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毒味の下女は、素顔を隠して毒を喰らう  作者: 夜空
月光宮編:園遊会

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生きている母と、友への誓い

「……え?」


 深夜の冷たい安置室。桂花ケイカの口から紡がれたその言葉に、私は完全に思考を停止させていた。

 

 あまりにも予想外で、あまりにも大きすぎる衝撃。頭の中が真っ白になり、しばらくの間、呼吸すら忘れて彼女の顔を見つめることしかできなかった。


「お母様を……匿って、いる……?」

「そうだよ。……お名前は、明霞メイカさん。でしょ?」


 やっとの思いで絞り出した私の問いに、桂花が静かに頷く。

 

 その名を聞き、私の目からボロボロと止めどなく涙が溢れ出した。


 間違いない。あの忌まわしい黒蓮こくれんの屋敷から逃亡した、私のただ一人の大切な母だ。


「ええ、合ってるわ。でも、本当に……どうして……?」

「私はまだ小さかったから、後になって聞いた話なんだけどね」


 桂花は、白英ハクエイの冷たい棺にそっと寄りかかりながら、遠い過去の記憶を辿るように語り始めた。


「うちの里の人……ううん、私のお父様がね、黒蓮の近くの山へ香辛料を届けに行った帰りに、明霞さんをたまたま見つけたんだって。すごく疲弊しきった顔をしていて、近くに黒蓮の追手がいたらしいんだけど、幸い一人の下っ端だったから、お父様が護衛の者に倒させて」

「……」

「で、そのまま明霞さんを馬車に乗せて、香霞コウカの里まで連れて帰ってきたんだよ」


 桂花の話を聞きながら、私はかつての母との記憶を思い起こしていた。

 

 私が黒蓮から逃げ出すよりずっと前、母は突然いなくなった。


 あの時、母は決死の思いで屋敷を抜け出し、そして偶然にも、桂花のお父様に命を救われていたのだ。


「そうだったんだ……。あの時の逃亡には、そんなことが……」


 私は深く息を吐き出し、桂花に向かって深々と頭を下げた。


「ありがとう、桂花。あなたのお父様が、お母様を……」

「お礼はお父様に言ってね。だから、お父様は凛花リンカのこともずっと前から知っていたの。過去に何があったのか、明霞さんは里で毎日毎日、凛花のことを心配して泣いていたんだよ」


 桂花が優しく微笑み、私の肩に触れた。


「でも、凛花が偶然この後宮にいることが分かって。……私がここへ来たのも、実は明霞さんとお父様が『里がいよいよ危険な状況だから、桂花だけでも逃げなさい』って、強引に送り出されたからなんだ」

「……」

「でも、さっき話した通り、里はもう時間がないほど危ない。私を逃がしてくれたお父様も、匿われている明霞さんも……このままじゃ、殺されちゃう」


 桂花が唇を噛み締め、俯く。

 

 私は彼女の言葉を最後まで黙って聞き、袖で乱暴に涙を拭った。


 芙蓉様たちと過ごした穏やかな日々や、ようやく手に入れたこの後宮での安全な暮らし。


 それらすべてを捨てることになろうとも、迷いなど、微塵もなかった。


「桂花」

「……凛花?」

「私は、お母様に会えるなら、迷う必要なんて一切ないわ。……香霞の里に、私も行く」


 私が真っ直ぐに彼女の目を見て告げると、桂花はパッと顔を輝かせ、「よかった……!ありがとう、凛花!」と、さっきまでの絶望が嘘のように、少しだけ元気そうに笑った。


「話を聞いて思ったの。白英さんが命懸けで起こした行動は、あなただけじゃなく、私に対しても大きな意味があったのね」

「うん。白英も、凛花のことは知っていたから。だから園遊会で、毒味役の凛花のことをずっと見てたんじゃないかな。明霞さんがすごい人なのは、里の誰もが知ってる。その娘なんだもの、きっと何かしてくれるって信じて」


 桂花の言葉に少し照れくささを覚えながら、私は改めて白英の眠る棺に向き直り、深く頭を下げた。


「白英さん。あなたの決死の覚悟、この借りは必ず、すべてが終わった後に返します」


 私が誓いの言葉を述べるのを、桂花は黙って静かに見守っていた。


「……今日、医局の人がね。白英さんの顔を見て、『顔が整っていて、悪いことができるような人に見えない』って言っていたわ。私も、別の場所、別の形で出会えていたら……きっと友達になれたと思ったの」

「そうだね……」


 桂花が、白英の頬にそっと触れる。


「友達には、絶対になれたよ。本当に優しい、悪いことなんて絶対にできない人だし……里じゃ、誰からも好かれる人気者だったからね」


 冷たい安置所に、二人の静かな語らいだけが響いた。

 

 その後も私たちは、これからの道のりについて少し言葉を交わした。


「明日の夜、ここを出よう」

「うん、分かった」


 固い約束を交わし、私たちは白英の棺を静かに閉めた。

 

 誰にも見つからないよう、気配を殺して夜の回廊を歩き、月光宮へと戻る。


 私の前を歩く桂花の背中は、いつもの無邪気な彼女に戻っているように見えた。


 だが、時折振り返るその瞳には、かつてないほどの確かな『強さ』が秘められていた。

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