No.162
No.162
『っしゃいらっしゃい!』『どうだいそこの人! ケイチョウ肉の串焼きは!』『へえ、これ良いな。いくらだい?』『あらこれもうちょっと負けてくれない』『市場にいらっしゃる皆様、私が歌う一曲をお聴きください』ワイワイガヤガヤ。ワイワイガヤガヤ。
雑多と賑わう市場。多くの人が行き交い、過ぎ行く広場の片隅から。震えながら人が行き交う広場を見つめる一人の獣人族がいた。
勿論ヒビリーである。
『むりむりむりむりむり。こ、こ、こ、こんな人が多いところに、出ろだなんて……』
ガグガクと震え。足を出したり戻したりと、行ったり来たりの繰り返しをしていた。
(あの傭兵団の団長さんが町でやって見ろって言ったから来てきたけど)
『ひ、人が多すぎるよ~~~』
涙声に鳴りながら呟く。
それを聞いていた露店の店主。
実は自分が出してる店の後ろでガタガタ震えているヒビリーを気にしていた。
『なんだ坊主。さっきから出るの出ないのと言っているから、後ろで脱糞でもするのかと心配しちまったじゃねえか』
『一応食い物やだからな、困るところだったぜ。ガッハハハ!』と笑う、人間族のハゲ頭の店主さん。
ヒビリーは『ち、違います』と否定してから、いつも市場はこんなに人が多いのか聞いてみた。
『いや、今日はどちらかと言えば人は少ない方だな』
(これで人が少ないの!? なら人が多い時って……)
それを聞いて血の気が引いていった。
『何せ最近じゃ聖地に行く奴が減っちまったからな……。おっとそうだ坊主、何で俺んところの店裏で震えてんだ?』
途切れ途切れに為りながらも店主さんに話す。
『なるほど。つまり坊主は自分の技を披露したい場所が欲しいと言うことだな』
微妙に理解されなかった店主さんの言葉に、今の自分ではこれ以上の説明はできないと肩を落とした。
『えっと、その、あの、そんな感じ…………だったんですけど……』
『人がこんなに多くて居るなんて思わなくて、だから諦めます』、そう言うをとしたのだけれど。店主さんがぼくを捕まえ、こんな事を言ってきた。
『なら坊主、ちょうど良いのがあるぞ。あれ見てみろ』
店主さんが指差した方向には、背中に大きな羽根を持つ天人族の男性が、荷箱の上に立ち。ココルタ(マンドリンの様な弦楽器)を引きながら歌語りをしていた。
その歌は誰もが称賛するほどの歌声であった。
(わあ、きれいな歌声……あれって天人族に伝わる盟主さまの話の歌かな。…………あれ? だけど……)
女性の声と勘違いしそうなアルトボイス。鳥が歌うように歌う天人族の男性。
だけどその歌声を披露しても、市場の人は誰一人として立ち止まり、耳を傾けることはしない。
それぞれが、それぞれの用事を済ますために道を行き交っている。男性の前を通るのに男性の事などまるで居ないように皆振る舞っている。
『ありゃあ、お立ち台って言うんだが。あそこに立って自分の披露した事をすればいいんだ。もしでかい事をするんだったら周りの店に一声かけとけよ。迷惑なるからな』
『台の上から人が居なくなったら、いつでもやって大丈夫だぞ』と、にこやかにそう言うが。ぼくはあの天人族の男性の姿を見て恐ろしさを感じていた。
(な、なんで!? あんなにきれいに歌う人なのに、誰もあの人の歌を気にしてないなんて!?)
さっきまでの人前に出るために緊張していた震えとは違った震えが自分の体を襲っていた。
『ーーーふぅ、市場の皆様、ご静聴ありがとうございました』
男性は一曲歌い上げると深々と頭を下げ。台の上から降りていく。
男性は降り立った後。清々しい顔をして、人の流れには入るように、その姿を消していった。
店主さんが『おっ? 坊主空いたみたいだぞ』と、お立ち台が空いたことを教えてくれるけど。ぼくにはお立ち台に上がる勇気が出てくる筈もなかった。
(何であの人はみんなから無視を受けていたのに、清々しい顔で、やりきったような顔で要られたの? ぼくには、ぼくにはあんな顔、無理だよ……)
祖母から期待されなくなり。自分の事を少しでも理解してくれた、傭兵団の団長さんの薦めで市場に来てみたけれど。あのお立ち台に立ち。未熟ながらでも自分の神楽をあそこで披露して、誰一人として見ることも聞くこともなく終わる。
そんな想像をしてしまったら、もう足を前に出す勇気すら持てなくなっていた。
その後すごすごと市場を後にするが、市場がある日になると団長さんの言葉を思い出して。家を出て市場来ては、あのお立ち台を遠くから眺めている日々が続いていた。
そんな日が続いていたある日。
いつもの様に店主さんが『今日も来たのか坊主。今日はやるのか?』と聞いてくるが、ぼくは小さく首を振って答えると。
『すみません店主。今回のお立ち台はどちらに為りますか?』
店先からそんな声が聞こえてきてそちらを見ると。いつかの天人族の男性がそこには居た。
『何で買うじゃねえのか。お立ち台だな。今日はあそこだ』
店主さんが誰も立っていない荷箱を指すと男性は、『ありがとうございます。後で買わせていただきます』と言って荷箱の方へ行き。いつかの時のように歌語りを歌うのだった。
(何でまた来れるの? 今日だってこの間と同じように誰も立ち止まって聞いたりしてないのに……)
あれだけの技術を持つ人でも誰一人として見向きもされなかった。また同じことが起こっているのに、何故男性はまた来て歌うことができるんだろうと。
『市場の皆様、ご静聴ありがとうございました』
歌い切ると荷箱から降りると、行く前に言っていたようにこちらに向かってくる男性。
『お約束通り来ました。店主、一本いただけますか?』
店主さんは『待ってな』と言って串焼きを一本焼き始める。
ぼくは男性を見ると、やはりいつかと同じように清々しい顔していた。
男性はぼくが見ていた事に気がついて『私に何かご用でしょうか?』と聞いてきた。
普段のぼくなら緊張して言葉が詰まったり、途切れ途切れになるのに、この時だけはそんな事にならず。今自分が思っていたこと素直に男性に聞くことができた。
『え? 誰も聞いて無かったのに、何でそんなに清々しいのか、ですか?』
男性は少し思案した顔してから。
『清々しいのは、多分私がやれる事をやりきったからでしょうね。それから誰も聞いては居ないと言うことはないですよ』
男性はぼくの方を改めて見てにっこりと笑って。
『だって貴方は私の歌をきちんと聴いていてくれたんですから。貴方の様に必ず何処かの誰かが聴いていてくださる。私にはそれだけで、万の喝采を貰うに等しい物です』
ぼくはどうしてそんな風に思えるのか聞こうとしたが、串焼きを焼き上げた店主さんが男性に串焼きを渡し遮ってしまった。
そしてを串焼きを受け取った男性が『それでは、また何処かで』と言って、去っていってしまったのだった。
ぼくは慌てて男性を追いかけ、人並みを掻き分ける様に走った。




