじっと見つめながら、リーリアは言った。


「やっぱり、魔族よね」

「……あっ」


 今さら、ジークルーネは頭の角を隠そうとした。昼間はショールを巻いて隠していた角を。


「いいよ、今さら。別に魔族だからって毛嫌いする気は無いし」


 言葉の通り、リーリアの顔に嫌悪の色はない。それどころか、ジークルーネの美しい顔立ちに見ほれている風ですらある。


「というか、そんじょそこらの人じゃないよね? こんなきれいな顔だし、立ち振る舞いには気品を感じる。なんでレーデルなんかと一緒に旅をしているの?」

「それは……いやー……」


 ジークルーネは目をそらした。褒められてまんざらでもない様子だったが。

 じっとりとジークルーネを見つめた後、リーリアは視線をレーデルに向ける。

 レーデルも目をそらした。


「何か隠してるよね?」

「一体何のことやら」

「絶対隠してる! 怪しいよレーデル!」


 リーリアはレーデルを揺さぶり始めた。


「やめろ! 傷に効くゥ! こればっかりはリーリアには教えるわけにはいかないんだって!」


 レーデルとしても嘘をつくのは心苦しいが、リーリアは帝国の騎士なのである。遍歴中に大魔王と出会っていたなどと万が一知られたら、リーリアの立場は随分と面倒なことになるだろう。


「こればかりは察してくれ。ちょっと、その……命に関わる」

「命……?」


 驚いて、リーリアはジークルーネを見直す。

 ジークルーネは慌ててレーデルと話を合わせた。


「こ……こちらにも諸事情あってな。本当にすまない」


 リーリアは不満の色を顔に表したが、すぐに飲み込んで、ため息をついた。


「……わかった。レーデルがそう言うなら、納得することにするよ。でも一体何に巻き込まれてるのよ……」

「ありがとう。それでこそリーリア……」


 適当な褒め言葉を重ねようとして、レーデルはふと口をつぐみ、苦い顔をした。

 リーリアに告げなければならないことを思い出したからだ。

 リーリアはすぐに察した。


「どうかしたの?」

「言うのを完全に忘れてた。五人目の勇者の件だ」


 とレーデルは切り出し、五人目の勇者ロシエル・デア・ドレクセンとの一件をリーリアに包み隠さず話した。


「ロシエル先生が……!?」


 深夜にも関わらず、リーリアは大きな声を上げてしまった。

 かつてロシエル・ダーウェントと名乗っていた男は、ファン・クラム家に出入りして、レーデルに剣を教えていた。そのついでに、リーリアもロシエルから剣の手ほどきを受けている。リーリアにとっても、ロシエルは恩師だった。

 ロシエルがレーデルを狙う理由を教えられると、リーリアは一応の納得の表情を見せた。


「そっか……。多分お父さんは知ってたんだね、ロシエル先生の出自……。だから時々、リオニア王国のことを色々言ってたんだよ」

「今から考えてみると、色々腑に落ちるよな」

「でも、だめだよ! ロシエル先生と戦うなんて……! なんで戦わなきゃいけないの!?」

「俺だって戦いたくないのは山々なんだけどな。師匠はやる気だ」

「私が説得する! ロシエル先生、もしかしたらここに来ているかもしれないんだよね!?」

「大いにあり得ると思う」

「だったら、私、探すよ! 探して全力で説得する!」


 しばし、レーデルは無言で考え込んだ。

 ロシエルはリーリアのことを非常にかわいがっていた。リーリアの説得ならば、ロシエルを翻意させる可能性があるかもしれない。

 けれども、レーデルの脳裏に浮かぶのは、悲壮感に満ちたロシエルのあの目である。

 リーリアの説得で、あの目が揺らぐのかどうか。

 決意の固さ故に、予想外の事態が起きることはないだろうか。

 リーリア一人に任せるのは心配だ。


「やめておけ。師匠を探すのは俺の役目だ」


 と呟いてから、レーデルは眉をひそめた。


「……と言っても、リーリアは従う気が無いよなあ」

「無いよ。レーデルにはヨランの相手って大事な役があるでしょ。レーデルが止めても、私は行く」

「そう言うと思った」


 自分の額を数度つついてから、レーデルは断を下した。


「仕方ない、好きにしろ。ただし、一人では絶対に行くな。必ず誰かと一緒に行け」

「わかった。それは守るよ」

「予も手を貸そう。少しは予も、パーティの仲間として役目を果たしたい」


 ジークルーネが申し出る。


「ありがとう、シグルーン」


 感謝の証として、リーリアはジークルーネを抱きしめた。

 身を離してから、ふと呟く。


「……ところで、自分のことを『予』って呼ぶの、珍しいよね」

「ああ。シグルーンの田舎ではそうらしい」


 素早く、レーデルがフォローした。

 きっ、とジークルーネは目をつり上げてレーデルを睨んだが、何も言い返すことはできなかった。




 サイリオスとの対決に向けた修練の日々は過ぎていき、ついには当日を迎えた。

 暇を見つけてレーデルはロシエルを探しにうろついてみたが、結局出会えず、リーリアたちからも報告は上がってこなかった。


(決闘の約束を完全に破ることになってしまったけど、まあ仕方ない……)


 あきらめの気持ちとともに、レーデルたちは別の決闘の場へと向かった。

 問題の広場には、一週間前と変わらない光景が広がっていた。相も変わらぬ霧、霧に包まれてぼんやりと浮かぶ演説台、それを取り囲む聴衆達。


「準備はいいですね」


 マリアに問われて、ヨランは自信に満ちあふれた表情を浮かべ、大きく頷いた。


「万全よ。昨日もたっぷり眠れたし、コンディションは最高だわ」

「無理はするなよ」


 レーデルの言葉に、ヨランは小さく笑みをこぼす。


「大丈夫。必ず勝ってみせる」

「信じている」


 真剣な表情で、レーデルは言い返した。

 今から命を賭けた戦いに挑むというのに、ヨランの顔に怯む色は一切無い。その態度はあまりにも堂々としていて、決闘での勝利は既に約束されているのではないか、と錯覚を覚えてしまうほどだった。


(この堂々たる態度こそヨランだ。勇者候補生の誰をも納得させたヨランだ)


 と、レーデルは懐かしい安心感に包まれる。

 一同は聴衆の列に加わり、最前列まで進み出た。

 ほどなく、勇者たち三人が壇上に姿を現す。

 戦士ベテル、魔法使いロッシも、一週間前と変わらぬ様子のまま。

 だが、勇者サイリオスは――


「ウソでしょ……!?」


 リーリアは自分の目を疑い、レーデルにしがみついた。

 レーデルも言葉を失った。

 壇上に姿を現したのは、ロシエルだった。

 勇者サイリオスが立っているべき場所に、ロシエル・デア・ドレクセンが立っていたのである。


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