まさかの新体制
おはようございます!
今日もよろしくお願いします!
◇ ◆ ◇
研修生が去り、『何でも屋 ユーキ』は、従業員一人の通常体制に戻った。
そして、店内にも静けさが帰って――来るはずもなかった。
耳をつんざくような赤ちゃんの泣き声が、間を置かず二重奏に変わる。
いつものごとくザリア夫妻から預かっている双子のミーナとリーナが、目覚めると同時にぐずり出したようだ。
優季とシルはすぐに子守り部屋へと向かい、ミルクを飲ませようとする。けれどお腹が空いたわけではないようで、彼女達の機嫌は直らない。
「……ミーナとリーナは、リタによく懐いてたもんねぇ。大好きなお兄ちゃんが突然いなくなっちゃって、寂しいのよね」
ミーナの小さな体をあやすように揺らしながら、ふわふわの狼の耳に囁きかける。
すると、隣でリーナを抱いていたシルがからかうように笑った。
「赤ん坊は、抱っこしてる人の不安や悲しさを察知して泣く、とも言われてるんだろ。案外、あんたの寂しい気持ちに反応してるんじゃないか?」
「うぅ、そうかも。……正直、子爵が滅茶苦茶羨ましいと思ったわ。あんな健気ないい子、なかなかいないもの」
あっさりと認め、優季は本音をこぼした。
リタがこれから生きていくのは、権謀術数渦巻く上流階級。孤児院とも下街とも全く違う環境。
彼の未練にならないためにも、断腸の思いで淡々と別れたのだ。
本当は優季だって、もっと別れを惜しむ時間が欲しかった。
リタが着ていた衣類や新しく買い揃えた食器は、何もかもそのまま。見るたびに彼を思い出してしまうそれらが、余計に寂しさを助長していた。
共に過ごした時間でいえば一ヶ月ほどだったのに、リタがいなくなった場所に穴が開いているような気さえする。ここにすっかり馴染んでいたのだと、思い知った。
それでも、心の穴は徐々に塞がっていくもの。
元いた世界に残してきた、大切な妹やその子ども達。優しく強い母の親友。
五年経っても彼らを思わない日はないが、その度に感じていた胸の痛みは少しずつ薄らいでいた。
寂しさとは、いずれ優しい思い出に変わっていくものだと思う。
傷を癒やすのは、何も時間だけではない。
側にいる誰かだったり、何気ない日常の出来事だったり。温かな言葉やふとした優しさに、救いは確かに紛れ込んでいる。
誰でもいつかは歩き出せると分かっているからこそ、優季は別れを受け入れることができた。
あやし続け、ようやく泣き止んでくれたミーナを、細心の注意を払ってベッドに横たえる。疲れて眠ってしまった双子は、寂しさから互いを守るように身を寄せ合っていた。
「シルも、後輩ができて張り切ってたのにね」
長時間の抱っこで固まってしまった腕を振りながら、優季は小声で続ける。
からかわれたから、お返しのつもりだった。
子守り部屋を出たシルが、不意に真面目な顔になって振り返る。
「まぁ、寂しいが……俺はあんたがいればいい」
優季は一瞬、黙り込んだ。
これは、やり返されているのだろうか。
本気になって対応すれば冗談だと笑われるかもしれない。真に受けるのは恋愛経験が少ないせいだと、馬鹿にされるかもしれない。
分からないなら、ここは曖昧に流すのが無難か。
「あー、なるほど。お母さんが弟にばかり構うから、実は嫉妬しちゃってた感じか」
「何でそうなる。登場人物の誰一人として血が繋がってないだろうが」
「仕事ができる後輩をいびるのは格好悪いですぞ」
「ですぞって何だ。というか俺は、一人で仕事をこなすこともできる優秀な従業員だが?」
拾った当初の不慣れさを棚に上げて胸を張る青年が可愛くて、優季はつい笑ってしまう。
すると彼は虚仮にされたと思ったのか、むきになって優季の手首を掴んだ。
その力強さに、大きな手に、ずっと共に暮らしていたシルの成長を感じる。
優季を見下ろす青年は、もう大人なのだ。
「――本当に分かってないよな、あんたは」
油断しすぎていたのだと後悔しても遅い。
手首を掴まれているからだけでなく、灰紫の瞳に射貫かれて動けない。
声は怒気を孕んでおらず、それゆえにシルの余裕が垣間見える。彼はこんな時にも憎らしいくらい落ち着き払っていた。
「……分かってないのはどっちよって話よね」
「どう考えても鈍いあんただろうが。そこら中の女性から結婚やら愛人契約やらを強要される俺と、平然と暮らせてるところなんか特に」
「うわそれ自分で言う?」
「煩わしいけど事実なんでな」
それらを平然とはねつけ続けているシルに、優季の対応を非難する権利はないと思うのだが。
慣れない空気を誤魔化すための文句や軽口ならいくらでも出てくるけれど、とりあえず今は口を噤んでおくことにした。
シルが、あまりに思い詰めた顔をしているから。
「これだけ一緒にいれば特別なことくらい分かるだろ。俺は、あんたが――……」
トン トン トン
シルの言葉を遮るように、ノックの音が響いた。
この場合、間がいいと言うのか、悪いと言えるのか、微妙なところだ。
しばらく真顔で見つめ合ったあと、先に動き出したのは優季だった。
「――はい、すぐにお伺いします」
「あ、今あんた、これ幸いって思っただろ」
「思ってません。私事でお客様をお待たせすることはできませんので」
「急に『お客様は神様です』の接客精神を持ち出すなよ。普段との落差がひどいぞ」
「はーい、どちら様でしょうか?」
騒がしく応酬しながら玄関に向かった二人は、そこに佇む少年を前にぴたりと動きを止めた。
落ち着いた薄茶色の髪と緑色の瞳。柔らかい容貌の、十歳程度の少年。
彼は優季とシルを認めた途端、笑顔を輝かせた。
「所長さん、シルさん、お久しぶりです!」
「――――リタ?」
ボロボロの状態で必死に扉を叩いた時が嘘のように、リタは良家の子どもらしい身綺麗な格好で立っていた。
別れて間もないのに、どこか大人びて見える。
「あ、あんた、何でまたここに……」
「お祖父ちゃ……じゃなかった、お祖父様が、屋敷から通うならってことで、仕事を続ける許可をくれたんです! 当分下働きをするって約束も中途半端にしたくなかったし、元々所長さんに依頼したのは僕なのに、お祖父様に依頼料を肩代わりしてもらうのは違うかなって」
曇りなき笑顔を前に、またもや優季の現実逃避が加速する。
――いやいやいや、うちは現金でサクッと支払ってくれる方が助かるんだけどね……と正直に言えない真辺優季三十四歳、この展開は夢にも思わなかったんじゃないでしょうか。もしかしたら誰かの陰謀かもしれません。ちなみに『屋敷から通うなら』という条件で許可を出したという子爵は、もう既に孫にめろめろなのではないかという疑惑があり……。
「落ち着け、ユーキ。目を逸らしていたって現実は変わらない」
何かの歌にでも採用されていそうな常套句を用い、シルが止めてくれたおかげで、かなり早い段階で我に返ることができた。
「そ、そうよね。えっと、リタ、あのね……」
「ということで、今日からまたよろしくお願いします! 一生懸命頑張ります!」
元気な子犬のように挨拶をするリタに、優季は何も言えなくなってしまった。
大人はこんなにも無力だ。
肩を落としていると、シルが頭を軽く叩いた。
「もう諦めろって」
「うあう……」
……『何でも屋 ユーキ』――通称『子守り屋 ユーキ』。どうやら本日より、正式に三人体制となりそうです――。
区切りがいいので、ここでいったん投稿はおしまいとなります!
続きはまたいつか…となりますが、今度はなるべく早めに再開し、完結まで書きたいと思います!
ここまで連続投稿にお付き合いくださり、ありがとうございました!