第49話 焼き菓子が教えた嘘
公爵家の妙な通達が出回ってから三日が過ぎた。
通達の内容についてはマルタさんも探ってくれているが、詳しいことはまだ何もわかっていない。
気にはなるものの、今日は兵糧粥の会の日なのでひとまず置いておこう。
私は朝からふたつの鍋を火にかけた。ひとつは店の仕込み用、もうひとつは兵糧粥の会で使う大鍋だ。骨から取った出汁で麦をじっくり炊き、冷めても固くなりにくい粥に仕上げていく。
店の中に、出汁の香りが広がっていった。
◇◇◇
昼下がり、テーブルを寄せて兵糧粥の会が始まった。集まったのは、今も寝たきりの六人の家族の方々。今日はコンスタンス様もリュカ様もお屋敷の用事で来られず、トマさんがお手伝いに奔走していた。
兵糧粥の作り方を教えるトマさんのお母さんも、すっかり慣れた様子だ。
「いいかい、目を覚ましたばかりの人にはスプーン三杯まで。もっと食べたがっても、すぐに増やしちゃいけないよ。うちの子なんか――」
「四杯目をねだったら、ピシャリと断られたんだ!」
「あんたは黙ってな!」
トマさん親子のやり取りに、皆が笑った。家族の方々がこうして笑えるようになって、私もうれしい限りだ。
塩を入れるタイミングや、薄味を好む人に合わせた出汁の濃さ。どんな質問にも、トマさんのお母さんは迷わず答える。私は大鍋の火加減を見るくらいで、ほとんど出番がなかった。
最後は、炊きたての粥を小さなお椀に分けて味見する。寝たきりの家族に食べさせる前に、自分たちで味を確かめておくのも、この会での活動のひとつだった。
皆がスプーンを手に取った、そのとき――。
店の入口から、声がした。
「ごめんください。兵糧粥の会は、こちらですか?」
平たい木箱を両手で抱えた、十歳くらいの男の子が立っていた。服装はきちんとしていて、この辺りでは見かけない顔だ。
「エルミール家のコンスタンス様から、皆さまへのお届け物です」
「コンスタンス様から? まあ、ありがたいねえ」
会の皆が、顔をほころばせて男の子を歓迎した。
私は一礼だけして木箱を受け取ると、男の子を空いた席に座らせ、ピノにお茶を出してもらった。
木箱をカウンターに置いてから蓋を開けてみると、焼き菓子がきれいに並んでいた。
男の子はカップを手にしたまま、私たちに尋ねてくる。
「あの、このお粥の麦は、どちらから買っているんですか? お屋敷の料理長が知りたがっていて」
「ああ、麦なら市場の粉屋の――」
「皆さん、先に味を確かめますね」
私はピノの話を遮って、焼き菓子をひとつ手に取った。
――あのコンスタンス様が、贈り物を誰かに持って来させる? 自分の手ではなく?
ふとそんなことを思った途端、別の疑問まで次々と湧いてきた。この男の子は誰? この焼き菓子は本当にエルミール家の厨房で作られたの?
このまま何も確かめずに、皆の口に入れさせるわけにはいかなかった。
菓子の端を少し割って、口に入れる。
毒の苦味も、悪意の濁りもない。
……けれど、甘さが口の中に広がりかけたところで、不自然に味が消えた。
覚えがある――レミが怯えながら作ったという、あの焼き菓子の味だ。
レミが今いるのは、エルミール家の厨房だ。けれどあそこの料理長は、「わしは味見をおろそかにはせん料理人ですぞ」と胸を張っていた。そんな人の厨房で作られた菓子が、果たしてこんな味になるだろうか。
私は菓子を置き、男の子に改めて向き直った。
よく見るとこの子、どこかで――。
……そうだ、思い出した。公爵家の屋敷の裏庭で、厨房用の薪を運んでいた子だ。最後に見かけたときより大きくなっていたから気づくのが遅れたけど、この目の下のそばかすは確かにあの子に間違いない。
「――あなた、グランメゾン公爵家のお屋敷で働いている子でしょう?」
男の子の肩が、ビクンと跳ねる。
直後、慌ててカップを置き、立ち上がろうとして――。
「ちょっと待てよ。まだ話が終わってないだろ」
ピノが声をかけつつ、逃げ道を塞いだ。
男の子は、怯えた顔で動きを止める。
「大丈夫よ。怒っているわけじゃないの」
私は男の子の前にしゃがみ、目の高さを合わせた。
「このお菓子、前に公爵家から届いたものとよく似た味がするの。……本当にコンスタンス様から頼まれて来たの?」
男の子はしばらく唇を噛んでいたが、やがて小さな声で答えた。
「……違います。お屋敷の人に、コンスタンス様の名前を出せば話してもらえるからって。粥の麦や骨を、毒消しの食堂の店主さんがどこから買ってるのか聞いてこいって言われたんです」
「それでさっき、麦の仕入れ先なんて聞いていたのね」
「はい……。でも、それだけです。他には何も知りません」
その後、誰に頼まれたのかを尋ねても、「お屋敷の人」としか答えず――男の子はうつむいたまま、今にも泣き出しそうだった。
「まったく、こんな小さな子に嘘をつかせるなんてねえ」
トマさんのお母さんが、呆れたようにため息をついた。
それから男の子の顔を見て、少し声を和らげる。
「まあ、あんたも言いつけを守っただけなんだろう。そんなに怖がらなくていいよ」
そう言って、男の子の前に粥のお椀を置いた。
「せっかくだから食べていきな。まだ温かいよ」
男の子は驚いたようにトマさんのお母さんを見上げ、やがて小さく頭を下げてスプーンを手に取った。
私も、それ以上は何も訊かなかった。
男の子は粥を食べ終えると、何度も頭を下げてから店を後にした。
しかし、あんな子を使ってまで、挙句の果てにコンスタンス様の名前を使ってまで、うちの仕入れ先について探ろうとするなんて……そこまで知りたがる理由は? それとも何か別の目的が?
男の子の言う「お屋敷の人」とやらの意図がまったく掴めず、ただ不安だけが残った。
私は今回の焼き菓子について、あとでジェラルド様に相談してみることにした。
◇◇◇
やがて兵糧粥の会がお開きとなり、通常営業に戻ったところで、見回り中のジェラルド様が立ち寄ってくれた。
早速先ほどの男の子のことを話すと、彼は菓子の箱を見ながら低い声で言った。
「……商人に圧力をかけ、店に品を入れさせないという妨害方法を耳にしたことがある。仕入れ先を探っていたからと言って断定はできないし、そもそも子供の話だけで公爵家を問いただすことはできないが……ひとまず注意はしておいたほうがよいかもしれんな」
……なるほど。それは確かに気をつけておかないと。
なお、焼き菓子の箱については、対策室で調べてくれるとのことだ。
話が一段落したところで、ジェラルド様は出された煮込みをひと匙口にし――。
瞬間、少し驚いたように眉を上げた。
「――今日のは、なんだか腹にズシンと来るような気がする」
「兵糧粥の会の日でしたので、骨を多めに使って出汁を取ったんです」
「そうか。……こういうのも悪くないな」
◇◇◇
日が傾き始めた頃、兵糧粥の会で手が離せない私に代わって買い出しに出てくれていたガストンさんが戻ってきた。
その手に提げられた籠は――空っぽだった。
「嬢ちゃん、すまねえ。香草屋が売ってくれなかった」
「売り切れていたんですか?」
「いや、物は山ほどあったんだが……倍の値を出されても売れねえって、突っぱねられちまった」
ガストンさんは、気まずそうに首の後ろを掻いた。
「あの親父、俺と目を合わせようともしなかった……」
「どうして、そんなことに……」
「……公爵家の出入り札を預かっている大口商人が、嬢ちゃんの店には売るなって言って回ってるらしい。どうやら、それが――例の通達ってやつの、中身なんだろうよ」




