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SR満州戦記2  作者: 異不丸
第四章 八月一四日
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一 老黒山支隊

老黒山東方六十キロ


 吹く西風は強く、大島伍長の左頬を強張らせた。暗い空には薄明るい月が浮かんでいる。月齢は六日、明日は上弦の月だ。隣で煙草を吸っている生嶋軍曹が呟く。

「半月は満月の半分の大きさだが、明るさは一割でしかない。一三夜でやっと五割の明るさとなる。すなわち、今夜は闇夜と変わらない」

 わかるかと問うように覗き込んでくる。相変わらず理屈っぽい奴で、大島は舌打ちをする思いだった。要するに、強風の闇の中で、ソ空軍機が地上襲撃をかけてくることはないと言っている。もちろん、大島は得心しない。

 物事には表裏があるものだ。闇夜だからこそ発砲の砲炎は目立つし、強風に乗った砲声は遠くまで届く。なにより砲煙だ。諸元を得て効力射撃に入った今、発砲の白煙は風に千切られても、濛々として晴れることはない。だいたい、敵の音響標定の能力が優れていると言ったのは生嶋自身ではないか。


 大島が所属する老黒山支隊第一中隊が今いるのは、アレクセイニコリスク村の背後の山中である。砲撃目標は十三キロ北東のポクロフカの町で、開戦まではソ第25軍隷下の軍団司令部や戦車旅団司令部があった。開戦後は、軍の兵站基地となっているらしい。綏芬河に沿って三百メートルほど続く町に、百発の榴弾を撃ち込むのが支隊の目的だった。

 作戦開始から二十四時間、国境を越えてから二十二時間が経つ。しかし、大島はまだ現実のこととは思えなかった。国境を越えて三十キロ以上も侵入したのは、自分で歩いたから間違いない。信じ難いのは、敵陣深く重砲を持ち込んだということだ。ここまでの作戦時間の実に半分が、特二四榴の設置に費やされていた。

 野戦築城としては完璧で堅固な陣地も完成していた。二門の重砲座は土壁で隠蔽されている。その周囲には塹壕が掘られ、交通壕で結ばれた二個小隊が直衛していた。要所には装甲車両と重機関銃座があって、前面の村を中心に機動連隊一個中隊が外周を守衛する。そして、自走対空機銃が四両。大島伍長と生嶋軍曹は最も東側の対空銃座の近くにいた。




 老黒山支隊の編成が完結したのは一昨日の二三時で、出撃の一時間前だった。大島が知っている支隊は、重機や歩兵砲が倍増された通常大隊に、独立行動が出来る様に工兵隊や通信隊、あるいは自動車中隊を配するものだ。しかし、老黒山支隊の編成は相当に変則的で、三つの中隊それぞれが工兵や装甲兵車を持ち、中隊ごとに装備も員数も異なっていた。

 第一中隊は主攻部隊で、特二十四榴二門と索引車両の砲兵、その通行路を開削する工兵と護衛の歩兵から成る。第一方面軍直轄の独立工兵第一二連隊から分派された工兵中隊は、伐開機や工作機など種々の力作車両を持ち込んでいた。砲兵を直衛する歩兵二個小隊とは別に、機動第二連隊の小山中隊が外周を守る。

 前衛と陽動にあたる第二中隊は、一式砲戦車四両と装甲兵車の砲兵、装甲作業機と装甲工作機に分乗する工兵、半装軌兵車に分乗する歩兵から成る。段列である第三中隊の整備兵と特技兵は半装軌兵車に分乗し、予備装備の速射砲と迫撃砲も運ぶ。たしかに国境山岳地帯を突破するのだが、全車両が装軌車か半装軌車だというのは大島の度肝を抜いた。


 満ソ国境地帯におけるソ軍の配備状況は継続して監視されており、配備要図が関東軍測量隊で製版されていた。それによると、興凱湖の西から老黒山の真東にあたる白刀山子までは、ソ軍のトーチカや塹壕陣は厚く隙がない。さらに十キロ南の腰営の正面、オーストラーヤ山の南麓に至ってようやく薄くなり、越境侵入はここから行なうことになった。出撃の六時間前から白刀山子正面に砲撃が行なわれたが、ソ軍の反応は低調だった。

 支隊は第二中隊を先頭に出立した。第一中隊が越境したのは午前一時だった。大砲は精密機械であり、そして分解した砲身は三十トンもある。高低差百メートルの山地に開削された坂道では、全装軌の索引車でも毎時五キロは出せない。歩兵隊は後衛で、徒歩で開削した仮設道路の脇に散開して進む。

 仮設道路は、真っ直ぐ北東へ開かれてあった。一三トン牽引車が三十トンを牽引するには、許容できる坂の傾斜がある。そうなるまで工兵隊は樹木を伐採した山肌を削る。削り取った土石は両脇に押し上げられ、伐採した木々で土留めされた。オーストラーヤ山を上るに連れて両脇に盛られた土石は高くなり、谷底の進軍となる。第一中隊と第三中隊の三十を超える車両は静々と進んだ。


 戦闘はなかった。時々聞こえる銃声は遠くからだった。先行している第二中隊の砲戦車の発砲音も聞こえない。オーストラーヤ山の東側では、三時間前から機動第二連隊が別の作戦を展開しているという。ソ軍第一極東方面軍の本拠であるヴォロシロフ周辺の飛行場が攻撃目標らしい。それも大島にとって信じられないことだった。

 一時間ほどで峠を越えると、歩兵隊は前に出る。重量物を引く索引車には下りの方が難儀だ。坂の勢いを付かせないように、上りよりも慎重な運転となる。大島小隊は中隊に先行して、ヴェルシニイ村を偵察する。小さな村は第二中隊が通過した後らしく、煙が燻っていた。人影はないが所々に血痕がある。あるいは、小山隊が始末したのだろうか。

 ソルヤキン村の前を通過したのは、午前四時過ぎだった。ここから第二中隊は東に分かれて、陽動攻撃を開始する。ヴォロシロフに向けて進撃する様を装うのだ。第一中隊と第三中隊は、そのまま北東へ進む。村の外れの立ち木の枝に布切れが二つ下がっていた。大島は赤い布を引き下ろして書かれた符号を読む。第二中隊の進撃は順調らしい。



 近衛中尉は側車を降りると時計を確かめる。午前六時五〇分だった。すぐに大島伍長が駆け寄って来て敬礼する。隣にいるのが伝令だろう。

「符牒は確かめました。小山中尉どのからの伝令であります」

 さっと答礼を返すと、近衛は伝令に向き合う。

「ご苦労、要件だけでいい」

「はっ。四キロ東のモナキノ村は無力化しました。六キロ北東のスヴコズシュトゥルモビク村の隠密掃討に、まだ時間が必要です。支隊が入るのは〇七二〇で願います」

「わかった。が、何キロ手前で待てばいい」

「拳銃を使用することがありますので、五百メートル以上を保持していただきたく」

「了解した。〇六五一、支隊長近衛中尉!」

「承りました。〇六五一、司馬軍曹!」

 敬礼した伝令は、踵を返して走り去った。


 側車が後方に走り出すと、近衛は大島に向き直る。

「大休止をとる。可能な範囲で休んでくれ」

「はっ、ありがたくあります」

 ここはすでに山地の終わりで、眩しい日差しが差し込んでくる。

「この先の状況はどうか?」

「あと一キロ足らずで東への視界も開けます。森はありませんが、林並みの木立はそこここにあります。砲座擬装用の立ち木は入手できるかと」

「なるほど。見る限りに煙はない。東はどうか?」

 近衛中尉は双眼鏡を覗きながら聞いた。

「はっ。二十分前、二キロ先まで進出しました。ヴォロシロフ方面と、その南北に盛んな黒煙を見ました。飛行機の爆音も聞きました。綏芬河の向こうかもしれません」

「うん。昨日の図們江河口の海空戦はさらに拡大しているようだ。旧式機の多い陸軍航空隊は夜討ち朝駆けを選ぶだろうな」

「えっ」

 近衛は呟く。

「シュトゥルモビクか」



 第一中隊が目的地のアレクセイニコリスク村の背後の山中に達したのは、作戦開始十時間後だった。すぐに工兵隊が掘削を開始する。砲座は周囲より五メートルの深さに設定される。持ち込んだ特二四榴は砲撃完了後に破壊し、砲座もろとも埋めることになっていた。

 その墓穴の底に運搬してきた砂石が広げられ、組み上げた四脚起重機が移動砲床を吊り上げる。全備百トンの重量と発砲の反動を受け止める砲床の組立は慎重に進められた。砲の安定は射撃精度に直結するからだ。

 射撃指揮所と支隊本部は砲座の西に開設された。早速、各隊から伝令が出入りする。無線機もあるが、発信はまだ出来ない。築城材料や装備を降ろした車両は外に引き出され、機関銃が据え付けられる。移動銃座として防御の要となるのだ。大島伍長は生嶋軍曹と共に、図面を見ながら配置を確認した。


「ひどい騒音だな」

「力作工作車両に起重機、発電機が合わせて三十は動いている。それに工兵たちの喚声だ」

「敵地だぞ、ここは」

「戦場だ。下の村に行けば、東方の砲撃爆撃の音や上空の爆音の方が大きい」

「ほんとうに山口が考えた作戦なのか」

「まさか。延吉でも敦化でもなく、新京の立案らしい」


 第二中隊は八キロ東のプツイロフカ村とボガツルカ村の間に戦線を構築していた。その先では機動第二連隊が、移動しながら各地を襲撃中だ。ヴォロシロフ上空では陸海航空隊がソ空軍と航空撃滅戦を遂行中で、その往路と帰路に必ず上空を通過する。


「もっとでかい話もある」

「陸空と来たから海か」

「おう。海軍さんがソ連艦隊を撃破したらしい」

「なに、軍艦でか。連合艦隊が来ているのか」

「敵は朝鮮に上陸するつもりだったようで、海軍さんが追撃中だ」

 大島は溜息をついて、頭を振った。

「いったい、どれが本作戦で、どれが陽動作戦なのだ」

「さあな。さっぱり分からん」

「なあ。もしかしたら、ソ軍にもわからないかな」

 生嶋ははっとして、大島を見つめる。

「そいつは愉快だ」



 特二十四榴と秘匿名で呼ばれる七年式三十糎長榴弾砲は、固定だけでなく、移動して運用可能なように分解運搬が可能になっていた。といっても組立には、三十トン起重機を使用して三十時間はかかる。砲床は仕方ないとしても、その後の架匡から砲身までの据付は人員を増やせば短縮化できた。支隊は、さらに二十トン起重機と十トン起重機を一台ずつ持ち込んでいた。

 工兵隊の伐掃機と工作機には五トン起重機が付属しており、他にも索引車付属の起重機がある。設置組立は、最終調整と試射を入れて十二時間と見積もられていた。砲座の掘削を終えた力作車は、塹壕の掘削と陣地の擬装作業に回る。索引車四両からは座席が取り払われて銃架が固定された。重機関銃を載せれば自走高射機関銃の完成だ。

 しかし、防備する大島小隊は、ただ待っているだけだとも言える。陣が形を成していくのは頼もしかったが、真っ昼間に敵地のど真ん中である。見上げた快晴の空を日の丸の戦闘機が飛んでいく。大島は現実感を失いそうだった。



 アレクセイニコリスクは三十戸ほどの村だが、今朝は村人の姿はない。兵隊が数人立っているだけだ。中央に道が通っているが、対岸のポクロフカ町を通る街道がずっと広いし、鉄道もある。国境への軍用車両はもっぱらそちらを通行していた。しかし、朝早く東の方で砲声と爆発音が聞こえると、軍のトラックが通るようになった。憲兵が配置され、兵隊も一個分隊に増える。

 西から戦車を先頭に立てたトラックの車列が走って来る。国境近くのコルホブカ駐屯地からの援軍であろう。プツイロフカ村を攻めているという日本軍を挟み撃ちにするようだ。


 村の真ん中で憲兵が戦車を止めると、後方から将校が走って来た。

「いつから検問所をおいている。なんのつもりだ!」

「ポクロフカ軍団司令部の指示であります。官姓名と所属をお願いします、同志少尉どの」

「ふんっ。第267狙撃連隊、第8中隊、アレクセイ・チャスチャコフ少尉。党員だぞ」

「ありがとうございます」

 憲兵は車両の所属番号を注意深く確認し、帳簿に書き付ける。

「本当に日本軍の攻撃でありますか。信じられません」

「上空を日の丸の戦闘機が何機も通過しておる。知らんのか」

「丸でしたか。星だとばかり思ってました」


 後で家の戸が開いて、若い娘が顔を出した。

「お茶があるそうですが、召し上がりますか」

 将校は若い娘を一分間も見つめた後、答える。

「いらん。好みではない、先を急ぐ」

「はっ。ご武運を!」

 戦車とトラックが通り過ぎるのを見送ると、憲兵は娘の家に入って呟く。

「なんのつもりって、時間稼ぎに決まっている」

 娘が憲兵の座ったテーブルに紅茶を持って来た。

「支隊本部に電話した。炊煙にも色をつけた。うまくやったぞ、熊野軍曹」

 褒められた熊野は、娘の顔をまじまじと見る。

「冷や汗ものだった。もっと化粧をうまくやれ、司馬軍曹」

「そうか。ここのかみさんよりは化けたつもりだが」

 熊野は紅茶を吹き出した。



 昼近くになると、アレクセイニコリスク村の家々は盛んに炊煙を上げた。兵隊たちは交代で家に入り、食事をする。東の砲声は遠くになり、村を通過する軍の車両も途絶えていた。きっと、うまくやったのだろう。兵隊たちの笑顔には屈託がなかった。

 十数軒の家から馬車が出て来て、すぐ南の山に向かう。数人の兵隊が同乗する。馬車隊は小川を渡って山中に入った。そのまま老黒山支隊本部の裏につける。寄って来た日本兵たちが、積んであった荷物を降ろす。中身は麦飯と味噌汁で、おかずもついていた。


 同乗していたソ連兵は、日本兵のお礼の言葉に笑顔で応えながら、本部に入る。

「小山中尉、入ります」

「ご苦労。それと、昼食をありがとう」

 近衛支隊長の答礼は気合が入っていた。

「だいぶ騒音も収まったようですね」

「うん、順調だ。砲床は終わった。地響きや振動はもうない。これからは金属音だから、擬装の草木でだいぶ抑えられる」

「砲撃開始は計画通りですね」

「大丈夫だ」

「機動第二連隊本部と連絡がつきました。初弾から着弾を観察出来ます。これが無線の周波数と符牒です」

「ありがたい」


 ポクロフカ砲撃を終えると、支隊は東寧に向けて撤収する作戦だった。重包囲の中に生き残っている要塞地区が、支隊の接近に呼応して攻勢に出る。その混乱の中で、支隊は第一地区の勝鬨陣地に入る。そのために、作戦で消費する以上の弾薬食糧を第三中隊は運んでいた。小山隊は支隊の要塞入りを見届けた後に老黒山へ帰還する。



挿絵(By みてみん)




 砲撃開始から一時間が経った。双眼鏡の中でポクロフカ一帯は炎上して黒煙を上げている。時々、白い閃光が上がる。着弾とも違うようだ。

「おい、火炎が広がっている。爆発にも見えるぞ」

「目敏いな、射線が奥に伸びている。お宝を当てたようだ」

 砲隊鏡を覗く生嶋軍曹が、大島伍長の問いに答える。今日の砲撃は数値射撃らしく、観測班は出されていなかった。生嶋の観測は念の為で、よほどの外れ弾でもないと高射銃座の電話を使うことはない。


 砲撃の間隔が短くなった。まもなく用意の弾数を撃ち尽くす。大島は頭の中で、撤収時の小隊の動きを反芻した。

「なあ、本当にこの陣地は捨てるのか」

「どうした。東寧要塞に入るまでが作戦じゃないか」

「変わったな。せっかく占領した敵地から撤収するとは」

 生嶋は大島に振り返った。

「今までのお偉方なら死守命令を出したところだ。たしかに変わった」

「設置撤収に時間がかかる砲を破壊するのは分かる。しかし、それならなぜ持ち込んだ」


 少し考えた後、生嶋は答えた。

「知ってる通り、出撃は一日繰り上がった。それは別の作戦の都合だろう」

「そうか、ソ軍を掻き回すだけではない。連携している作戦があるのだな」

「よくは分からんが。お偉方が見ている大作戦の中では、数門の重砲など安いものだろう。兵隊もな」

「もちろんだ」

 大島は、晴れ晴れとした顔で頷いた。






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