二 熊野丸
清津港沖、北東2百キロ
突然、大きく艇が揺れた。搭載していた戦車が上陸して、船首にかかっていた荷重がなくなったのだ。岡田六朗兵長は振り落とされないように砲座の縁綱を掴み、両足を踏ん張る。これより離岸だ。すぐ後の船橋から号令がかかり、発動機の音が高くなる。揚陸用の歩板が折り畳まれ、横に張った錨が引き揚げられた。揺れが治まる間もなく、艇は後に引かれる。着岸前に後方に降ろしていた艫錨を巻いて、艇の逆進を助けているのだ。
着岸時には艇速を殺さず、全速の勢いをもって浜辺に乗り揚げた。兵隊なら、浜から多少遠くても自分で降りてくれる。しかし、車両はそうはいかないから、浜の奥まで届けるつもりでやった。計画的な座礁であり、座洲という。着岸の最終段階では海底を突き進むから船底は双胴で、螺旋型の推進羽根も鉄板と鉄棒で防護されていた。
離岸は順調で、岡田は安堵する。船底を引き摺る音は聞こえない。重量を解放したから、それだけで艇は浮いているし、この辺りの海底は砂だ。二軸の主機音も大きいが、陸地からは銃声が途絶えなかった。戦車の発砲音はまだない。砂浜は着岸する船艇にはやさしいが、戦車の前進には厳しいのかもしれない。進撃路を開削するのは、同乗していた兵隊たちの仕事だ。
岡田兵長が乗っている大型発動艇は、大発動艇とも特大発動艇とも違う。全備重量三十トンの四式中戦車を載せて単独航海ができるように設計されていて、二〇粍連装高射機関砲二門と三七粍舟艇砲の強力な武装もある。全長は二十五メートルで大発の二倍近く、主機の馬力は大発の四倍、特大発の二倍だ。今年の春に完成して、先月から制式に向けての航海試験が北千島で始まっていた。陸軍船舶部隊の最新鋭発動艇である。
「兵長どの、上陸戦がこんなに派手とは知りませんでした」
射手席の角川上等兵が砲身の先を見つめたまま言った。岡田も頷く。舞い下りる照明弾で明暗は揺れるものの、顔の表情まで読み取れる。
「俺も知らんね。だが、敵さんの本拠地の目の前で隠密上陸とはいくまい」
熊野丸の後部発進扉を出た時から、周囲は光と音で満ちていた。上陸地点までの十分間に、煙と臭いも加わる。ポイスマナ湾の砂浜の周囲は、直前の第五艦隊の艦砲射撃によって燃え上がっていた。ここは、ソ連海軍のウラジオストク軍港から百キロもない。
「そのウラジオをやった帰りなんでしょう、海軍さんは」
「ああ、そうらしい」
「さすがは連合艦隊、たいしたものです」
艇が回頭に入った。角川は口を噤み、銃口が陸地を指向するように回転把を廻す。岡田は左舷砲座を窺いに歩み出す。と、艇が前進を始めた。船首はまだ熊野丸を向いていない。どうやら、このまま帰船とはいかないようだ。
大型発動艇の高射機関砲座は船橋のすぐ前にあった。左右に一つずつ、連装二基で四門である。四式基筒双連高射機関砲と称しているが、実は九八式二〇粍高射機関砲そのものだ。岡田たち六名は砲員として本船から借り出されていた。
左舷砲座に渡る前に、岡田は船橋を見る。大型発動艇の船橋は小さく、操舵輪の隣に一人立てるぐらいの大きさで、その下は機関室だ。船室は砲座の真下になる。案の定、艇長が駆け上がって来たところだった。
「おう、岡田砲長」
「はっ、谷山艇長」
「ちょいと回り道する。高速艇一号がペスチャナヤ村の近くに火点を見つけた」
岡田は溜息をつく。俺の勘も捨てたものじゃない。
「はっ。舟艇砲も加えますか」
「この揺れでは照準どころか装填もできん。知ってて聞くな」
「はっ。しかし、本艇は十ノットしか出ません」
艇長に向かって艇の諸元を言うのは穏やかではない。だが、谷山は、岡田が言わんとするところを理解した。
「そうか。よし、準備しろ。船首の三人を使っていいぞ」
「はっ。岡田兵長はこれより・・・」
復唱を終いまで聞かずに、艇長は屈んで船室に向かって怒鳴る。
「無線櫓を立てろ。全装備で行く」
熊野丸の搭載艇で武装しているものは、他にも、速射砲と機関砲を積んだ駆逐艇二隻と、重機と軽機を積んだ高速艇乙二隻があった。しかし、それらは、本艇の左舷を全速で帰投中だ。つまり、無線機と羅針盤を装備した艇に用があるらしい。それは、熊野丸に置き去りにされる可能性を示唆していた。単独航海ができるというのは、そういうことだ。
ウラ一号船団の編成は、岡田が知る限り、一〇日の午後だった。陸軍特殊船の熊野丸は、大発と特大発合わせて二十数隻と支援艇数隻を搭載できる。今回搭載されたのは、発動艇が十二隻と支援艇が十隻だった。突然の出撃命令で、間に合うものを艤装し、そこにあるものを詰め込んだらしい。
船団の第一の目的は、最新の対戦車兵器と弾薬を運び込んで関東軍の危急を救うことにあった。第二は、本土で不足しつつある食糧を持ち帰ることだ。それらの大半は摂津丸に積み込まれる。上甲板を航空甲板とした熊野丸には、貨物船型の僚艦と違って荷役用の設備がほとんどない。出撃までに艤装を終えるのも不可能だった。
熊野丸は護衛に徹することになった。飛行甲板に三式指揮連絡機、カ号観測機、そして九七式戦闘機が搭載された。羅津港は敵の侵攻が予想されたので、港湾の防衛装備も準備された。一式中戦車四両、一式十糎砲戦車二両、一式装甲兵車四両と、揚陸用の特大発動艇四隻、大型発動艇二隻、大発動艇六隻である。
陸軍船舶部隊の任務は、上陸部隊、兵員と装備の揚陸である。上陸部隊を運ぶ本船の自衛は行なうが、上陸地点への事前射撃や上陸中の制圧射撃は海軍艦艇の役目だった。揚陸行動を阻害する敵火点を排除する装甲艇はあったが、上陸部隊を支援するためのものではない。上陸部隊の戦闘支援は海軍艦艇、あるいは陸海航空隊にあった。
赤道以南へ陸軍部隊が進出するようになると、その兵站の維持も陸軍船舶部隊の任務となった。島嶼の補給戦は、上陸戦と違って小規模であり、海軍艦艇の出動は見込めない。航空隊は制空権を争うが、海面までは下りて来ない。畢竟、船舶部隊は独自に対応することとなった。隠密機動、欺瞞航路、船艇や泊地の擬装はもとより、敵船艇との戦闘も研究された。
敵の襲撃は空陸だけでなく、海上からもある。米豪軍は海岸線に多数の高速魚雷艇を配備していた。これに対応するために、高速艇から無線機が降ろされ、重機と軽機が搭載されて高速艇乙となった。さらに機関砲と速射砲を装備した高速艇丙が駆逐艇へ発展した。そして、単独航海が可能な大型発動艇へと集約される。
大型発動艇二隻、八門の機関砲射撃を受けると、ペスチャナヤの火点はあっけなく沈黙した。しかし、岡田の胸騒ぎは止まない。隣で角川が砲架を叩く。
「怪しいであります、兵長どの」
「そうだな。海軍巡洋艦の艦砲射撃を生き残っていた。それが二〇粍でやられるわけがない」
「照明がほしいであります」
火点を潰したから、真っ暗である。上陸終了と同時に、照明弾の投下は止んでいた。すでに熊野丸に帰艦しているだろう。
「艇長に話してくる。油断するな」
「はっ」
岡田が具申するまでもなく、船橋の谷山艇長も頭を傾げていた。敵地の状況を視認したいが、二キロ以上もあって投光器では届かない。
「艇長、照明弾がありました」
「なに、三十七ミリに照明弾があるのか」
「信号拳銃よりは大きいであります」
「たしかにそうだ」
岡田は左右の砲座から二人を引き抜き、艇首甲板中央の舟艇砲に走る。大型発動艇の四式三七粍舟艇砲は搭載車両の揚陸を阻害しないように取り外し式になっていた。車両搭載時には外し、取付座に鉄製覆いを被せて十六個の螺子で止める。舟艇砲の重量は二百キロもあるから、急場では間に合わなかった。
戦闘中は何が起きるかわからないから、装備はいつでも使えるようにしておく。その時間はこさえるものだ。岡田は自分の気転に感謝しながら防水覆いのカンバスを剥がす。射手が取り付き、弾薬手が箱を開ける。
「船首に向けておけ。弾種、四式照明弾」
艇長が駆けて来た。船橋から十六メートルもあるから、全速前進の風の中では大声でも届かない。
「錨を張って、一分間は水平を維持する。それでやれ」
「はっ。岡田兵長は舟艇砲の指揮を取り・・・」
終いまで聞かずに、艇長は走り去った。
ドボン、と大きな音がして艫錨が投げ込まれた。艇は前進を続ける。もう水深は三メートルもないのではないか。だが、岡田は射撃諸元の算定に必死でそれどころではない。すぐ脇で、左舷の船首錨が投げ込まれ、兵隊が飛び込む。艇が心持ち右に回頭する。すると、右舷で錨がドボン、さらに兵隊がドボン。艇は微かに左に回頭し、そして後方に引かれる。
本艇は船首の左右錨と船尾の錨の三点で緊張された。さらに、艇長は二軸の推進器の正逆を操って、海面上停止を確実にしようと汗を掻く。たちまち、艇の揺れがなくなっていく。
「よし、開始!」
「撃て!」
ドン、ドンと、二隻の大型発動艇の舟艇砲が火を吹く。しばらくして闇夜に眩い光源が浮いた。
「修正、下げ三だ。こっちを照らしちまった」
艇長には大見得を切ったが、実は、岡田はもちろん、全砲員が照明弾を撃ったことはなかった。弾体は落下傘筒と燃焼剤筒の二つが一体化されていて、製造も調整も面倒である。通常は十センチ以上の大口径砲にしか供給されない。
ドン、ドン。
「何か見えます!」
村の右手に蠢くものが見えた。機関車のようでもあり、貨車のようでもあり、いや、やはり戦車だ。
「いいぞ。弾薬手、その四式焼夷弾も混ぜてみろ」
「よーそーろー」
ドン、ドン。
「次は徹甲弾!」
砲耳の横の耳当てに顔を張り付けた射手は、弾種を聞くと肩当てを上下して射角を調整する。四式三七粍舟艇砲は、九八式三七粍戦車砲の各部に防錆鍍金を施したものであり、砲の操作は戦車のそれに準じていた。船橋から大声が聞こえてくる。
「状況は上陸部隊へ連絡した。本艇はこれより離脱する。残弾があればいますぐ撃て!」
ペスチャナヤ村と背後の鉄道は激しく燃え上がっていた。
熊野丸はポイスマナ湾の南方十キロほどの海上をゆっくりと遊弋していた。船橋では、ようやく安堵の空気が生じつつある。寝耳に水であったソ連領内への上陸作戦が、大きな損害もなく完了しそうだからだ。上陸部隊と装備はすべて揚陸を終わった。発動艇も支援艇も欠けずに本船後方に集合、最後まで残っていた二隻も帰投中である。
昨日、清津に入港した熊野丸に、船舶司令部から任務変更を指示する無線が入った。すぐに、関東軍総司令部から上陸作戦参加の命令電、前後して参謀本部から戦闘序列の変更命令が届いた。船長は眩暈がすると言って、船長室に引き篭もってしまった。
それから数分後に、完全武装、着剣の兵隊が二百名ほど乗船して来た。拳銃を抜いた参謀が船長を引き摺りだし、作戦会議の開会を宣言する。作戦室に集められた本船の幹部要員を前に、指揮官が陸軍少将佗美浩と名乗った。そして、熊野丸と佗美支隊はこれより出撃、ソ連ウラジオストク港に敵前上陸すると、作戦概要を披露する。まさに青天の霹靂であった。
「船長、搭載機の繋止が終わりました」
「よーそーろー。大型発二隻はあとどれくらいだ」
「十五分ほどです、船長」
「後部発進扉を開け。船艇収容を開始せよ」
「はっ。両舷、微速前進」
「よーそーろー」
「船長、摂津丸から暗号電です」
「読み上げよ」
「はっ。ワレ、エチゼンミサキトウダイヲミル、キセンノブウンヲイノル、セッツマル。以上です」
「そうか、摂津丸はもう本土に着くか」
「返電はできませんが」
「わかっておる、向こうもな」
摂津丸は時間短縮のために清津港から敦賀港へと直行し、船団名はセツ二号となった。第五艦隊が護衛を二隻出し、三隻の船団だ。敦賀港では施設復旧と掃海が徹夜で行なわれていた。船団は、満州からの食糧を揚陸後、再び清津に出撃してセツ三号となる。
船艇収容のために中甲板の後尾には兵隊が集まっていた。その手前に、少し離れて二人の士官が立っている。二人は、時々手を広げながら、天井から床を見ていた。
「二度も揚収したのだから大丈夫だろう。それに、今度は空荷だ」
「急いで工作したのを二度も使ったのです。強度がどうか」
「もたなかったら、船首と船尾を分離すればいいさ。接合螺子を外すだけだ」
「ですが、大型発の指揮仕様艇は貴重な一隻です」
「あれ、そう言えば、指揮艇を四隻積んだな」
「えっ、あんな物騒なものを積んでいたのですか」
「最新装備を輸送するのが任務だ。海上からの襲撃も予想された」
「気付かなかった。大型発動艇に気をとられていた」
「ま、捨ててもいいさ。どうせ軍は解体だ」
「そうはいきません。兵器は消耗品ですが、戦訓は残さないと」
「ふうむ、そうだね」
熊野丸の搭載船艇は中甲板に格納されていて、後部発進扉から泛水する。中甲板は喫水線より高く、発進扉を開放しても水没することはない。その段差を解消して、緩やかに船艇を泛水させるのが、天秤式の船台である。甲板上には軌道が敷かれてあり、天井には吊上げ装置もあって、船艇を後部に移動させる。
天秤式船台に移された船艇は後に押し出され、重心が移動して天秤が傾く。遊具のシーソーである。通常は、傾きが十五度ほどで船艇は滑り始め、緩やかに泛水する。戦車などを搭載して重い場合は、ころや甲板後尾に設置してある巻上機を使う。特大発動機まではうまくいったが、大型発動艇は長い。
熊野丸の天秤式船台の長さは、あきつ丸のものよりは長かったが、それでも五メートルだ。突貫で七メートルまで延長したが、本来なら全長の三分の一、八メートルは必要である。それにもかかわらず、二度の揚収がうまくいったのは、積荷の砲戦車が結構な重量であり、その搭載位置で重心を調整できたからだ。空荷となった今は、極端なほどに重心は船尾にあるだろう。
「なるほどねぇ。船艇は船首から収容するから、さらに後に傾くわけか」
「はい。船首が天井に突き当たる可能性は大です。その跳ね上がりを巻上機と滑車で抑える必要があります」
「移動できる重量物を船首に移させよう。弾薬とか予備燃料とかをね。そうだ、全搭乗員を船首に集合だ。しかし、それでもだめなら」
「大型発動艇は捨てさせませんよ。分解なしに収容します。いいですね」
「え。そう」
ブゥー、ブゥー。
突然、非常警報が鳴った。中甲板の全員が動きを止める。船内電話に取り付いた下士官が、二人の士官に走り寄る。
「園田大尉、船長から至急です」
「あ、私だ。今、行く」
非常で至急の割には、通話は長かった。怒鳴り合っているようでもある。園田大尉は相当な人物なのかも知れない。そう考えていると、大尉が戻って来ていた。顔色が変わって別人のようだ。
「相良中尉、出撃する」
「え」
「燃え盛る敵船が本船に向かって突進中だ。八千トン級だから、本船にも搭載艇にも止める火力はない。指揮艇で爆沈するしかない」
相良は唖然としたが、大尉が言うならそうなのだろう。周囲の兵隊は息をのんで見つめていた。
「わかりました。操縦できるのは大尉と私の二人ですが、出撃は全四隻で行ないます」
「君が言うなら異存はない」
浮力胴衣を身に着けた相良中尉は、二隻の無人指揮艇の調整を終えると、自艇に着席し、鉄帽を被った。それから、僚艇の園田大尉に向かって怒鳴る。
「無人艇は一分後に始動します。我々は嚮導艇です、あたる必要はない」
「わかっている。了解」
相良中尉らが乗った指揮艇は全長五メートルの小型高速艇だった。外見は四号肉薄攻撃艇マルレと似てなくもないが、兵装すなわち二百五十キロの爆雷を船首に置いたために、内部構造はまったく違った。さらに、船首上部に立てられた支那鍋のようなケ号装置が特徴的である。
赤外線検知装置の検知のけを取って、ケ号装置、あるいはケ装置である。要するに、敵艦船の機関の熱線に反応し、自動で舵を向ける。初期、試作段階と違って、赤熱した煙突でなくてもちゃんと反応する。二人が嚮導する必要はないが、あたりは収容を待つ船艇であふれていた。
「発進!」
「よーそーろー」




