No.168
No.168
『……忘れてた。なんであれほど望んでいたのに……』
ぼくは愕然としていた。
どうして望んでいた事なのに忘れていたのか。
お婆様から要らないと切り捨てられ。絶望していた中でも、それでも誰かに望まれる事を望んでいたのに……。
『ぶひぃ、ぶひぃ、ぼ、ぼくは、ぼくは……』
止め処なく涙が溢れてくる。
『ほれ、これで涙を拭け』
店主さんが近場に置いてあった布を寄越してくれる。
でもこれなんか、色々と汚い。あとなんか変な臭いがする。
ぼくは差し出された布をそっと横に置き。自分で持っている布で涙を拭いた。
『……坊主は相変わらずいい性格してんな…………はあ、坊主が約束事を忘れつつあったのは、現状に満足し始めちまったからだ』
『ぼくが、満足?』
何の事だか自分ではわからなかった。自分では満足していたと言うことはない、筈だ。
いつもお立ち台の方を見ていつか自分もと願ってーーー
『坊主は目的が違ってきちまったのさ』
『目的……?』
『そうだ。坊主は最初人前で演奏して、そこで誰かしらから必要とされたかった。だけど坊主の性格が邪魔して人前に出れなかった』
気の弱さがあったぼくは人前に出る勇気が持てなかった。それは今の今まで続いていたことだ。
『まあその内坊主の技量が上がり精霊を呼び出せるようになった。精霊は坊主の演奏を偉く気に入っていたみたいだからな』
太鼓を叩くことで喜んでくれる精霊達が嬉しくて。精霊達が帰るまで飽きること無く叩いていた。
『そこで坊主の目的。『人から必要とされる』が『精霊から必要されてる』からに変わっちまって、満足になっちまった』
『そんな!? ぼくは!?』
そんなことは決して無いと言おうとしたけど店主さんに手で制され。
『それから『人前で演奏する』事が『お立ち台へ上る』事に変わってきた』
確かにその通りだけと、それは変わったって言わないんじゃ。
『言いたい事は分かる。だがな、それが坊主にとって最終地点なら問題ない』
どう言う意味?
『坊主、お前はお立ち台に上がって、演奏できれば満足か?』
そ、それは……。
『精霊から必要とされ。羨望の眼差しで他の奴等が上がれるお立ち台を見て。いつか自分も上れれば、それで満足になっちまうのか?』
ぼくは店主さんの言葉に首を振る。
そうじゃない、そうじゃないんです。確かに精霊から必要とされるのは嬉しいです。ぼくが今だ上がれないお立ち台に上がって行く人達が、満足した顔をして降りてくるのが、羨ましく思います。
だけど、だけどぼくが目指していたのはーーー
『人から必要とされたい。多くの人の為に太鼓を叩いてやりたいんだろう?』
店主さんの言葉に『はい、そうです』と涙を流し頷く。
『市場だけで満足するなら止めねえよ』
店主さんは『でも、そうじゃねえんだろう?』と言ってぼくを見る。
何度も何度も涙流しながら頷く。
『だ、だけどこれ以上どうすれば良いのか……』
『やれやれ、そこは自分で何とかするもんだが、これが俺の最後の後押しだ』
店主さんはぼくにもっと広い世界を見て回れと言う。
ひとつの所に留まらず。色々な所に行って、色々な人達に太鼓を叩いてあげろと。
それにちょうど良いのが。ぼくが以前市場に行く切っ掛けとなった傭兵団の人達が、術士を探しているそうだ。
今のぼくなら精霊を呼べ、傭兵団の人達の手助けも為るんじゃないかと。
『ダメもとで頼んでみろ。もしかしたら入団させてくれるかもしれないぞ。ダメだった時は、自分で探せよ』
そして店主さんは最後にこうも言ってきた。
『以前坊主と約束したあれな。少し変えさせろ。『坊主自身が誰かの為にしたいと思える坊主に為れ』と言ったが、『坊主が願いを叶え続けられる坊主に為れ』。それがどんな事でも良い。それに向かって努力し続けられる人間に為れよ。これが俺の最後の言葉だ………………少し疲れた、俺は一眠りする』
そう言うと店主さんは静かに目を閉じた。
ぼくはお世話になった方の最後の言葉と思い。『ばい、わがりまじだ』と、言葉にならない言葉で返事をした。
店主さんはその返事に満足そうな顔をしていたような気がした。
『…………くせぇ。あのハゲ親父がこうもくせぇ言葉を吐くのか……』
と後ろで聞いていたお兄さんが言っていたような気がした。




