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魔女の氷庭  作者: 澄玲なの
第一章 幽閉編
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【1-8】誰にも届かない

「アンネリーゼ様は生体核としてのお勤めがお忙しいようで、最近は公に出られないのね」

「どうかしら。コンラッド様が亡くなられて、隣国へ逃げたのかと思っていたけれど」

「いやいや、隣国なんかそれこそ無理だろう」

「何故だい?」

「ヒルデガルド様は隣国の公爵家の家系じゃないか。匿ってはくれない」


 廊下で話す従者からも分かるように、世間のアンネリーゼへの認識なんてこんなものである。次期国王の妹であり、彼の魔導補佐官として申し分無い実力を持っていた。ただでさえ正妃の子ではないから、兄という後ろ盾を失えば明らかに政治的立場は弱くなる。亡命は当然の選択肢だ。


「亡命……か」


 僕ーーレト・シルヴレッタは異母妹アンネリーゼの犠牲の上で生活を続けていた。

 廊下を通る主人にも気がつかず、噂話を続ける彼らの横を早足に抜けて、自室の扉へと逃げ込む。聞いていれば自己嫌悪で吐きそうになるから。無駄に大きい窓からは夜とは思えないほどの光と、市場を巡る人々の話し声が聞こえてきた。


「聞きたくないなぁ」

「城下は今までで一番に賑わっていらっしゃるようですね」

「マドライナ!いたなら声をかけてくれるかな?!暗闇から出てくるとびっくりするんだよ……」


 侍女のマドライナはあまり表情が動かない子で、小さい頃から共に育てられてきた。アンネと同じけらいの年頃で、僕なんかよりよっぽどしっかりした女の子だ。


「失礼致しましたレト様。何か思いふけっていらっしゃったので、声をかける時を見誤りました。もっと後でかけるべきでしたね」

「それはそれで怖いからやめてよ……」


 マドライナは謝罪すると、短くも絹のような黒髪を揺らしながらスタスタと部屋の外へ出て行った。


(あの子だって、僕が沈んでいるのは、まさにこの窓の外の景色のせいだって分かっているだろうに)


 アンネが魔石の間に移動してから数日。王国には大きな変化が起きた。国にめぐる魔力量がこれまでの数倍に増え、明らかに豊かになったのだ。夜中になっても市場が続けられ、冬でも寒くないように、魔力で動く暖炉を一晩中つけられるようになった。

 未だかつて無い活気に溢れる現状を、国民は喜んでいる。アンネリーゼが地下でどんな目に遭っているか考えることも無いだろう。仮に考えたとして、今の生活を捨てる勇気は誰も持ち合わせていない。


「魔力をこんな一気に抽出されているなんて、アンネリーゼは無事だろうか」


 大人しく従って魔力を魔石に吸わせるような妹じゃないはず。それなのに外に出ず、シルヴレッタはこんなに魔力に溢れているということは、まさか貼り付けにされたり拷問に遭っているのではないか。

 早く助けてあげたいのに、自分にそんな力は持っていない。そんな現実を見る度に、せめて自分がその役割を代わりたかったと強く思う。自分では役として不十分なのも分かっていたが。

 窓の前で僕はうずくまって泣いていた。


「レト様寒いのですか?部屋に暖炉をつけますか?」

「いいよマドライナ、このままにして」


 マドライナは僕の隣に来ると、共に座って慰めることも手を差し伸べることもなく横に立っていた。


「アンネリーゼ様のことを後悔してらっしゃるのですか。もっと早く気がついて自分が動けば、あの方を助けられたと思いますか」

「……」

「ヒルデガルド様に、楯突く勇気が貴方にありましたか」

「それはっ」

「私は貴方を責めるつもりは毛頭ございません。が、アンネリーゼ様だって貴方の今の姿を見れば『国王は厳しい』と思われますよ。もう、貴方は引き返せない場所まで来てしまっていることに、自覚はおありですか?」


 マドライナの言う通りだ。僕にはお母様を止めることはできなかっただろう。それでも、考えることはやめられない。


「せめて、私としては貴方に今を精一杯で生きて欲しいのです。例え望む方向でなかったとしても、後悔してグスグズするのを見ていられません」


 静まりかえった暗い部屋に、外から暖かい空気が差し込む。僕は涙を止められなかった。

 コト、と音がしてふと床を見ると瓶が置かれている。


「レト様」

「わかっている、飲めということだろう」

「申し訳ございません。レト様」


 見上げた彼女の顔は、眉間しわが寄って苦しそうだった。顔に出ない彼女にこんな顔をさせてしまうのが情けない。


「……本日の分の魔力増強剤です」


 黒っぽい瓶の中の液体は、外の光を反射させてキラキラと輝いた。その光すら今の僕には見るのが辛くて、目をつむり薬の蓋を開けた。


「ねぇマドライナ、こんなことではきっと贖罪にはならないことは分かっているんだよ」

「はい」

「アンネリーゼは僕を見て何て言うのかな」


 マドライナの返事を聞く前に、僕は中味を飲み干した。ふわふわとした心地がして、次に吐き気が襲う。目の前がチカチカと光って気持ちが悪い。何度飲んでもこの不快感は慣れることはないだろうなぁと他人事のように考えていた。


 王宮の輝きも、市場の歓声も消えた奈落の底で、アンネリーゼが冷たい瞳でこちらを見上げているような錯覚。


「レトお兄様、外は暖かいですか?」


 そんな幻聴に、また一人で嗚咽する。せめて僕を恨んでいて欲しい。僕さえいなければ、いや僕がいたところで国王になるべき人は君なのだから。


 レトは意識を失い、マドライナはそっと瓶を片付けた。せめて己の主人の夢が悪夢でないことを祈りながら、彼をベッドまで運んだ。


「おやすみなさいレト様。己のことを責めないで、どうか今自分にできることをして生きてください」


 彼女の愛は誰にも届かない。


***


『アンネ!アンネリーゼ・シルヴレッタ!起きなさい!』

「シエル……?」


 かび臭い香り、青い魔導回路の光、ここは私の知る地下室なようだ。手を握りしめると感覚がある、服も自分着ていた部屋着のドレス。


『食べた瞬間急に倒れるから、何事かと思ったわ』

「ねぇシエル、私、私は誰かしら」

『は、?』


 シエルは目を見開くと、私の両手を握りしめて目を合わせて言葉を続けた。


『あなたはアンネリーゼ・シルヴレッタよ。ねぇ、お姉様。ケーキを食べて何を見たの?』

「何をってそりゃ……」


 話そうとしても喉に何か詰められたかのように、言葉が出てこなかった。

 私は何を見た? 図書室に飛ばされたことは覚えている。本、手鏡、なぜ私は手鏡を見たんだろうか。あの黒髪の男とは、どこで出会ったのか。


「ごめんなさい、断片的にしか覚えてない無いの。そもそもシエルの記憶なんだから、シエルなら何を見たか分かったりしないの?」

『断片的でもいいわ、とりあえず教えて頂戴』


 古代魔術ケーキは、見せるものの調整なんかはできないのか。古代魔術には安定性がないから、もしかして作るときに何かミスをしたのではないか。


『アンネ!』


 私が考え込んでいると、酷く焦燥した顔のシエルが私の肩を揺らした。


「あぁ、えぇっと、私が覚えているのは図書室に行ったこと、本を読んだこと、手鏡を覗いて……あとは男に出会った気がするけど、もしかしたら会っていないかもしれないわ」

『男?』

「黒髪の、なんだか懐かしい顔だったような」


 それなのに、思い出そうとしてもその顔がぽっかり虫食いのように抜けてしまう。まるで意図的に塗りつぶされているように感じた。


『赤い瞳?』

「赤?」

『そう、血のような色をした瞳よ。目つきの悪い少年じゃない?』

「そんな目なら絶対覚えているはずだわ」


 シエルは少し決まり悪そうに目を逸らした。

 さっきから何を探っているのだろう。今までに見たことのないほど焦り、怯えるシエルの様子に、私は純粋な恐怖を覚えた。ぶつぶつとつぶやきながら宙をくるくる舞っている。


 【友人が困っているなら、必ず助けてあげなさい】

昔、実兄コンラッドによく言われた言葉だ。まあ、当時私に友達なんて居なかったのだけれど。

 シエルは初めてできた友達だ。困っているならば助けてあげたい。うーんと私も頭を捻っていると、一つ、あの本を思い出した。


「あ、ツェール論における再現性」


 シエルはバッと振り向いた。これは当たりか。


『お姉様は魔術書庫にいたのね!』

「魔術書庫?そんな場所この城に無いわよ」


 彼女は空中に線を引くと、何百年と外出してないはずなのにかなり正確な地図が描かれていた。魔導回路で感知しているのは本当らしい。そして最後に、ある森の中に赤く丸をつけた。


『今私たちがいる地下は、中央にある城の真下だからここね。東にあるここは王妃の住む離れ。離れから北に進むと、ほら、大きな森があるのは知っているかしら』

「あそこは広いし、森に住む亡霊に閉じ込められて帰れなくなる、とよく言い聞かされていましたわ』

『その隅にあるのが、魔術書庫よ。特殊な魔術で守られていて、普通の人は開けることは愚か、魔導回路伝でもここの様子を知ることができないのよ……私のいた頃は、誰でも入れたんだけどね』


 少し寂しそうに言葉を溢すと、シエルはパチンと指を鳴らして魔法を解除した。

 シエルの口ぶりから推測するに、古代魔術は使用者にもどうなるかわからないような不安定さがあるらしい。現代の魔法陣は何がどんな結果を招くのか一から十まで決まっていたので、なんだか新鮮だ。

 ならば、スパイスケーキ意識消失事件も、彼女はそんなことになるとは全く思っていなかったのかもしれない。


 私は俯くと、右手を開いたり閉じたりした。なんとなく違和感を感じるのは、意識を失ってまだ完全に感覚が戻っていないからなのか。


(自分の手なのに、義手か何かのように感じるのは何故なのでしょう)


 考えることが多すぎて頭が痛くなってきた。もう私が何者なのかすら怪しいと思ってしまっている自分だっているのだ。


「部屋が冷えてきたわね」


 動かない頭にこの冬の寒さは心地がよかった。

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