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蘭々と一緒にエレベーターに乗って来たのは、いつものように鈴木だけである。
降りてゆく箱の中、蘭々は目の端で鈴木を見ながら「なんとなくいつものコウと違ったわ」と呟くように言った。
それが女の勘というものだろうか、鈴木に洸の変化を読み取ることはできなかったが、そう感じさせる原因なら検討はつく。
ただ、それを口にしていいかどうかは判断がつかない。
「彼は少し前に熱を出して寝込んだんです。週末の一晩だけですが」
「え? まぁ、珍しい」
「最近うちも勤務時間にはうるさくなりましてね、色々と調子が狂っているのでしょう」
「へぇー、仕事が生き甲斐のコウにはそれは辛いかもしれないわね」
蘭々はモデルの仕事は好きじゃない。精神的に不安定な母が買い物依存症に陥り、将来の不安を抱えて始めたのがモデルの仕事だった。周りの助けもあってようやく母が落ち着き、仕事を辞めることができるとホッとしている。
「コウって純粋に従業員とかその家族の幸せを守りたいって思っているでしょ。学生の頃から経済紙を読んだり、そういうところは真面目だった。私、コウに聞いたことがあるの。ヒーローでい続けるのは大変じゃない?って。そしたらコウは何て答えたと思う? 『ただの自己満足だよ』って笑ってた。『僕は子供の頃一度死にかけたことがある。人はいつ死ぬかわからないだろう? その時自分は精一杯生きてきたって満足したいんだ』そう言ってたわ」
「そうですか。彼らしいですね」
「だから恋愛はしないんですって」
蘭々の口から恋愛という言葉を聞いた鈴木は、一瞬ゆらりと視線を彷徨わせた。
「理由は教えてくれないけど『そんなものに心を奪われるようじゃ、それこそヒーローにはなれないね』って」
鈴木は、どう答えたらいいのかわからなかった。その話のまま続けるなら、彼はヒーローでいることをやめたということになる。
「それを聞い時、私の初恋は破れたと思ったわ」
もう忘れていた遠い初恋の記憶。
誰にも言ったことがない秘密なのに。
蘭々は何故そんな話を口に出したのか自分でもよくわからない。
ただ、廊下で洸に呼び止められて、『蘭々、困ったことがあったら何時でも言って』そう言われた時、失恋の痛みがまざまざと蘇った。
はじめて遠く感じた――親友。
「じゃあ、またね、生徒会長」
「ええ、また」
マネージャーが待つ車に乗ると涙が溢れだした。
「ちょっとセンチメンタルになっちゃって」と言い訳をして、蘭々は泣いた。
薄暗い地下の駐車場で蘭々を乗せて走り出した車は、間もなく角を曲がって見えなくなった。それでも鈴木はスイッチが切れてしまったように動けなかった。
微かに震える肩に気づかぬふりをして、
『初恋は叶わぬものと、相場が決まっているんです』
そう口にすることが精一杯だった。




