黒蓮の檻と、執政官の重すぎる執着
「……見つけたぞ。我が一族の最高傑作。逃亡した姫君、凛花よ」
迎賓殿のざわめきが、一瞬にして凍りついた。
左目に黒い蓮の刺青を持つ男――私の実の兄であり、暗殺一族『黒蓮』の若き当主、**蓮夜**は、恍惚とした表情で私に手を差し伸べた。
「さあ、泥遊びは終わりだ。帰るぞ、凛花。お前が家出してからの私の食事は、どれも砂を噛むようで、ひどく苦くて仕方がない。……お前のその『毒の舌』で、また私を救ってくれ」
「……お断りします、兄様。私は人を殺す道具として料理を作るのは、もう御免なんです」
私が言い返そうとしたその時。私の肩が、強い力で乱暴に引き寄せられた。
「――気安く触れるな。その女は、私の毒味役だ」
叡明様が、私を自身の背後に完全に隠すように立ち塞がった。
普段の冷徹な執政官の面影はない。
その瞳には、かつてないほどの濃密な殺気と、暗く燃えるような独占欲が渦巻いていた。
蓮夜は、冷ややかな視線で叡明様を見定めた。
「ほう……。帝国の執政官殿か。だが、凛花は我が一族の血を引く、この世で唯一、私と同じ闇を分け合った『半身』だ。……いずれ必ず、我らが取り戻しにくる。……今宵は外交の場ゆえ、これまでとしておこう。また会おう、愛しい妹よ」
蓮夜は優雅に一礼すると、王太后や皇帝陛下が事態を呑み込めずに呆然とする中、使節団と共に悠然と去っていった。
嵐が過ぎ去った迎賓殿。だが、私にとっての本当の嵐は、ここからだった。
「叡明様、あの……」
「黙れ」
叡明様は私の手首を掴むと、皇帝陛下の制止の声すら無視して、私を引きずるように自身の私室へと連れ帰った。
部屋に入るなり、彼は重い扉を閉め、あろうことか内側から厳重に鍵をかけた。
カチャン、という冷たい金属音が部屋に響く。
「……叡明様。鍵なんて閉めなくても、私は逃げませんよ?」
「……お前が逃げなくても、外から奪いに来る輩がいる。……ましてや、あんな目でお前を見る男が、お前の血を分けた兄だというのなら尚更だ」
彼は私を長椅子に押し付けるように座らせると、その両側に腕をつき、私を完全に閉じ込めた。
「暗殺一族、『黒蓮』の令嬢。……そして、あの男の執着の対象」
叡明様は、私の震える指先をそっとすくい上げ、自身の唇に押し当てた。
その指先が、微かに震えている。
「お前は、私の命を繋ぎ止めた女だ。……お前の過去がどれほど血塗られていようと、絶対に誰にも渡さん。家族だろうが、皇帝だろうが、だ」
「……叡明、様」
「明日から、お前は一歩もこの部屋から出るな。……お前はここで、私のためだけに料理を作り、私のためだけに毒を喰らえ」
それは、執政官としての理性を完全に投げ捨てた、ただの一人の男としての重すぎる独占宣言だった。
私は、彼の熱を帯びた瞳に見つめられながら、もう何度目か分からない深い溜息を落とした。
同時に、自分の心臓の鼓動が、かつて兄の檻の中にいた時とは全く違うリズムで速まっていることに気づき、私は少しだけ、自分の中の「毒」が甘く痺れるのを感じていた。




