皇帝の尋問と、深まる執政官の焦燥
執政官・叡明様の豪奢な私室に、強引に軟禁されて二日目の朝。
この二日間、私は文字通り一歩も外に出ることを許されず、彼が執務に向かっている間も、外には厳重な護衛が配置されていた。
まるで、見えない真綿で首を絞められるような、甘く息苦しい時間。
その重く固く閉ざされていた扉を、外から遠慮がちに、だが確固たる意志を持って叩いたのは、いつもの胃を痛めた高星様や宦官ではなかった。
全身を白銀の鎧で包んだ、皇帝直属の近衛騎士だった。
「特別官女、凛花殿。……皇帝陛下が、至急謁見の間へとお呼びだ」
扉を開けた叡明様の顔は、これ以上ないほどの苦渋と焦燥に満ちていた。
いくら帝国の最高権力者たる執政官といえど、この国の絶対君主である皇帝の正式な召喚命令を、個人的な理由で拒むことはできない。
それは明確な反逆を意味する。
彼は、血が滲むほど強く自身の唇を噛み締めると、私の細い手首を壊れ物のように強く掴んだ。
「……行くぞ。私が常についている。何があっても、お前は絶対に私が守り抜く。だから、何も恐れるな」
耳元に落ちたその声は、私を安心させるためというより、恐怖に飲まれそうになっている彼自身に言い聞かせるような、ひどく低く、切羽詰まった響きを持っていた。
後宮のさらに奥、政治の中枢である『謁見の間』。
重厚な扉の向こう、底冷えのするような広い空間には、玉座に座る皇帝陛下と、証人として昨夜の歓迎の宴に居合わせた数人の最高幹部の重臣たちだけが、青ざめた顔で居並んでいた。
空気が、針のように肌を刺す。
「凛花。……前置きはせぬ。昨夜、あの隣国の使節――暗殺一族の当主が言ったことは真実か。其方は、あの血塗られた『黒蓮』の娘なのか」
陛下の問いかけの声音は、ひどく静かだった。ただ私を見下ろすその瞳には、一国の主としての圧倒的な威厳と、有無を言わさぬ冷徹な光が宿っていた。
私の隣で、叡明様が庇うように前に出ようと殺気を放つ。
私はその震える彼の手をそっと、しかし力強く振り解き、一人で陛下の御前へと進み出た。
そして、一切の誤魔化しのない作法で、深く、深く頭を下げた。
「……はい。私が、かつて黒蓮から逃亡した暗殺一族の令嬢であることは、紛れもない事実でございます」
私が迷いなく肯定した瞬間。
周囲の重臣たちが一斉にヒッと息を呑み、腰の剣に手をかけるけたたましい金属音が響いた。
凄まじい殺気が私に向けられる。
私は顔を上げ、言葉をはっきりと続けた。
「ですが、陛下。私が先日の晩餐で陛下をお救いしたのは、決して黒蓮の一族からの命令でも、帝国を転覆させるための陰謀でもありません。……ただ、あまりにも『不味い毒』で陛下が苦しまれているのが、後宮の料理人として、どうしても我慢ならなかっただけです」
「……不味い、か」
「はい。もし私が一族の刺客として陛下を狙うなら、あんな中途半端な調合はしません。もっと美しく、一切の苦痛を与えずに即死させる毒を盛ります。……何より、もし私が敵の意思で動いているなら、わざわざ自分の正体を明かしてまで、身を挺して他人が仕込んだ不出来な毒を飲み干すような真似はいたしません」
論理の破綻が一切ない、完璧な証言。
玉座の上の皇帝陛下は、私の言葉を聞いて一瞬だけ虚を突かれたように目を見開き、それから重臣たちの戸惑いをよそに、腹の底から愉快そうに、声を立てて大笑いし始めた。
「くはははっ! 叡明、其方の言っていた通りだな! この娘は、皇帝の命よりも己の料理人としての美学を優先する、救いようのない『バケモノ』だ! ……良い、凛花。其方の言う通り、一族の刺客であれば、あのような身を滅ぼす真似は決してせぬだろう」
陛下は笑いを含んだまま立ち上がり、並み居る重臣たちを鋭い眼光で威圧するように見渡した。
「聞け、居並ぶ者共。凛花の出自と正体については、この場にいる者以外に口外することを、皇帝の名において固く禁ずる! もし外部へ漏らした者がいれば、いかなる地位の者であろうと一族郎党、反逆罪として相応の処置を覚悟せよ。……凛花が持つその恐るべき毒の知識は、今後も余と、この帝国を守る無二の『盾』として役に立つ。――此度の件、一切のお咎めなしとする!」
皇帝の絶対的な勅命に、その場にいた重臣たちが震え上がり、一斉に深く平伏した。
それは、凛花という「猛毒の刃」を、皇帝が正式に「帝国の道具(盾)」として認め、法の下に守り抜くことを高らかに宣言した、歴史的な瞬間だった。
――謁見の間からの帰り道。
無罪放免を勝ち取ったというのに、私の隣を歩く叡明様の足取りは、いつになく重く、暗かった。
「……陛下は、お前を『帝国の盾』だと宣言した。……だがな、凛花。私にとってお前は、決して都合の良い盾でも、国家のための道具でもない」
「叡明様……?」
回廊の途中で、彼がふと立ち止まる。
そして振り返った彼の瞳は、暗く、ねっとりとした行き場のない熱に浮かされていた。
「忘れるな。お前は、私が見つけたただ一人の専属毒味役で、私の……」
華奢な私の肩に深く食い込む、彼の手袋越しの指先が、微かに、けれど激しく震えていた。
言葉を最後まで飲み込み、彼は私を壊れ物を扱うように、それでも絶対に逃さないという強い力で、自身の胸に強く抱き寄せた。
皇帝にその存在価値を公認され、いわば「国家のもの」になったことで、むしろ叡明様の中にある「誰にも触れさせたくない、自分だけのものにしておきたい」という激しい独占欲が、果てのない焦燥と共に、ますます深い闇へと沈んでいくのが、私にも痛いほどに分かった。




