作り笑いと、微かに残る甘い匂い
翌日の昼下がり。
事前の通達通り、月光宮の侍女たちは一人ずつ呼び出され、武官や叡明様による事情聴取を受けていた。
「はぁ……。事情を聞かれるって分かってても、やっぱり叡明様を前にするとちょっとドキドキしちゃった。やっぱりいいなぁ、あのお顔……」
無事に自分の番を終えて戻ってきた明苺が、頬を染めながらうっとりとため息をつく。
「もー!明苺は呑気でいいよね!私はすっごく緊張したんだから!鋭い目で見つめられて、なんだか自分が悪いことをしたみたいな気分になっちゃったよ……」
小蘭が疲れたように肩を落とし、芙蓉様が「ふふっ、二人ともお疲れ様」と優しく労いの言葉をかけていた。
そこへ、少し遅れて静も戻ってきた。
「おかえりなさい、静」
「はい、ただいま戻りました」
芙蓉様に一礼した静だったが、その表情にはどこか困惑したような色が浮かんでいた。
私がそっと近づいて尋ねると、静は声を潜めて教えてくれた。
「帰りの回廊で、次に呼ばれた桂花とすれ違ったのだけど……。昨夜あんなに塞ぎ込んでいたのに、今日は妙に元気というか。……どこか、いつもと違う気がして」
静の言葉に私が小さく頷いたちょうどその時、「ただいまー!」というひどく甲高い声とともに、桂花が部屋に入ってきた。
「あー、緊張した!でも私、本当に何にも知らないから、すぐ終わっちゃった!あははは!」
彼女はバンバンと自分の肩を叩きながら、不自然なほどに明るく振る舞っている。
だが、その笑顔の裏に隠しきれない異変を、私は見逃さなかった。
よく見れば、念入りに化粧で隠されているものの、彼女の目の下にはひどく濃い隈ができている。
一睡もしていないのは明らかだった。
「……桂花?」
「あ、ごめんね凛花!私、ちょっと疲れちゃったみたいだから、少し休むね!」
私が声をかけるや否や、桂花は弾かれたように背を向け、逃げるように自室へと去っていった。
ひどく気がかりだったが、すぐに私の番が呼ばれ、私は桂花を追うことができないまま叡明様の元へと向かった。
案内された一室で待っていた叡明様は、朝から何人もの侍女を相手にしていたせいか、昨日よりもさらに深い疲労の色を顔に滲ませていた。
「……朝から各宮の侍女に話を聞いているが、誰もあの料理人に心当たりはないようだ。犯人の身元が、全く割れん」
私が席に着くか着かないかのうちに、叡明様が重々しく口を開いた。
「外廷の調理場に最近潜り込んだ下働きだということは分かったが、名前も偽名で、背後関係も一切不明だ。……見事なまでの『捨て駒』だな」
「動機も全く分かりません」
隣で記録を取っていた高星様も、深く息を吐き出した。
「後宮内の権力争いが目的なら、なぜ侍女の菓子を狙うような回りくどいことをしたのか。それに、使われた毒も致死量には程遠い。誰も殺さない程度の毒をばらまくために、自ら命を絶つ『捨て駒』になるなど……あまりにも不自然です」
二人のやり取りを黙って聞いていた私は、頭の中で昨夜の推理をさらに深めていた。
(どの侍女にも心当たりがない。なら、やはり犯人は『殺害』を目的としていない。昨日考えた通り、犯人は標的の侍女の顔を知っていて……おそらく、その侍女も犯人の正体に気づいている。これはその者へ向けた、命懸けの『警告』。……でも、誰なの?)
私は、さっきの桂花の無理に引き攣った笑顔と、不自然な隈を思い出した。
しかし、まだ確たる証拠がない以上、この推測を軽々しく口にすることはできない。
「……そういえば」
ふと、私は昨日からずっと胸の端に引っかかっていた疑問を口にした。
「こんな大騒ぎになったというのに、お父様が飛んでこないのは珍しいですね。誰よりも先に激怒して乗り込んでくるはずなのに……」
私のその言葉に、叡明様はわずかに気まずそうに視線を逸らした。
「ああ……。実は梟仙殿は、園遊会の直前から急遽、北の国境付近での不穏な動きを調査するための遠征に出ているのだ」
「えっ?遠征ですか?私、何も聞いていませんが……」
「お前が園遊会に向けて、慣れない準備や毒味の務めで気を張っていると聞いていたからな。出立前に余計な心配をかけまいと、私から梟仙殿に『凛花には伏せておいてやってくれ』と頼んだのだ。……もちろん、その直後にこんな騒ぎが起きるとは予測できなかった。私の失態だ」
叡明様は自嘲気味に、深く重いため息をついた。
その顔には、事後処理の疲労だけでなく、私を危険な目に遭わせてしまったことへの強い悔恨が滲んでいる。
(ああ……。叡明様なりに、私のことを気遣ってくれていたんだ)
空回りしてしまったものの、彼なりの不器用な優しさに触れ、私は少しだけ胸が温かくなるのを感じた。
「叡明様が謝ることではありません。……それに、お父様が不在でよかったかもしれません。もしあの場にいたら、調理場ごと吹き飛ばしかねませんから」
私が冗談めかして笑うと、叡明様と高星様も「確かに……」と心底同意するように苦笑いを浮かべた。
「……私の方でも、少しだけ調べたいことがあります。外廷の医局に安置されている遺体を、見せていただいてもよろしいですか?」
私が許可を求めると、叡明様は少し驚いた顔をしたが、すぐに「ああ、構わん」と頷いた。
夕刻が迫る頃。
私は案内された医局の安置所で、あの料理人の遺体と対面していた。
静かに目を閉じ、手を合わせる。
近くで顔を見て驚いたのは、その犯人が、私や桂花と歳がそう変わらないであろう、まだひどく若い青年だったことだ。
手や爪の間、衣服などを慎重に確認したが、特別に変わったところは何もなかった。
――ただ一つ。
彼の衣服の袖口から、微かな『甘い匂い』がすることを除いて。
(この匂い……どこかで……)
「……残念ですよね」
案内してくれた医局の役人が、ぽつりとこぼした。
「とても整った顔立ちをしていて、どう見ても悪いことができるようには見えません。根っからの悪意などなかったのではないでしょうか……。なのに、あんな大事件を起こして自害するなんて」
「そうですね……。本当に、残念です」
私は、彼の冷たい顔をじっと見つめながら静かに頷いた。
「私と歳も変わらないと思いますし……もし別の場所、別の形で出会えていたら、きっと友達になれたかもしれません」
「ええ。……他に見たい箇所はありますか?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございました」
私は深く頭を下げ、医局を後にした。
月光宮へ戻ると、すでに外は薄暗い夕暮れに包まれていた。
「おかえりなさい」と皆に出迎えられ、ちょうど夕食が終わったところだと教えられる。
「凛花のご飯、今用意するね!あ、桂花なら、さっきご飯を食べて『部屋に戻るね』って行っちゃったよ」
明苺が配膳の準備をしながら教えてくれた。
どうやら、事情聴取の後は普段通り仕事をこなし、いつもと同じように過ごしていたらしい。
私は静や小蘭と少し言葉を交わしながら遅めの夕食を済ませた。
一日中思考を巡らせ続けていたせいか、どっと疲労が押し寄せてくる。
すっかり夜の帳が下りた頃、私も自分の部屋へと戻った。
「……ん?」
暗い部屋の中で、ふと違和感を覚えた。
寝台の上に、見慣れない小さな紙片が一つ、ぽつんと置かれていたのだ。
手に取ると、ふわりと微かな香りが漂った。
嗅ぎ慣れた、桂花の愛用している香油の匂い。
――それは、昼間にあの遺体の袖口から漂ってきた『甘い匂い』と、全く同じものだった。
そして、見覚えのある丸みを帯びた筆跡。
だが、そこに書かれていた短い一文を目にした瞬間。
私の心臓は、警鐘を鳴らすようにドクンと大きく跳ね上がった。
『――夜が更けるころ、外廷の医局の安置場所で会ってほしいな』




