甘い誘惑と、苦い真実
空中庭園を吹き抜ける風は心地よいはずなのに、私の周囲の空気だけは、絶対零度まで冷え切っていた。
「叡明、改めて礼を言うぞ。これほどまでの至宝を、よくぞ今まで隠し持っていたものだ」
皇帝陛下は、瑠璃色の衣を纏った私を、まるで伝説の霊鳥でも見るような目で見つめている。
対する隣の叡明様は、握り締めた拳が白くなるほどの力で、自身の膝を抑えつけていた。
「陛下。重ねて申し上げますが、この者はただの下女。至宝などと……」
「謙遜はよせ。どうだ、凛花。叡明のもとではジャガイモばかり剥かされているのだろう? 余の側にくれば、毎日をこの庭園の花のように愛でてやれるが……。叡明、彼女を余に譲らぬか?」
爆弾発言。
高星様が遠くでヒッと息を呑む音が聞こえた。
叡明様の周囲から、もはや隠しきれない黒い瘴気が漏れ出す。
「陛下、それは――」と、彼が不敬を承知で立ち上がろうとした、その時。
私は、陛下が私のために用意させたという、美しい飴細工が施された焼き菓子に手を伸ばした。
「失礼します、陛下。……毒味ですので、お許しを」
私は、その香りを深く吸い込み、端っこをごくわずかに齧った。
刹那、私の脳内に、ある植物の鮮明なイメージが浮かび上がる。
「……陛下。残念ながら、私は花のように愛でられるよりも、土の中で毒草を育てている方が性に合っているようです」
「……何?」
私は、食べかけの菓子を指差し、淡々とした、けれど有無を言わせぬトーンで告げた。
「このお菓子、仕上げに『蜜蜂の涙』を混ぜましたね? ……しかも、かなり古いものだ。これ、単体なら滋養強壮にいいですが、今陛下が飲まれている『養生茶』の成分と混ざると、一時間後には激しい動悸と、全身の猛烈なかゆみに襲われますよ」
庭園が、一瞬で凍りついた。
お茶を運んできた侍女たちが、ガタガタと震え始める。
「か、かゆみだと……?」
「ええ。命に別状はありませんが、一晩中、皮膚を掻きむしって眠れなくなるでしょう。……陛下、私を側に置くということは、こういう『可愛げのない現実』を、毎食突きつけられるということですが。……それでも、よろしいですか?」
私は、瑠璃色の袖を優雅に払い、わざとらしく小首を傾げた。
皇帝は、口を開けたまま固まり、差し出そうとした手をもぞもぞと引っ込めた。
叡明様が、ここでようやく、勝ち誇ったような、それでいて呆れたような溜息を吐いた。
「……陛下。ご覧の通りです。この娘は、愛でるには少々、刺激が強すぎる。……毒を愛し、毒を喰らう。その毒気に耐えられるのは、この後宮広しといえど、私くらいなものでしょう」
叡明様は、私の肩を力強く引き寄せ、今度は隠すことなく皇帝へ向けて「これは私のものだ」と言わんばかりの視線を送った。
皇帝は、しばらく呆然としていたが、やがて噴き出すように笑い声を上げた。
「……くっ、くははは! なるほど! 叡明、お前の苦労がよく分かった。……凛花、お前の勝ちだ。その毒舌、余の心臓には少々刺激が強すぎたようだ」
こうして、史上稀に見る「求婚」は、一さじの毒の解説によって、見事に粉砕されたのだった。




