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――あんなに幸せな夜だったのに……。
幸せは、長くは続かないようにできている。
なぜなら、幸せに慣れてしまわないようにだ。
あぁ悲しいかな、愚かな人間は慣れてしまうと幸せすら見失ってしまう。
だから幸せは、小出しにされるのである――。
そんな哲学めいたことを思いながら、洸はため息をついた。
「――はぁ」
書類から顔を上げた鈴木が眼鏡に手をかけて、しげしげと上司を見つめた。応接セットのソファーの背もたれに体を投げ出して横を向くその姿は、どう見てもふてくされている。
――お気に入りのオモチャを取り上げられた子供のようじゃないですか。
とは、言えない。仮にも彼は鈴木の上司だ。
「大丈夫ですか?」
そう聞いてみたが、洸は自分がため息をついたことすら気づかなかったのだろうか?不思議そうに鈴木を見た。
「え? いや別に、なんでもないよ」
「そうですか?ならいいのですが、深いため息だったので」
――なるほど、そんなため息が漏れていたのか。
妙に納得した洸は、真面目な顔をして「それは申し訳なかった」とあやまった。
洸が誕生日である月曜日に休みをとってから、二週間が過ぎている。
月曜日。飛香は西園寺家の仕事を休んだ。というよりも、洸がアラキに連絡して休ませたわけだが、一晩中愛おしんで、微睡んではまた睦み合いを永遠に繰り返した。
そして火曜の朝早くに飛香を自宅送ると、玄関で出迎えたのは碧斗だったのである。
――急転直下。思えばあの時から僕の幸せにケチがついたんだ。
『あれ? 早いね』
思わずそう言った洸を、鬼の形相で碧斗が睨んだ。
『向こうで予定が少し変わってね。パーティが終わってすぐ帰ってきたよ』
恥ずかしそうに真っ赤に頬を染めた飛香に、入るよう促すと、碧斗はキリキリと洸を睨みながら宣言した。
『仕事はアラキさんを信用して続けさせるが、二人で会うことは許さない』
『ちょっと待ってよ。子供じゃあるまいし』
『あ?! 約束したよな?!』
『しました。はい、しましたけど』
『接近禁止令を出す。電話も週末会うことも今後は無しだ! 帰れ!』
『ちょ、ちょっと』
バシッと扉を閉められて以来、週末のデートもできず洸は飛香と会えずじまいなのである。
お昼休みに邸に帰れば会えるには会えるが、そうそう帰ってもいられない。
とまぁ、ため息の理由はそんなことだったが、それはそれとして素直にあやまる上司を前に、鈴木は驚いて仰け反りそうになった。
――かつて、こんな彼を見たことがあるだろうか。
皮肉のひとつも交えながら、当然反論してくるものと思っていた。それがどうしたことか申し訳なかったと言った彼は、いたって真面目な顔をして書類に目を落としている。
――彼女と上手くいっていないのだろうか?
秘書とはいえ、プライベートの洸の身に何が起きているかはわからない。だが、ため息の理由が彼女であることは容易に想像できる。なぜなら基本的に陽気な彼は、それ以外のことでそんな風に落ち込んだりしないからだ。
一体なにがあったのだろう?
先週誕生日である月曜に彼は休みを取ったが、火曜日には変わらぬ様子で出勤し、いつものように精力的に仕事をこなした。
様子がおかしいと思い始めたのは、それから一週間ほど過ぎたあたりだろうか。
彼は時折ぼんやりと、外を見つめていることがある。
コーヒーを飲みながら洸が外を見つめるのはいつもの事だが、普段の彼はそんな時でも鋭さを失ったりはしなかった。たとえ彼が唯一気を抜けるこの常務室においてもだ。
それでも軽口を叩いているうちは、なんの心配もなかったが……。
「何か私に協力できることがあればおっしゃってください」
鈴木は心からそう言ってみたが、洸は、ありがとうと答えただけだった。




