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SR満州戦記2  作者: 異不丸
第四章 八月一四日
22/33

三 侘美支隊


清津港沖、北東二百キロ


 陸軍少将佗美浩は上機嫌だった。ほとんど思いつきの敵前上陸が実行され、成功してしまった。続く敵中突破作戦も幸先が良い。四年前のコタバル上陸戦とは雲泥万里だ。なにより、佗美の身体は濡れておらず、僅かに濡れた長靴も乾きつつある。思わず笑みがこぼれてくる。膝まである夏用の編上げ長靴はここの砂浜と同じ色で、シンガポールで英軍将校からもらったものだった。

 満ソ開戦以来ずっと、我が軍も機を見て反攻すべきだと佗美は考えていた。ウラジオ軍港への上陸に思い至ったのは、昨日、清津港で熊野丸を見たからだ。北鮮三港上空の航空撃滅戦で制空権を抑え、ソ軍上陸部隊を殲滅すると、ウラ一号船団は本土からの貨物の揚陸を開始した。熊野丸からは戦車や兵隊を乗せた発動艇が発進し、清津漁港に殺到する。佗美は、これなら出来ると確信し、甘粕に電話した。

 相変わらず甘粕の決断は早く、いくつかの質問に答えただけで『やろう』と賛同してくれた。行動も確かだ。十分後に、総司令部の作戦参謀から電話が入り、それから立て続けに、師管区司令部と軍司令部から命令電が入った。熊野丸乗船の戦車小隊、砲戦車小隊、機動歩兵小隊に、第一三七師団から選抜された増強歩兵中隊を合わせて三百名余りの佗美支隊の編成が二時間で完結した。


 ただ、作戦目標は、ウラジオ軍港から百キロ手前のポイスマナ湾に変わった。敵の頬面をガツンと張り飛ばそうという佗美の考えは却下されたが、まあ、仕方がない。少なくない兵隊の命と装備の金が掛かっているのだから、作戦には合理性が必要だ。費用対効果というのもあるだろう。とにかく、ソ連軍にこれ以上の攻勢を止めるように仕向けるには、痛いところを突く必要があった。それは後方の敵の補給線である。

 第五軍の危機に、第一方面軍と第三軍は三個師団を北上させ、牡丹江前面に展開した。方面軍司令部が置かれた敦化と、軍司令部のある延吉には有力な兵団は残っていない。今あるのは、琿春の第一一二師団と汪清の第一二七師団、春化の第一機動旅団だけであり、満ソ国境東正面の南半分はがら空きに近かった。そして、琿春の目前には敵第25軍の第386狙撃師団が迫っている。

 新京総司令部の決心は果断だった。東正面南部においては、これ以上の敵兵力を日満領内に進出させない。そのために、極東ソ連軍の本拠であるヴォロシロフとの兵站線を切断する。二日前から出動していた海軍艦隊との連携も検討されてあった。第五艦隊と第六艦隊の目的はウラジオストク強襲だったが、その作戦航路に陸軍航空隊や揚陸母船の行動を重ねることで協同が可能とされた。


「それでは、閣下は頭から海に潜られたのですか」

「大発の艇長から達者デナと大声がかかって、全員が飛び込んだ」

「上陸ヨロシの符牒ですね。ところが、深くて脚は立たなかったと」

「それだ。わたしはともかく、完全武装の兵隊はなかなか浮かんでこない。海岸線まで三百メートルはあった」

 佗美は、両手で空を掻いてみせた。支隊本部の面々が苦笑する。

「艇長が焦ったのは敵の銃火が見えたからですね」

 支隊長の武辺話を聞き出しているのは、副官の河野少佐である。

「そうだ。海岸線の砲火だけでなく、上空には敵の航空機。乗って来た淡路山丸は爆弾が命中して炎上していた」

 そう言って、佗美は真っ暗な空を見上げた。河野副官をはじめ、全員が真顔になって黙り込む。



 列強の中で最も熱心に上陸戦に取り組んだのは日本陸軍である。日清戦争、日露戦争ともに上陸戦から始まった。日本本土から出撃して大陸に陸兵を展開させるためには、大規模上陸作戦の成功が欠かせない。それは、朝鮮、遼東半島や青島を得てからも変わらなかった。海洋国日本の陸軍は、固定された拠点からの進軍を嫌い、海洋を利用した任意の地点からの進撃を重要視したのだ。

 上陸部隊の乗船地は複数であり、別の集合地に集結した上で護衛艦隊と合流する。上陸部隊は徴用商船で移動するが、司令部は指揮通信能力を持つ専用の揚陸母船に乗船する。徴用商船には完全武装兵の乗船と上陸が出来る専用の揚陸艇を多数搭載し、一度に大隊規模の部隊を揚陸できる。一部の商船は高射砲や高射機関砲で武装して、対空基幹船として船団全体の防空にあたる。

 すでに日清戦争の時から、日本の渡洋上陸作戦は陸海軍の協同の下にあった。支那事変の頃には、空軍力も合わせた水陸両用作戦として、ほぼ完成の域に達している。航空優勢や海上優勢を確保するために、海軍艦船の他に陸海航空隊が出撃した。艦砲射撃や銃爆撃での誤射を防ぐために、陸海軍共通の地形図が準備された。


「航空部隊は制空権の奪取に失敗しましたか」

「いや、奇襲を重視して、事前の航空撃滅戦は実施されなかった」

「それは、なんとも」

 河野少佐は首を傾げた。比島では、台湾から出撃した陸海航空隊が米航空隊を殲滅した後に上陸戦が行なわれた。同じように、南仏印から出撃することは可能だったのではないか。

「あの時は奇襲に拘りすぎていたのかもしれない。奇襲は成るもので、起こすものではない。また、奇襲の効果とは、敵に与える心理的な打撃を第一とするものだ」

「不意打ちの戦果を期待してはいけませんか」

 振り返った佗美少将の顔は穏やかだった。

「マレー上陸後、英軍が立ち直ることはなかった。戦略的な効果があったと言える」


 ポイスマナ湾が上陸地点とされたのは、そこがソ軍配置の空白地帯であり、第386狙撃師団の背後に回るのに適当と判断されたからだ。関東軍測量隊の配備要図によると、東正面南部に配置されたソ軍は第39狙撃軍団で、琿春に対応する位置に第40狙撃師団、春化のそれに第92狙撃師団であった。ポイスマナ湾はその二つの師団駐留地の中間にあり、有力部隊の兵舎や陣地はない。

 進撃路は、ヴォロシロフとポシエート湾を結ぶ鉄道と幹線道路を破壊できるように設定された。ポシエート湾の奥には軍港があり、クラスキノ市は師団司令部がある軍都である。鉄道はさらに延長されて、かつて張鼓峰事件のあった長湖、ソ連領最南端のハーサン湖まで通じているらしい。

 ヴォロシロフと満ソ国境南部を結ぶ陸路の兵站線は佗美支隊が破壊するが、海路による補給線の切断は海軍艦隊の任務である。ウラジオストク強襲を終えた第五艦隊が、帰路にアムルスキー湾とポシエート湾を砲撃し、続く第六艦隊がウラジオストク港とその一帯を閉塞する。その合間に、佗美支隊の上陸地点の事前射撃も実施することになった。



「今回の上陸戦では、航空支援も海上支援も完全でした」

「そのとおりだ。装備も能力も確実に進歩している。揚陸母船内から上陸するまで乗ったままだ。身体が濡れるわけもない」

「戦車も載ったままですから、たいしたものです」

 佗美と河野は、小山の上から戦車隊の布陣を見下ろした。黒々としたその影は、東を向いている。

「コタバルには戦車は揚がらなかった」

「戦車連隊はシンゴラに集中されたのですね」

「うちは沿岸の飛行場占領だけだったが、あっちはジットラ要塞線の突破進攻だからな」


 上陸後、支隊は北上し、一時間で湿地帯十キロを突破した。幹線道路と鉄道を横断すると、左手の山中に本部を開設する。山裾に沿って構築する陣地は、東方のニツイネヤ方面に指向された。南のペスチャナヤにあった戦車と自走砲は、熊野丸の搭載艇が潰した。後続が来るだろうが、それまでには工兵隊の爆雷敷設は済む。

 当面の脅威は、二十キロ東方のスラウヤンスキー湾から山越えで出動してくる敵だった。旅団司令部があったから、一個連隊は出撃してくると考えておかねばならない。敵連隊の出撃路は、鉄道ならば北のヴェルキネヤからだが、幹線道路なら東のニツイネヤからとなる。佗美は東と読んで、戦車と機動歩兵を前方に配置した。

 今回の任務は占領ではなく兵站路の破壊だから、無理に戦線を維持する必要はない。不利と見れば、北西の国境に向けて撤退できる。歩兵中隊は退却路となる西の山間に置き、東側は機動戦に向けて空けておく。作戦目的は南の幹線道路と鉄道が交差する地帯を爆破することで達成されるが、さらに、北の鉄路にも爆雷を仕掛けることで、目的の徹底と退却路の確保を企図していた。


「その機動戦ですが、一式中戦車の主砲は四十七ミリ。敵戦車は七十六ミリで、新型なら八十五ミリです。不利は否めません」

「なあに、うちが戦車を持ち込んだとは思っていないさ。それに、砲戦車の主砲は十センチある」

「たしかにヴェルキネヤもニツネイヤも射程内ですが」

「英軍は、戦車は密林の中では機動できないと考えて、配備していなかった」

「マレーの話ですか。アルデンヌの森を忘れていたのですね」

 河野少佐はあきれたように言った。

「それこそ奇襲さ。さて、ソ軍はどう来る」

「綏芬河以北に侵攻したソ第5軍は、山岳山林には軽戦車のBT7を突入させています」

 佗美少将は顔色を変えずに答える。

「そうか。敵さんもやるものだ」




 工兵小隊が念入りな爆破作業を終えて戻って来ると、支隊本部はにわかに忙しくなった。東の稜線が光り始め、敵らしき影が横切る。ようやく戦機が熟してきたようだ。支隊長の佗美は腕時計を見て舌打ちする。遮二無二突っ込んでくると思っていたのだが、これでは戦闘中に明るくなってしまう。

「まずいな、副官。敵の野砲に照準されてしまう」

「はい、支隊長。他にもいくつか」

「どうした。戦車か」

「北と東との同時攻撃のようです。どちらも先頭は新型のT34」

 佗美は、一拍おいて、砲隊鏡にとりつく。

「ふぅ。端から全力で来たか。よき敵ござんなれ」

 河野副官は、支隊長の感慨は無視して命令を伝える。

「攻撃開始!」

 どーん、ど~んと重い発砲音がすぐに響いた。野戦電話を引くまでもない。三百人では陣地に厚みがなく、砲戦車への攻撃命令は大声でも届く。命令受領者が走る必要はなかった。


 二両の一式十糎砲戦車は、それぞれ北と東、ヴェルキネヤとニツネイヤからの敵出撃路に照準していた。最初の二連射で先頭にいるT34戦車を狙うが、命中は期待していない。射距離五キロでは敵の装甲を貫けないから、地面着弾からの転覆を願うくらいだ。周りの歩兵を散らすのが主眼となる。山越えの敵戦車は下り坂にあって、こちらを照準するのは困難だ。

 前進配置の一式中戦車四両は、それぞれ装甲兵車の機動歩兵を率いて発進する。主砲が敵T34の装甲を貫けるのは射程一キロ内で、後方にいたのでは的になるだけだ。敵は二キロ以上でも一式中戦車の装甲を貫通できる。この方程式を解くのは容易で、一次解は速度だった。

 三年前に制式化された九七式中戦車改、新砲塔チハも四十七粍戦車砲であり、一式中戦車との差異はあまりなかった。一式と制式化された眼目は、外からは見えない内燃機関にある。発動機出力が五割り増しの二百四十馬力となって、転輪など足回りも強化された。正面装甲を倍増して重くなった車体を、さらに速く機動させるためである。



 一式中戦車は全速で前進し、敵戦車との距離を一気に詰める。まだ下り坂にいて薄い上面を曝している間に仕留めるためだ。射撃中は停止するから、装甲兵車を降りて散開した機動歩兵が防御にあたる。先頭の数台を潰すと、戦車と装甲兵車は全速で退く。歩兵だけとなった敵に後方の砲戦車が榴弾を浴びせる。見事な連携だった。

 戦車小隊も機動歩兵も、本土決戦に温存されていた精鋭部隊であり、練度は高い。わずかな地形の起伏を読んで遮蔽に利用しながら高速で移動する。機動歩兵の降車、散開、再乗車は素早く、敵兵との距離に応じて火器を使い分ける。二波にわたる敵の攻撃は頓挫し、山の向こうに撤退していく。


 しばらくして、今度は敵野砲の山越え射撃が始まった。砲戦車は忙しく位置を変えながら、観測兵がいそうな地点に榴弾を撃ち込む。しかし、敵野砲の着弾は近づき、数も増えてきた。まもなく効力射撃に入るだろう。

「頃合です」

「そうだが、道案内はどうした」

 問われた河野副官は双眼鏡で周囲を見渡し、最後に明け渡った空を見上げた。

「あれがそうなのでは」

「なに、空からだと」


 朝日を浴びる大きな黒い丸が二つ、空中にあった。見る間に近づいて来る。丸は歪な球になった。家ほどの大球と、納屋ほどの小球の二つが重なっているようで、その大きさに支隊の兵隊は圧倒されて身を縮める。恐る恐る見上げると、下に吊られた人が手を振っていた。いや、退けといってるようだ。

 小球が離れて大球一つになる。落下が始まった。速い。

「着地、いま!」

 大声がして、男が舞い降りてきた。宙返りはなかったが、膝を折って反動を吸収する見事な着地だった。降下服に拳銃と短刀を差している。縛帯を切り離したらしく、荷重から開放された大球は急速に舞い上がっていく。続いて、もう一人も降り立った。

 二人は佗美少将を見分けたらしく、駆け寄って来て敬礼する。

「機動第三連隊第一中隊、騎兵中尉、長田幸三であります」

「支隊長の佗美だ。ご苦労である」

 佗美支隊は長田大尉の案内で撤収に入った。




 撤退路は当初の計画より山筋一つ西よりだった。このままだと十キロ以上も違ってくる。近づき過ぎではないのか。小休止に入ると、佗美は説明を求めた。

「遅くなり失礼しました、閣下」

「それはかまわん。さっきは撤収が優先した」

「恐れ入ります。連隊先鋒は鎮安嶺まで進出しています」

「それは、敵師団を攻撃中ということか」

「いえ。ソ第386狙撃師団が退却を開始しまして、追従中です」

 そこで河野副官が割り込む。

「閣下、機動第三連隊本部に無電を打ちます」

 山中に入っているので、空中線を伸張しないと長距離無線は届かない。敷設には時間がかかるし、相手が移動していれば受信できるとは限らない。しかし、敵が退却中となると、当初の作戦では空振りに終わる。友軍との調整は必要だった。


「長田大尉、その、空中進撃の後続は来ないのか」

「気球機動でありますか」

 空をじっと見据えた後、長田は首を振った。

「風が好くありません。予備のふ号はありますが、飛流で来るのは無理でしょう」

「そうか、やはり風次第か」

「もともと高空の西風を利用した兵器であります。隠密機動にも使えますが、いつもとはいきません」

「すまん。いや、便利そうだと思ったものでな」

「はい。推進器をつければ有効な兵器になり得ます。白城子の気象第七連隊で研究中でありまして、気球を翼形にするようです」

「ほう。球形ではなく、厚みのある四角形になるのか」

 佗美は言いながら、横に並んで空を見上げる。



 ごぉぉぉおおん。


 見上げた空を飛行機が横切った。佗美が凝らす目に日の丸が映る。後から副官の大声が聞こえてきた。

「なに、増幅? 反射? ああ、中継か。わかった」

 上空の飛行機は旋回しているようだった。

「お、機動第三連隊か! 聞こえるぞ」

 長田が振り返った。佗美も、ゆっくりと身体を回す。河野少佐が嬉しそうに叫んでいた。

「閣下、移動しましょう。空中線は要りません。会敵まで張り付いてくれます」

「副官、攻撃作戦はどうなったか」

「受信中ですが、急ぐ必要があります」

「よし。支隊、前進!」


 佗美支隊は進撃を再開した。その上空を百式輸送機が舞う。

 ごぉぉぉおおん。






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