【1-16】君のためなら国家転覆も
「レト様!建国祭の衣装素敵ですね!」
「ローザ近いわよ、離れなさい」
普段は着ない儀式向けの煌びやかな飾りのついたキラキラとした服。上げられた前髪のせいでなんだかいつもより視界が広い。
空は少し雲がかかりつつも晴れ、街は今までに無い活気に溢れている。窓を開けると温かい春の陽気が共に連れてきてくれたのは、祝う声、繁栄を願う歌、鳴り響く鐘の音。僕は大きく息を吸うと、胸いっぱいに幸せを詰め込めた気がした。
我が国きっての国事、建国祭が始まったのだ。
しばらくローザとマドライナの言い合いを眺めていると、それを止めるようにノックがされる。母様の文官だ。
「レト殿下、そろそろヒルデガルド王妃のご挨拶です。陛下は本日も体調が優れず……」
「分かっている、座席まで案内して貰えるかな」
「もちろんでございます」
廊下から差す光は心なしかいつもより明るい。浮き足立つ従者は今日は何か粗相を起こしても目を瞑るつもりだ。それほど今日は大事な日だった。そんな廊下で似合わない険しい顔をしている年をとった掃除の筆頭侍女と、この階層の警備をする騎士が話しこんでいた。
「なぁ、ルカ・シュタイナーの姿が見えないが……」
「私は城壁の草を切るよう伝えたんだがね。今日は掃除は午後から無いし、そろそろ来るだろうよ」
「どうかしたのかな?」
「レト殿下っ」
女は慌てふためくと、少し下を向いてバツが悪そうな顔だ。騎士は顔こそキリリとしているが手足がガッタガタに震えている。女は口を開いた。
「いや、その、下級使用人が一人逃げたようで……」
「それはアンネリーゼ様の使用人では?彼がいないというのは報告事項でしょう」
マドライナがすっぱり言い切ると彼らはもごもごと口篭もる。
ルカといえばあの可愛らしい黒髪赤目の少年だろう。よくアンネに懐いていたはずだ。シュタイナー侯爵は元第一王子派で今は手を翻して第二王子派……僕派だとマドライナから聞いた。彼は解雇されていなかったようだ。
ただ、母様はどう思うだろう。アンネを地下に追いやるほどの母が、元々アンネの従者だったルカを果たして良く思うかと言われると自信が無い。警戒してはいたが、それ以前に勝手に逃げるのは駄目だろう。
「ルカ・シュタイナーのことをどうして隠したんだい?」
彼らが口を開いたとき、突然地面が大きく揺れた。かけてあった絵画がドン、と音を立てて床に落ち、いくらか食器が割れたのか悲鳴があがっている。
「爆発!?」
「外の様子を見てきます!」
「待ちなさいローザ!」
駆け出すローザの首根っこを掴み、マドライナが止めたが僕はそれを押しのけて窓へ走った。バンっと開けると、激しい風と共に砂埃が入ってくる。目が痛くて腕で顔を隠しながら隙間の景色を垣間見る。
崩れた城壁と町の屋根。叫び逃げ惑う人々の声。
(くそっ、一体何が起きたんだ)
城の正面の高い青い屋根の塔。そこに一つの人影がゆらゆらと揺れていた。目を細めてよく見ていると、少年のようだ。空気は段々澄んでいく。
彼はゆっくりとこちらを振り返ると、僕と目が合った。けたたましい憎悪を抱いた射殺すような赤目が光る。あんな特徴的な目の持ち主は一人しかいない。
「シュタイナー!」
少年は塔から飛び降り、姿を消した。背後で彼と同じ目をした少女がいなくなっていたことに気がついたのは、もっと後の話。
***
「あら?」
ここはどこだろう。なんだか生暖かくて心地良いような悪いようなものに包まれている。目を覚ましたくないが、起きなければいけないはず。
美しい赤と金の緻密な天井。鮮やかな壁。光るシャンデリア。そうだ、ここは私の部屋だ。
「ルカ?いないの?」
もう朝ごはんの時間かしらと起き上がって床に足を付けると、ぬるっとした感触と共に私の身体は落ちていく。どろどろと景色が溶けて、床は真っ白なたくさんの腕と手になっていた。壁も床も魔法が解けるように形を変えていく。
「っ、しまっ――」
落ちていく恐怖に思わず目を瞑った瞬間、ふわりと、私の身体が温かい風に受け止められた。
「ここは危ない。アンネ、掴まって」
上から人間の色をした手がやって来たので大急ぎで掴むと、黒髪が目の端を通り過ぎた。見覚えのある色に、つい名前が口を飛び出る。
「ルカ?」
「ごめんね違うんだ。僕は、ルシアン」
黄色の優しそうなヒマワリのような瞳は目を細めてにこにこ笑いながら私を引き上げてくれた。ルシアンと名乗る端整な顔立ちをした少年は、ルカよりやや年上のようだ。
そして気がつくと私はまた、魔術書庫にいた。本棚にもたれ掛かると、この一瞬の疲労感がどっとやってくる。少年は私の前に、安心させるように小さく屈んで座った。
「ねぇ、さっきからころころ場所が変わるんだけど……」
「ああすまない、君の夢に干渉しているから環境がちょっと不安定なんだよ」
申し訳なさそうに眉を下げて笑う彼は、とても人間らしくて、不思議と恐怖心は湧いてこなかった。それどころか懐かしさすら感じる。
「夢に干渉?」
「そう、君は今寝てるのさ」
そうだ、私はシエルと二人で建国祭に合わせて床に穴を開けて地上に戻る計画を立てていて、大砲とかならいけるだろうと話し合っていた。ただ、外の人と連携がとれないだろうかと思案していた最中に、あまりの疲労で眠くなってきたところまでは覚えている。これは多分気絶したんだろう。
「建国祭と一緒にこの牢屋を破壊するらしいじゃないか。そんな君のことが大好きなルカくんから伝言だよ」
「なんで貴方そんなことを知ってるのよ」
「ルカくんはよく君のこと考えてたからね」
「違うそこじゃない」
私が質問したくて両手を出して話を制止させようとすると、ルシアンはその両手首を掴んで本棚に押し付けた。
「っ、な、何……」
「茶化さないで聞いてほしいんだ。これはルカくんの、命がけの願いだから」
先程までの笑顔が消え、ひまわりの瞳が至近距離で、真剣に私を映している。ルカによく似た綺麗な顔と間近で目が合い、私はなんともいえない緊張感に包まれてた。浅い呼吸を繰り返した。
「『建国祭は明日、俺が街で騒ぎを起こす。その間に逃げてくれ』」
「え、あ、は!?ルカがどうやって騒ぎを起こすのよ。そんなことして、あの子はどうなるのよ!」
取り乱す私の手首を、ルシアンはそっと解放して、包み込むように優しく握り直してくれた。元の優しい笑顔に戻って、私を安心させるように言う。
「大丈夫、彼は強くなったよ」
騒動なんてそもそもどういうつもりなのか、ルカが捕まってしまうのではないか。とはいえあの子は一度決めたことを止まる性格とも思えないし、私からルカに何か伝えられたら良いけど、返事が返ってくる確証がない。
「あーあもう時間みたい。また会おうね、アンネリーゼ・シルヴレッタ!」
紐が落ちてくるように上から伸びてきた白い手達が彼の腰をがっしりホールドする。
「待って!ルカに伝えて、私が必ず迎えに行くから、だから魔術書庫まで来てって」
「わかった。言っておくよ」
嬉しそうに笑った彼は白い手につかまれたまま、先の見えない上へと消えていく。
次の瞬間、夢の境界がどろどろと崩れるように歪み始めた。
「あ!ごめんごめん!君を元の場所に返さなきゃ」
「ひぃぃ」
「驚かせて悪い!環境の崩壊が早すぎる……このままだと君、現実の身体に戻れなくなっちゃう!」
うーんと悩む彼は、宙づり状態の片足を白い手に掴まれたままストンと普通に落ちてきた。その長い血の気のない腕がバネのように伸び縮みしていて、割と見た目が気持ち悪い。パッと足首から手を離されても身体を回転させて足をついて着地できるのは、純粋に器用だと思った。
「強い衝撃で君の意識を現実側に弾き飛ばすよ!じゃあプリンセス、失礼を承知の上お許しください!」
「へ?」
私が最後に見た景色は、彼が大きく手を振りかぶり、私の頬を平手打ちしようしていた。
ーーパシンッ
シルヴレッタ王国第一王女は人生初めてのビンタを食らわされた。しかも初対面の男に。
「シエル、ごめんなさい、私そろそろ……」
「ちょっとお姉様!こんなところで寝ないで-!」




