後宮への道標と、隠すための化粧
賑やかな食堂の喧騒の中で、秋英と名乗った少女は、湯呑みのお茶を美味しそうに啜りながら私を見た。
「それで、凛花ちゃんはどうして一人で旅をしてるの? さっき『事情がある』って言ってたけど」
無邪気な瞳に悪意はない。しかし、暗殺一族『黒蓮』から抜け出してきたなどと、外の世界の人間に言えるはずがなかった。
私は伏し目がちに、あらかじめ用意していた「半分だけ本当の嘘」を口にした。
「……幼い頃に、両親とはぐれてしまったんです。ずっと探しているんですが、手がかりが何もなくて。ただ、どうしてもお母様に……母に会いたくて、こうしてあちこちを歩いているんです」
そう言いながら、私はまた少しだけ胸が痛むのを感じた。
「そっかぁ。両親を探して、一人で……」
秋英は同情するように眉を下げる。そして、何かを思いついたようにポンッと手を打った。
「だったらさ、思い切って『後宮』を目指してみるのがいいんじゃないかな?」
「……後宮、ですか?」
「そう! 都の中心にある後宮には、国中から色んな事情を抱えた人や、珍しい品物が集まってくるの。当然、情報だって一番集まる場所だよ。街角で闇雲に人を探すより、ずっと手っ取り早いと思うな」
後宮。
その言葉の響きに、私はハッとした。
確かに彼女の言う通りだ。
全国から集められた妃たち、彼女たちに仕える無数の官女や宦官。
人の出入りが激しく、権力と情報が交差するその場所なら、母に繋がる糸口が見つかるかもしれない。
「それにね」
秋英は身を乗り出し、私の顔をまじまじと見つめてニコリと笑った。
「凛花ちゃんみたいにこんな綺麗で、しなやかな柳腰の子なら、後宮に行ったら絶対すぐに官女として入れてもらえるよ!」
綺麗で、柳腰。
先ほども言われたその言葉に、私は戸惑いを隠せなかった。
黒蓮の屋敷では、美醜など任務の役に立つか立たないかの道具でしかなかった。
けれど、この外の世界において、美しさというものは時に厄介な視線を集める凶器にもなる。
実際に今も、食堂の他の客たちがチラチラとこちらを見ているのが分かった。
目立てば目立つほど、黒蓮の追っ手に見つかる危険は跳ね上がる。
(……そうだ。小鈴ちゃんに教わった、あの技術を使えば)
黒蓮にいた頃、潜入任務のために小鈴ちゃんが教えてくれた「印象を変えるための化粧術」が頭をよぎった。
人を惹きつけるためではなく、逆に『人の記憶に残らない平凡な顔』を作るための化粧。
眉の角度を少し下げ、肌の質感を意図的にくすませるだけで、驚くほど気配を消すことができるのだ。
(宿をとったら、すぐにやろう。これ以上、人目を引くわけにはいかない)
私が密かに決意を固めていると、秋英が「よし!」と勢いよく立ち上がった。
「決まりだね! 後宮のある都までは、ここから歩いたら何十日もかかっちゃうよ。途中まで、わたしの馬車に一緒に乗っていきなよ!」
「えっ……!?」
「だって、こんなに綺麗で柳腰な子が、一人で旅をするなんて絶対に危ないよ! すごく目立つもん。悪い奴らに攫われちゃったりしたら大変でしょ?」
あまりにも都合の良い申し出に、私は瞬時に全身を強張らせた。
(……怪しい)
本能が警鐘を鳴らす。
たまたま入った食堂で、たまたま親切な少女に話しかけられ、たまたま目的地への足を提供される。
出来過ぎている。
もしかして、彼女は黒蓮が私を捕らえるために放った追っ手なのではないか?
私の思考が冷たい闇に沈みかけた、その時だった。
「ほらほら、遠慮しないで! わたしも帰り道、話し相手がいなくて退屈してたところだったんだ! 凛花ちゃんがいれば、道中ずっと楽しいしね!」
秋英は私の手を取り、ひだまりのような温かい笑顔でグイグイと引っ張ってくる。
その手からは、やはり隠し武器を握るようなタコの感触は一切しない。
瞳の奥底には、裏社会の人間特有の「昏い濁り」が微塵もなかった。
ただ純粋に、困っている私を放っておけないという、底抜けの優しさ。
(……この人が、黒蓮の者なわけがないわ)
私は張り詰めていた肩の力を、ふっと抜いた。
人を疑うことしか知らなかった私に、彼女の屈託のない親切心は、眩しすぎるほどに真っ直ぐだった。
「……ありがとうございます、秋英さん。お言葉に、甘えさせてください」
「さん付けなんてしなくていいよ! 秋英って呼んで! さ、荷物をまとめたら出発しよう!」
宿をとったら化粧をと思っていたが、急遽出発することになってしまった。
こうして私は、出会ったばかりの不思議な少女と共に、母の手がかりが眠るかもしれない巨大な鳥籠――『後宮』へと向かう馬車に乗り込むことになったのだった。




