16
『それがわかっていて、飛香をよろしくと言えると思うか』
――ったく、過去がなんだ。
しかも千年も昔のことじゃないか。
『千年前の僕がその……彼女と結婚していることは飛香も知っているのか?』
『ああ、千年前でもお前は有名だからな、結婚したことは知ってる。でもまぁ安心しろ、相手の女性が蘭々だとは知らないだろう。お互い顔を合わせたこともないはずだ』
――なにが安心しろだ。ったく。
それにしてもと、ため息をついて洸は項垂れた。
千年前の妻が蘭々だということが、心を重くさせる。
蘭々は性別を超えた親友のひとりだ。親友と呼べる女性は蘭々しかいないし、彼女が洸にとって特別な存在であることには違いない。
でも、恋人ではないし、恋人だったこともない。
今現在もモデルのLaLaとして活躍している彼女は、青扇学園に入学した当時から有名モデルだった。彼女と近い存在になりたい学生は多く、男女を問わず周りを囲まれていた。でも蘭々はひとりでいることのほうが好きだったのだろう。
気が付くとひとりでいることが多く、時折ハナミズキの近くにある池のほとりのベンチに座っていることを洸は知っていた。
校舎から少し離れていたそこは人影も少なく静かな場所で、彼女はまるでそこしか居場所がないかのように、息をひそめ存在感を消し小さな影を作る。精神的に不安定な母親のことで悩み疲れ、人生に絶望していた蘭々。
その美貌ゆえ、金のあるろくでなしの男子学生から目をつけられたことが、手を差し伸べるきっかけだったかもしれない。いつしか一緒にいることが自然なほど、親しくなっていた。
それでも相変わらず彼女はひとりでいることが多かった。
孤高の女王と言われていたのはそのためだ。
蘭々と洸が噂になったことは一度や二度じゃない。週刊誌のゴシップ記事に婚約間近と書かれたこともある。
『いいのよ気にしないで。この前は仁と噂になったわ。笑っちゃうわよね、ふふ』
ふたりで笑い飛ばしていたが。
――蘭々の中の女性の部分。
それを意識したことはあっただろうか。
そんなことを考えつつ、見るとはなしにビル街の風景に泳がせていた視線をふと落とした時、ドアをノックする音が響いた。
「失礼します」と入ってきたのは鈴木だ。
「契約のことなどで蘭々が来てますが、お会いになりますか?」
「ああ、もちろん」
「では、終わったらこちらにお呼びします」
蘭々は西園寺ホールディングスのイメージモデルでもある。その関係で時折このビルに顔を出すが、余程時間がない時でない限り、たとえ立ち話であろうと直接会って話をする。
ただ友人と会って楽しい時間を分かち合うだけのことだが、今のいままで蘭々のことを考えていたせいか、何やら気まずさが心の奥で疼く。
――影響されすぎだ。
そもそもあの銅鏡には何か仕掛けがあるのかもしれない。シスコンの碧斗が妹をあきらめさせようとして……。
洸は眉をひそめながらそう考えたが、その一方で碧斗が言ったことの全てを信じていた。
嘘にしては話が壮大過ぎることもあるし、それに何より碧斗は信頼する友人なのだから。
チラリと時計を見れば3時を10分ほど回ったところだった。
仕事に戻ろうと振り返った時、また扉がノックされた。失礼しますという鈴木の声と共に扉から鮮やかに入ってきたのは、蘭々だ。
「久しぶりね、コウ」
洸を『あきら』ではなく『コウ』と呼ぶのは、ほんの一部の親友だけである。
「ほんとだね、なんだか一年くらい会ってないような気がするよ。どうぞ座って」
「ありがとう。パーティにもほとんど行ってないし、三か月は会ってないんじゃないかしら」
蘭々はもうすぐモデルを辞めて芸能界から引退する予定でいる。と同時に西園寺ホールディングスのイメージモデルもやめることになる。今日はその挨拶やら手続きに来ていた。
「スクリーンに映る蘭々を見られなくなるのは残念だな」
「ふふ、ありがと、そう言ってもらえるのもうれしいけど、これで自由の身になれると思うと本当にうれしいわ。お祝いしてね」
「ああ、もちろん僕たちだけで引退パーティをしよう」
「準備は進んでるの?」
「ええ、事務所との契約は来月で終わるけど、もう仕事そのものはないわ。社長もわがままを聞いてくれた」
目立たないようフェードアウトできるよう、仕事は減らし露出を避けていた。
「よかった。で、辞めてからの予定は?」
「そうね、いくつかあるけど、まずは母の実家がある田舎に行ってのんびりしてくるつもり。それからゆっくり考える」
それから少し話をして三十分もしないうちに蘭々は席を立った。
「じゃあね、洸。色々ありがとう、ここでの仕事とても楽しかったわ」
「そっか、ここで会うのは今日で最後なんだな。ま、でも僕たちの友情は一生変わらないし」
「ふふ、そうね」
「じゃあね」
「うん、またね」
扉に手をかけたまま、廊下を歩きはじめた蘭々の後ろ姿を見つめるうち、洸は何かを言わなければいけないような気がした。
「蘭々、困ったことがあったら何時でも言って」
振り返った蘭々はほんの一瞬戸惑ったように見えたが、次の瞬間には薔薇の花が咲いたような笑顔で「ありがとう、コウ。じゃあね」と手を振った。




